第5話「陽大の再就職」

 そして弓削が陽大に与えたのは、《方》の事だけではなかった。



 寧ろ陽大にとって有り難かった事は、仕事を与えられた事だった。



 弓削は陽大に仕事を「与えた」つもりはなく、寧ろ手伝ってもらうくらいの気持ちでいたが、互いが互いを尊重できるのならば有り難い以外の言葉はない。


 ――倉庫整理、伝票整理、データ整理……雑用しながら近県への出張買い取りは、少しどころではなく重労働です。


 特に、神名がそう言っていた仕事のうち、最も重労働となるのは倉庫に保管されている品物の整理であるから、それを受け持てるだけで能率は格段に上がる。


 ――最近は、フリマアプリとかネットオークションとか、店舗を持たなくても商売できる。


 そのため、倉庫整理と出品作業が一番、重要だと言う弓削であるから、肉体労働こそが生命線だ。


 ――続けていけば、商品の値段だの何だのは覚えていける。ただ、身体を使う事だけは、性格の問題なんだ。単純作業を、飽きもせず、懲りもせず続けられるのは、なかなか慣れない。


 そう言う意味では、陽大の境遇は幸いであると言えたかも知れない。


 方法は違っても、「身体を操作する」訓練は、とにかく動く事にある。


 矢矯が日常生活を送らせる事で孝介と仁和を鍛えたように、弓削は陽大に仕事をさせる事で鍛えようとしている。


「ッ」


 しかし《方》で身体を動かすという作業は、思っている程、楽ではない。身体に対する負荷は少ないのだろうが、《方》の負担は動く方が楽だ。


 ――《方》の元になるのは、血液中の極小タンパク質だと言われている。《方》に変えられる量は、人によって変わるらしいが、無限に使える訳じゃない。


 確かに、筋力ではなく《方》で重さを支えるのだから、手足が重くなるような疲労はないのだが、陽大もすぐに息が上がってしまう。《導》ではなく《方》であるが、常用すると消耗は早い。それも補助として使うのではないのだから余計だ。


 ――でも、できる事はしたいから。


 もし、これが生き残るためだけの訓練であったならば、陽大も投げ出していただろう。他人から向けられる悪意や敵意は、いつまで経っても慣れない。その慣れない状況の上、不法に罪から逃れたのだから死ねと言われれば、捨て鉢になっても当然だ。


 それが今、平静を保てているのは、《方》の訓練と言うよりも、手を差し伸べてくれた弓削の手伝いができているという方に意識が向いているためだ。


 ――動いてる方が良い。


 そう思えるからこそ、この単純作業が熟せている。


 とは言え、全て作業にだけ注力できているかといえば、それも違う。


 ――あんま、思い出す事もなくなくなってきてたんだけどな。


 作業をしつつも、考えてしまう――思い出してしまう事があるからだ。



 あの日、クラスメートを死なせてしまった日の事だ。



 警察に拘束され、取るものも取りあえず警察署へとやってきた両親と、アクリル板越しに顔を合わせた陽大は、憔悴しきっていた。


 恐らく母親は、「僕はやっていない」と訴える姿を思い描いていたはずだろう。


 項垂れたままの陽大を見て、両親は思わず立ち上がった。


 立ち上がりはした二人だが、心情は絶望へ叩き落とされていた事だろう。



 だろうばかり続くのは、陽大はその時、項垂れたまま、両親の顔を見上げられなかったからだ。



 その後の事は、よく知らない。判決と同時に陽大は、逃げるように人工島へ渡ってきたからだ。


 ――無責任だったな。


 思い出す度に、陽大はそこへ帰結する。その後、両親がどれだけの苦渋にまみれたかを知らない。両親とて隠しているが、陽大が殊更、知ろうとしなかったからでもある。


 それを陽大は「事件と向き合っていない」と考えていた。


「弦葉君」


 陽大の意識を戻したのは、ドンドンと気持ち大きい音を立てさせてドアをノックし、呼びかけてきた神名の声だった。


「!」


 梱包された段ボールを移動させていた陽大は、大きく身体を震わせた。単純作業であるから、考え事をしながらでも続けられていたが、肝心の訓練の方は集中力を欠いてしまっていた。


