第12章「懐かし我が家」

第1話「谷を越え、次は山道」

 矢矯やはぎが死に、的場まとば姉弟が舞台を降りた――。


 世間に秘匿されている舞台であるから、然程、大きな話題には成り得なかったが、誰の心にも影響をもたらさなかったという事は有り得なかった。



 孝介こうすけ仁和になには、拭いがたい影響がある。



 直接、矢矯の死を見た孝介も、直接は見ていない仁和も、明るい顔をしていられる日は、まだ来ていない。


 今もイラスト教室の隅でスケッチブックに鉛筆を走らせている孝介には、弓削ゆげも回も声を掛けづらかった。


 ――的場くん……。


 何度も鉛筆を握る手を止め、かいは孝介の方へ顔を向けてしまうのだが。


 孝介は会が自分の方を見ている事になど気付かない。


「迷いなく線が引けるようになりましたね」


 講師が、肘を起点に腕を動かせるようになった、と軽く孝介を誉めているのは、絵など中学の授業までしかやらず、高校の選択科目でも美術を選ばなかった孝介も、丁度、興が乗って楽しくなってきた頃だと思っているのかも知れない。


「グズグズしてると、線が歪んでヘロヘロになりますね」


 手首をマッサージしながら、孝介が顔を上げた。今も《方》で身体をコントロールしているかどうかは分からない。このイラスト教室は身体操作を磨くために通っていたが、舞台を降りた今となっては、《方》は無用の長物だ。


 それでも身体の使い方や、物体の捉え方を学べた事は大きな成果だった。


 肘を起点に。また肩を回すように線を引ければ、ヘロヘロした線にはならない。


「コーギーのお尻を描いていた頃とは違いますね」


 講師の冗談に、孝介が笑う。


 ――無理矢理? いや……。


 その笑顔から何を思っているかを考える弓削であったが、察せられるような事はなかった。


 無理はしている。それは確実だ。


 ――死ぬ事が俺への罰だ。俺がいない事が、孝介くんと仁和さんの罰だ。


 矢矯の言葉を、弓削も聞いていた。


 逃れられない死に瀕し、必死に繋いだ命で勝利を得た直後であるから、矢矯の言葉は支離滅裂に等しかった。


 だが、この一言だけは、三人の状況をよく示していた。


 他に手がないと思って上がった舞台――行き止まりDEAD END

 その舞台での些細な事で、降りるに降りられなくなった――雁字搦めSTRANGLE



 そんな中に自ら飛び込んでいった三人に、完全無欠のハッピーエンドは有り得ない話だった。



 ――他にいくらでも方法があっただろう、といえるのは外野の意見だな。


 弓削も解決方法は分からない。破壊の力しか持たない百識は、その能力で金を稼ぐ方法が限られている。確かに、身体操作を身につけた孝介や仁和ならば、一流のスポーツ選手も霞む程の能力を持っているだろうが、それは矢矯から習って以降の話だ。舞台から降りられなくなってから身につけた《方》は、遅いにしても遅すぎる。


 ダークサイドの催し物である舞台であるから、一度でも上れば、そう簡単に降りられないという事もそうであるし、百識を人間兵器として扱おうにも人である以上、量産できない、厄介者でしかない存在という現実もそうだ。



 行き止まり、雁字搦めのデスゲームから抜けるのだから、大事な人の命くらいは失われても、道義的には仕方がない。



 何より矢矯は、初めてではあっても、舞台上で人の命を奪った。のうのうと後の人生を歩める身分ではあるまい。


 ――それを理解し、耐える事が、的場くんが背負う罰か。


 そう思えば、弓削は会のように孝介の事を気にばかりしていられない。弓削自身は兎も角として、陽大を舞台から降ろさなければならないのだから。


 ――弦葉つるば君は、望んで上った舞台じゃない、か……。


 弓削の悩みだ。陽大あきひろも、まだ人の命を奪っていないが、弓削は既に何人かの命を奪ってしまった側だ。


 ――俺の命を差し出すのは……いや、構わないとはいえないな。


 しかし弓削は、そこで考えるのを止めた。


 ――いずれの話だ。


 先送りとしかいえないにしても。


「ごめんください」


 教室内にノックと共にあずさの声が聞こえてきた。


「そろそろ、お時間かと思い、迎えに来ました」


 会の迎えだ。《方》があるため、それ程の不便さはないのだが、会は片目が不自由だ。送り迎えはポーズとしても必要な事だった。


「あァ、もうそんな時間」


 スマートフォンを取り出した会は、その液晶画面に表示させている時計が12時を指している事に、確認するまで気付いていなかった。


「楽しんでいるのならば、何よりです」


 一礼して教室に入った梓は、会の手元にあるスケッチブックを覗き込んだ。


 ――それ程、進んでいませんね。


 そう気付いても、口にしないのが梓だ。会の事ならば、よく知っている。


 ――的場くんを気にしていましたか。


 理由を察せられる。


「少し家でも進めていった方がよさそうですね」


「うん」


 頷くと、会はペンケースに画材を収め、スケッチブックと一纏めにして鞄に入れる。


「また来ます。それでは」


 会は一礼して、目元が影になるようキャスケット帽を被った。片目が不自由というのは、つき家の屋敷にいた頃とは別のコンプレックスとなっていた。


「はい。また来て下さい」


 にこりと笑う講師に、「では、また」と一言添えて、会は梓を伴って教室を出て行った。


「……」


 階段を降り、玄関を出るまで無言だった会だが、駅へ向かおうと右向け右したところで立ち止まった。


「会様?」


 小首を傾げる梓に対し、会は暫く眉間に皺を寄せて考え込んだ。


「的場くんに、声をかけられなかった」


 やはり、それが気になった。


「時間薬ですよ。今は、声をかけるより、いつも通りに接する事が大事だと思います」


 解決策を持っている訳ではない身なのだから、孝介が立ち直るまで待つしかないといったつもりの梓だったのだが、会は首を横に振る。


「もう、いつもが違う気がするの」


 舞台を降りた孝介との接し方は、今まで通りではない。


「クラスメートとしてですよ。舞台に上がる前と同じです」


 この辺は梓が上手い。


「そう……」


 会は語尾をしぼませた返事しかできなかった。


 しかし舞台といえば、もう一つ、思い出す事がある。


「梓。あなた……」


 梓の事。



雲家うんけ椿井派つばいはの百識だったの?」



 失われた一族の百識だった事だ。


「あぁ……」


 今度は梓が言い淀んだ。


「昔の話……です」


 それで終わらせられる訳ではないのだが。

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