第15話「助けさせて下さい」

「あれは……何してるの?」


 縁側から二人の様子を見ている聡子は、何を教えているのだろうか、と不思議そうにしていた。



 清が基に教えた事は、立つ事――。



 強力な攻撃手段には見えない。突きでも蹴りでもなく、ただ立っているだけ。しかも不格好としか言い様がない。


 基の立ち方は、相撲取りの四股に似ている。何かに跨がるように足を開き、腰を落とす。ただ違う所は爪先が揃って前を向いている所だ。


「騎馬立ちといってな、基本になる立ち方じゃ」


 孫の呟きが聞こえたのか、清が視線と声を向けてきた。聡子は不格好と思っているが、不格好なのは基の実力がその程度でしかないからだ。


「一番、強力な攻撃手段はなんだと思う?」


「パンチ?」


 祖父の問いに対し、聡子は拳を握ってみせた。振るわれた痛みくらいは知っている。


拳骨げんこつというがな、実は拳に骨などない。あるのは指の骨と掌の骨じゃ。特に、その掌の骨は小指と同じくらい細く、強く振るえば簡単に折れる」


「キック?」


 蹴られた記憶もあった。


「足は腕の3倍の筋肉がつくが、人間は二本足で立つ生き物じゃ。片足では不安定になるし、アスファルトに後頭部から落ちたら、それだけで死ぬ事もあり得るよ」


 経験も知識もない聡子がイメージする攻撃方法は、どちらも一朝一夕で身につくものではない。


「空手の蹴りや突きは、簡単なように見えて身に着けるのに時間がかかる。それだけで何ヶ月も必要なくらいにな。短い期間で身に着けられたとしたら、余程の適性があった上に、余程の努力を引き換えにしている」


 基も、努力だけは何とでもなる、何とでもする気概を持っているが、適性だけはどうしようもない。


 ――弦葉くんの場合は、適性を見極めましたから。


 そこは自負している、と安土は目を細めた。《方》も《導》もない安土だが、一つでも優れた点があるとすれば、それは人を見る目だと自分でも思っている。孝介と仁和に矢矯を、陽大に弓削をつけたのは、間違いなく安土の功績なのだから。


 基に関しても、何もくずし的に決めた事ではない。


 格闘や争い事に向かない基に、聡子を守る術を身に着けさせられるのは清しかいないと確信しているからだ。


 ならばこそ、その立ち方にも意味がある。


 ――キツい……。


 ただ立っているだけだというのに、基は顔が歪みそうになる程の負担を感じていた。両膝が内側に折れそうになるが、それを外側へ突っ張る事になる。日常ではなかなか使わない筋肉であるだけに、慣れるまでは膝がすぐに笑い始める。


「ふむ……」


 その様子に目を戻す清は、聡子の質問を打ち切らせた。


 ――意味がある?


 そこに意味を見出せる基だからこそ、安土は清を紹介したのだ。


 意味があるからこそ、清は聡子の質問を打ち切った。


 集中していない――とは清は見ない。


 ――いい集中じゃ。


 基の意識にあるのは、ただ目の前にある事を熟す事ではない。



 聡子のためにできる事を見ているからだ。



 目の前に積み上げられていく事に惑わされず、初志貫徹できる者が少ない事を清は知っている。


「足に来るかい?」


 清の言葉が向けられる。


「は、はい……」


 返事に余裕がなかった。


 しかし清の言葉が向けられた事で、基はもう一つ、ヒントを得られた。


 ――意味がある!


 立ち方の事、足の心配をされる事、それらに共通する意味がある。そして自分で考え、それを言葉にする事の重要性を、乙矢に教えられた。


「えと……足を、あんてい……そう、安定させるのが大事。で、足を安定させるには、姿勢を低くして、それには重心を、低くする事がいる……」


 息を切らせながら口にした基の言葉は、清の目を丸くさせた。


「その通り!」


 驚きは笑みを呼ぶ。


 まだ清が基に教え始めてから、何分も経っていない。



 その短時間で膝が笑い始める程の負担をかけられた上で思考できる――素晴らしい才能ではないか!



