第5話「噛み合わないパズルピース」

 人工島の人口比は、大まかに分ければ8割の低収益層と2割の高収益層に分けられる。


 この高収益層というのも更に細かく分けられ、本当に富裕層といえる人々は2割も存在しない。40代の公務員夫婦であれば世帯年収1000万というところだが、このレベルであれば2割に含まれてしまうのだから。


 それだけ貧富の差があるという事であり、そういう意味では仕送りだけで生活できるかいあずさは、2割と8割の間隙だろうか。


 手続きをするために訪れた職員室は、人工島完成後に竣工したはずの新設校であるのに、会にも梓にも薄汚れて見えた。


「ツキ……カイさん? それと、ユミナミ……アズサさん?」


 対応してくれた若い教師は名簿と二人の顔を見比べ、そして会の顔で視線を止めた。室内であるからキャスケット帽を脱いだ会の顔は、左目を隠している眼帯が目立つ。


「外すとまぶしいんです」


 教師の視線に気付いた会が、言葉を先回りさせた。


「サングラスでもいいのですが、そちらの方が失礼に当たるでしょうし、メガネは耳や鼻が気持ち悪いんです」


 こういう時、会が相手を納得させられる話し方ができるのは育ちだ。六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの当主とは、卓越した百識ひゃくしきである事が求められる。それは《導》の善し悪しだけでなく環境作りも問われる。話し方は基本的なものだ。


「そうですか」


 教師は会を一瞥し、書類を二枚、別々の教師に回す。学年が違うのだから、教室が違うのは当然だ。


「月さんは2年9組、弓波さんは3年1組」


 それぞれの書類を受け取った教師は、二人を連れて職員室を出た。


 贔屓目ひいきめも偏見もあるが、会の目から見て、この高校は不自然さや冷たさがあった。


 ――嫌な雰囲気。


 学期の切れ目ではなく――特に梓に関していえば3年だ――この時期の編入は、滅多にある事ではないから、奇異な目を向けられるくらいな事は思っていたのだが、それがないのだ。


 ――老人めいたあきらめ。


 会はそう思っていた。


 ここには高収益層も低収益層も揃っているが、その双方に感じる事は、それだった。



 誰もが、自分の将来や未来を、然程も考えていない。



 高収益層といっても、ずば抜けた富豪というのならば兎も角、世帯年収1000万程度ならば何かが約束された未来がある訳ではない。それだけで明るくないと断言するのは浅はかだが、その浅はかさを会はといった。


 ――機械的にカリキュラムをこなしてるか、鬱屈した気持ちを抱えて燻るか……。


 思考を進めていくと、会も足を取られる。




 それらを総合すると、浮かんでくるのは「自分の役割分担を決め、その殻から出てこない」という事になり――それは会もだと自覚させられた。



 認められない気持ちが出て来たところで、会は梓を横目で見遣った。


「最初から――」


「はい?」


 梓が顔を向けると、会は冗談なのか本気なのか分からない顔で、


「最初から、あんまりモテすぎないでね。女子に睨まれると怖いでしょ」


 自分と違い、梓はモテそうだというのは、半ば本気、半ば冗談というのが真実だ。


「……気を付けます」


 梓は十割が冗談だと判断したが。





 しかし冗談で済ませるのが丁度、よかった。


 朝礼で転入生の紹介は短い。2年9組に会が、3年1組に梓が編入されると告げただけだ。


 より時間を使うのは――、


「空手部!」


 会と梓を紹介した時とは打って変わり、校長の声が大きく弾んだ。


「ボクシング部! 柔道部! バレーボール部!」


 次々と紹介されるのは、春の国体で個人入賞した面々だった。


「大いに讃え給え!」


 会と梓を脇へ押し遣る圧力と共に、複数の男女が登壇してくる。


「備えよ、常に! 我が校のモットーであり、それ故に勝つべくして勝つ! 彼らは体現者であり、具現者である!」


 拍手は、大きかったのか小さかったのか、会も梓もよく分からなかった。


 ――ズレてる。


 教師と生徒がズレている事だけは、会の中で明確になったが。


 興味がないと見上げた視界に、体育館の2階の窓から見える曇天が入った。


「ッ」


 憂鬱だと思った会は、脇を担任に肘で突かれた。





 そんな曇天では、ビルの屋上という折角のシチュエーションもロマンチックではなくなる。


 カフェ営業の時間であるから酒という訳にもいかず、みやびは窓から見える曇天に目を細めていた。


 そんな曇天と、脇に立てかけている太刀袋に入れた刀へと視線を往復させつつ待っている相手は、待ち合わせの時間よりも5分遅れでドアベルを鳴らした。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの向こうから挨拶したマスターは、店に入ってきたのが小川だと分かると、隅の席へ顎をしゃくった。


 雅の席だ。


「初めまして」


 立ち上がって挨拶する雅へ、小川も「初めまして」と挨拶した。


「私は土師はじさんと組んでいた頃がありまして、その伝手を使わせていただきました」


 立ったまま雅がいう。


「土師さん……あァ」


 小川は軽く頷いた後、「座っても?」と訊ね、しかし答えを待たずに座った。


「単刀直入にいいます」


 雅も気分を悪くしたが、それを嫌味に乗せない自制はできる。


「舞台を用意して欲しいのです」


 それ以外に用のある相手ではない。

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