第22話「小川の舞台」

 大人でも車で行く様な距離だが、小学生のはじめ聡子さとこは歩ききった。


 息を切らせながらも、初志貫徹した基へ顔を向けたペテルは思う。


 ――覚悟の差ですね。


 清との修練で基が手に入れた最も優れたものは、「いざとなったら、僕が本筈もとはずさんを背負ってでも行く」という覚悟を瞬時に決められる点である。


 鍛えられたといっても小学生であり、また特別なフィジカルも持っていないのだから、聡子を背負って移動するのは現実的ではないが、基の姿が聡子にももう一踏ん張りする気力を与えてくれた。


乙矢おとやさん!」


 飛び込む用の勢いで部屋に入ってきた基を出迎えた乙矢は、穏やかな顔。


「いらっしゃい。鳥打とりうちくん。本筈もとはずさんも」


 その顔は、二人が来ることが分かっていたという風であるから、基もホッと一息、吐く。


「分かってたんですね」


 乙矢は「そうよ」と返しながら、扉に「休憩中」という札をかけた。もう放課後といえる時間帯は過ぎている。常連の女子高生や女子中学生も、今日は来ないはず。


 基たちに席を勧めながら、ここから先は迷わされもするが、いう。


「今、人工島が大変な事になっててね」


 聡子が狙われた時点で、基も知っておいた方がよい――寧ろ知らなければならない事である。


「あの舞台、新規参入しようとしてる相手がいるの」


 それ自体は珍しい話ではない。基も分かる程度に。


「ただし運営の方にね」


 しかし乙矢が口にした側に参入というのは、珍しい。


 運営に関わっている者が少人数であるから、この舞台は成立している。大規模な組織になればなる程、露見する確率が高いのだから。たかしあきらも、そこだけには心を砕いてきた。陽が漏らす可能性のある世話人や百識を始末して回っている理由も、それなのだから。


 基も分かるが故にいう。


「運営に加わるって、リスキーですよね?」


「難しい言葉を知ってるのね」


 乙矢は茶化した訳ではなく、自分自身の緊張感を和らげるためにいったのだが、そういう場合でもないだろう、と基は顔をしかめた。


「ゴメン。六家りっけ二十三派にじゅうさんぱが、どこもかしこも血縁者じゃない手合いに当主を倒されたから、立ち行かなくなった事も重なってて、六家二十三派を倒してきた新家に目が向いてるのよ」


 六家二十三派を倒してきた新家しんけというのも、基には分かる。


 ――僕たちか。


 まさに基は当事者だ。


 しかし正確にいうならば「基たち」ではなく、安土の手駒である。


 ならば安土の娘である聡子が狙われるのも、道理というもの。


「本筈さんを狙って、この運営を通さずに、僕や弦葉つるばさんと戦うため?」


「そう」


 基へ、乙矢は鷹揚おうように頷いた。


 この出来事に対する乙矢の評価は……、


「ある意味、間が良かったのよ」



 間が良かった。



「舞台の乗っ取りを仕掛けてる世話人は、自分が失敗する事なんて考えてないみたい」


 世話人が小川という事はいわない。嘗て聡子の命を賭けて団体戦を繰り広げた相手だといってしまうと、基が必要以上に気にしてしまう。


「今日、聡子ちゃんの確保は確実だと思ってたんでしょうね」


 本来、舞台の取り決めで聡子に手を出すことはタブーとされ、手を出すならば孝と陽が黙っていないが、今の混乱した状況を利用した小川は、孝と陽の二人がかりでも荷が勝った。


 ――小川の狙いは、聡子ちゃんを誘拐して、弦葉くんや内竹さんが傷つく様を見せつけたかったんでしょう?


 乙矢は自身の魔法を使うまでもなく、この推測は正鵠をいる事ができる。よく知っているという程でないが、小川が狙ってきた事を思えば、それ以外にあるものか。


 ――でも誘拐が成功してから舞台の準備を始めたんじゃ、そのタイムラグを弓削さんや私、後は弓波ゆみなみさんなら突いてくる可能性がある。だから平行して進めていった。


 失敗する可能性を計上をしていないのは、今までと童謡、詰めが甘いからか。





「戦う義理はなくなった」


 弓削が陽大へ向けたIMクライアントの画面には、乙矢が基と聡子を保護した事を告げるメッセージがあった。


 安土にとってアキレス腱である聡子を保護したのならば、バカ正直に小川が用意した相手と戦う必要はないのだが――、


「安土さんを確保する必要はあるんでしょう?」


 篭手こて脚絆きゃはんを確かめながら、陽大はフーッと大きく深呼吸した。バカ正直に戦う必要はないといっても、安土を連れて出なければ、今度は聡子に対する人質として使われる。


 緊張から、陽大の深呼吸に溜息が混じり始めていく。


 ――まともな勝負にはならないだろうから、大変だろうけど。


 そう思うからだが……、


「まともな舞台?」


 笑いは弓削から起こった。


「誰がどうしようと、この舞台にまともなんてものはない」


 聡子の命を賭けた団体戦でも、レバイン一派との戦いでも、小川がまともな舞台を用意した事などないと思うと、笑うしかないではないか。


「確かに、そうです」


 陽大とて分かる。



 そもそも道徳を場代にして命を張るギャンブルなど、まともである方がおかしい。



「弓削さん――」


 立ち上がりながら、陽大は師の顔を見る。


「安土さんの救出、お願いします」


 こういう調査は弓削の方が向く。初めて陽大に仕組まれた舞台で、小川が確保していた両親を探し出し、逆転の一手を打ったのは弓削だ。


「……」


 弓削は黙って肩を竦めるのみ。


 ――警戒はされてるだろう。


 それでも尚、実行するしかないと分かっているが故に、弓削の口から約束するという一言は出せなかった。


 小川が狙っている事は、全て乙矢が知らせてくれている。


 スタンドのそこら中に潜ませている百識の役目は、陽大への集中砲火と共に弓削の行動を制限する事だ。


 双方共に狙いが分かっているならば、地の利がある方こそが有利。


 ――こっちにはないぞ。


 弓削が独り言つように、地の利は小川の方にこそある。


 それでも、だ。


「お願いします」


 陽大は弓削を信頼している。


「……」


 やはり弓削は返事できなかったが。


 ただIMクライアントには、乙矢からの新たなメッセージがある。


 ――私も行きますから。

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