第4話「会と梓」

 人工島の住宅事情は他県に比べ、格段に優れている。元々、堅調な転入人口に対応すべく建設された場所であり、南県なんけんの住宅補助制度もあり、学生でも2LDKのマンションが借りられる。


 まだ引っ越しの荷物が全て片付けられていないマンションのキッチンで、エプロン姿の高校生が忙しなく動いていた。



 つき かいと共に屋敷を出た弓波ゆみなみ あずさである。



 時計の針はまだ6時を指した所で、主人の会が起きてくるのは1時間くらい後の事であるが、その時間と合わせて朝食を作るならば、梓の起床時間はこの時刻になる。


 毎朝の事であるが慣れたもので、明かり取りの窓から差し込む朝日を横顔に受けつつ、タンタンと耳に心地よい音を立てさせネギを刻み、手早く煮立った鍋へ投入していく。


 白味噌と赤味噌を混ぜ合わせるのだから、作っているのは味噌汁。


 鍋を一瞥し、グリルへと軽く皮に塩を振ったシャケの切り身を投入し、味噌汁を作っている鍋とは別の鍋へほうれん草を入れる。


 ほうれん草は鍋に入れておく時間は1分未満。後は冷水に晒して熱を取り、キッチンペーパーなどで水を切る。


 ボウルに移したほうれん草には、味噌を入れる前の鍋からだし汁、あとは砂糖、酒、しょう油を加えて味を調えた所で、味噌汁のネギが煮えるタイミングが来るのだから、梓は手慣れていた。


 味噌汁の方は火を止め、軽く温度が下がるのを待つ。煮立った中へ味噌を放り込むような真似はしない。


 シャケが焼け、炊飯器が炊き上がりを示した所で、丁度いい具合になった鍋へ味噌を溶かす。


 ――ご飯、お魚、お汁、ほうれん草……。


 小皿に取り分けながら数える梓は、軽く指を揺らすようなジェスチャーと共に数えた。


「おはよう」


 そこへ会の声が聞こえてきたものだから、梓はばつの悪い顔を見せた。変な癖というのが梓の認識であるが、会は気にした事がない。種類は兎も角として、できばえは「和朝食」と括弧書きしてもいい程なのだから、梓の癖など意識に残っていない。


 第一、目を引かれるというのならば会の朝食よりも、梓の朝食の方が指差しする癖よりも余程、目を引かれる。


 ――味噌汁にトースト。


 ダイニングテーブルに着いた会は、トースターを一瞥していた。トーストが梓の朝食だ。しかし会の味噌汁は一人分だけを作る事ができず、それをおかずにトーストを食べる事になる。


「おはようございます」


 梓は一礼し、トーストにマーマレードを塗り、プラスチックの椀に味噌汁をよそう。


 梓も席に着くのを待ち、会は手を合わせた。


「いただきます」


 会と梓は主従であるから、同じテーブルに着く事も、また着くまで待つ必要もないのだが、会はそれをした。


「いただきます」


 梓も手を合わせるが、食べるのは会を待つ。月家を出されたのだから絶対的な主従ではなくなっているのだが、それでも梓は待つ。


「待つ必要、ないわよ」


 ご飯の盛られた茶碗を手に取り、会は梓を一瞥した。会とて今更、梓を従者とは思っていない。


「癖です」


 梓はそういったが、理由は別の所にある。



 ――このマンションを借りられるのも、学校に通えるのも、会様のお陰ですから。



 月家つきけが他家と違う所は、当主争いから降りて屋敷から出て行った者に対しても、金銭的に貧困に陥らない程度には仕送りをする点だ。会へと送られる金額は、梓と二人で生活するには十分すぎる程、ある。


「そう」


 会も殊更、待つなとはいわなかった。自分が受け取っている仕送りが生活基盤になっている事は理解している。梓が家事全般を受け持ってくれるのは、役割分担のようなものだ、と割切って生活すればいい。


「ご馳走さま。おいしかった」


 朝の情報番組を見ながら、特に会話らしい会話もないまま朝食は終わる。


「お粗末様でした」


 梓が食器を重ねて流しへ持っていき、同じく朝の時間に作っていた弁当を示した。


「お弁当、忘れずに持っていって下さい。私は片付けが済み次第、出ますから、会様はお先に」


 どうせ同じ学校へ行くのだが、二人が並んで登校するというのは、やはり双方共に抵抗があった。主従という関係は一般人が持つ関係ではない。一緒に暮らしている二人が一緒に登校してきたら、それこそ不愉快な冗談の種にされる。


「うん。行ってきます」


 肩に掛ける大きめの帆布製セカンドバッグに弁当を入れ、革の学生鞄を持って部屋を出て行く会は、後ろ手に閉めた玄関のドアが響かせた重い音と共に溜息を吐いた。


 ――まず一日目……一日目よ……。


 住む場所も、通う学校も、全て変わった。月家に限った話ではないが、六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの屋敷はどこも張り詰めた空気が漂い、悪意や敵意を各層ともしない視線と小声に晒されてきた。それが消えてしまった今の空気は――まだ少し居心地がいいとはいえない。


「マシ……マシでしょ」


 マリンキャスケットを目深に被り、会はエレベータのボタンを押す。時刻がまだ早いのだから、エレベータはノンストップで上がってきて、そのままノンストップで降りていく。


 見慣れない街が玄関ホールから見えた。


「さぁ!」


 気持ち、大きな声を出した会は態とらしいくらい胸を張り、その一歩を踏み出した。


 ただ直後に気恥ずかしさが出て来たが。


 その眼前をジャージ姿の少年が通り過ぎたのだ。


 ――ヤバ……恥ずかしッ。


 そう思うが、早朝のジョギングをしている少年には、会が何をいったかなど、意識していないどころか耳にも入っていない。


 ただいずれ顔を合わせる少年である事は、この日、登校するまで知る事はないのだが。



 的場まとば孝介こうすけつき かい――今日から同級生だ。



「さぁ」


 気を取り直した会は、今度は気持ちだけ小さめにいった。

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