「ありがとうございます」


 基はフッと身体から重圧が消えた、と感じた。紛れもない喜びだ。この身体の疲労を吹き飛ばしてくれる喜びを、基は既に知っている。


 ――乙矢さんが、教えてくれた。


 今、答えに辿り着いたのは、乙矢が教えてくれた事を活かせたからだ。


 ――久保居さんが、助けてくれた。


 本当に目の前に捉えなければならないものが何かを自分の中心に留められたのは、真弓が「自分のために一生懸命になる人のために、一生懸命になりたい」と基に言ってくれたからだ。


 ――本筈さんを、助けなきゃ。


 聡子の存在が、基に力をくれているのだ。





 そんな練習は、日暮れまで続いた。小休止を挟みつつでも、使う事のない、また使った事のない筋肉を酷使したのだから、基は疲労困憊ひろうこんぱいだった。風呂に入り、軽く清から整体を受けると、すぐにまぶたが重くなった。


「では、お休み。明日の朝は6時から始めよう」


 昔、安土と女医が使っていた子供部屋に基を寝かせ、清は居間へと戻ってきた。


 ――成功ですね。


 そんな清を見て、安土も安堵の笑みを浮かべていた。


「覚える事の大切さを教えられる人はいくらでもいるけれど、考える事の嬉しさ、喜びを教えられる人は少ない。そうだったわね?」


 妹の笑みに、女医もフッと口元を綻ばせて見せた。清が教師に向く性格とは思っていないが、基との相性はいい。


「サメが金魚を育てるようなものだと思っていたけれど」


 女医の声は清に聞こえていた。


耀子ようこ、聞こえてるぞ……」


 苦笑いしているのだから、清も自覚はあった。


 そんな父親へ、女医は久しぶりに誰かから名前で呼ばれた、と同じく苦笑いを浮かべた。本筈もとはず耀子ようこ――それが女医の名前だ。


 それ以上に、苦笑い所か苦い顔をさせられたのは安土だろう。


安奈やすなも、久しぶりに顔を見せたと思えば……」


 こちらの本名は、もう呼ばれる事はないとまで思っていた。本筈もとはず安奈やすな――忘れかけていたと思っていたが、まだ覚えていた。


「本当に、聡子に《導》が?」


 毛のない頭を撫でながら二人の向かいに腰を下ろした清は、聡子が寝かされている別室へと顔を向けていた。聡子に医療の《導》が宿っていると言われた時には、清も驚愕きょうがくさせられた。偶然、宿ってしまったとすれば、あまりにも運が悪すぎる。


 ――いや、運が悪いというなら、いじめもそうか……。


 いじめに遭っている事にも憤りを感じるのだが、それよりも《導》だ。


「人工島の事は知っていますか?」


 安土――安奈が問いかけると、清は「大体は」と溜息を吐いた。山家本筈派も六家二十三派に連なる家だ。男である清は当主争いに加わる資格はなく、さりとて他家へと婿に出される程の技量もない、と放逐された身だ。それ故に人工島で行われている舞台の話は耳にしている。


「まず間違いなく、上げられます」


 娘の口調は父親に対するものとは思えないのだが、変わっていないと感じる程度に、元より疎遠だ。


「切り抜ける算段を立てるのに、あの少年……鳥打くんを――」


 そこで清の目が険しさを帯びた。


「巻き込むのか?」


 その目と言葉に宿る険しさは、安土にとっては意外だった。清に連絡を取り、了解を得た時点で、理由を訊ねられずとも納得しているものだと思っていた。


「あの子は伸びる。間違いない。素直で一意専心いちいせんしんと突き進める心を持っているのだから。金でなど、決して買えないものを手に入れていく。それを――」


「巻き込みます」


 安土は強い口調で遮った。


「鳥打くんは、聡子さんの《導》で生き返ったんです。私が巻き込まなくても、誰かが巻き込みます」


 基は無関係ではいられない境遇だが、しかし清が納得する言葉ではない。


 清を説得させられる言葉を持っているとは思えないし、思ってもいない安土は、どうしても反発を招く言葉しか出せなくなる。


「なら、こっちの算段で動いてくれた方が、生き残りやすいんです」


「……」


 清は暫く黙っていた。


 溜息すらもない。


 ここで溜息など吐いていたら、安っぽくなっていたはずだ。人を苛立たせるしか意味のない行動は、清にはない。


 ただ言うだけだ。


 立ち上がりながら――、


「お前のした事、二度と忘れん」

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