「すみません」


 思わず謝ってしまうが、神名は「え?」と首を傾げるばかり。


「あ……、《方》の訓練の方、サボってました」


 倉庫整理は進んでいるが、《方》の修練が進められていた自覚がない。


 しかし神名は、一部始終を見ていた訳ではないが、他ごとを考えながら作業をしていた陽大は、ちゃんと《方》を使って身体を操作しているように見えた。


「多分、できてたと思いますよ。スマホでメッセージ送れるくらいじゃないけれど」


 まだ指先までは意識して使えていないが、腕や脚を動かすのは十分だ、と神名は冗談を交えて言った。


「才能があるのかも知れません」


 陽大が弓削から《方》の具体的な操作方法を習ったのは、つい数時間前の事だ。


 そんな状況にも関わらず、四肢の操作ができると言うのは、万に一つの適正があるとしか言いようがない。


「そうだといいんですけど」


 陽大は照れ笑いとも苦笑いともとれる、曖昧な笑みを浮かべていた。


 いくら《方》の才能があるとしても、それがどれだけの意味を持つのかを考えると、社会の生産に寄与しないという事が分かる。


 では何に向いているかと言えば、いずれ自分が立たされる舞台しかない。


 そう思うと思い出すのが、今朝の光景しかない。


 ――死ぬまで戦う事です。


 言葉と共に向けられた悪意は、いつまでもリフレインしてしまう。


 そして言葉の解釈は、「死ぬまで」とは「殺されるまで」とするのが正解だろう。


「……」


 恐怖と屈辱が渦を巻く。


「……」


 神名はそんな陽大を暫く見つめていたのだが、パンッと手を叩いて意識を自分の方へ向けると、


「ちょっとお茶にしましょう。お昼、食べ損ねてるでしょう?」


 一度、事務所に戻ろうと、倉庫の外を指差していた。





 さて、安土と弓削の乱入により、陽大を奪われてしまった男は、その日一日を屈辱に震えていた。


 予定では舞台に昇る日まで陽大に衣食住の内、食と住を提供する替わりに軟禁し、怒りと恐怖に打ち震える様を観察させようと思っていたのだが、それを横からさらわれたのだから。


「失礼しました」


 そんな状況であるから、ガラスの仕切の向こういた面々に、下げたくもない頭を下げさせられていた。頭を下げる事には、慣れているとは言い難いが、全く未経験という訳でもない。


 男――小川おがわ慎治しんじも、安土と同じ世話人をやっている身であるから、寧ろ頭を下げる事が仕事と言ってもいい面がある。


 ――まず頭を下げろ。そうすれば自分の主張を譲らずとも、相手がいずれ折れる。


 それが小川の心得ている処世術だった。。


 今更、何を言われ、何をどうしろと要求されても、小川が執れる手段はない。


 頭を下げ、相手が言いたいだけ言わせる事で、陽大が舞台に上がるまで現状維持させる。


「全くです」


 陽大が部屋から出て行った事は「自由の身になった」と感じさせられているのだから、神経質そうな印象を受ける中年女が憤然とした様子で、トントンと机を指で叩いていた。


「私たちは今も忘れていませんよ。裁判の場で、自分を正当化するような事を、一方的に難しい言葉で、散々、繰り返していた事を。要するに、悪いのは息子だと」


 中年女の夫も、言葉の端々に荒々しい感情を滲ませながら、陽大をさらわれていった小川を睨み付けていた。


「それに、今となっては申し訳ない事をした、という言い方をしていた。その程度の認識しかしていない奴に……」


 中年男を震えさせているのは、強い怒りだ。


「こちらに謝罪を受け入れる気も、許す気もない中であったとしても、何故、あんな奴に謝罪の機会を与えなければならなかったのか」


 当然ではないか、と吊り上げた目に怒りを込める。


「私たち遺族には、怒りと憎しみしかありませんよ。反省している様子もなく、弁護士からアドバイスされた言葉を繰り返すような奴に!」


 ドンッと机を殴りつけた音が響いた。


「少年法などという悪法が撤廃されたのだから、死刑にしてくれ、と私たちは裁判員にも裁判長にも訴えましたよ! その無念を、分かってくれているんでしょう!?」


 だから陽大を、本人の同意なしに舞台へ上げたのだろう、と問われると、小川も

「はい、そうです」としか言えない。息子を亡くした親の気持ちは理解できる。のうのうと生きているのが許せないと思うからこそ、陽大を舞台へ上げるのだから。


 ――だからこそ、当日までここに軟禁して、憔悴していく姿を見せて宥めようと思ってたのだが……。


 今更、安土を締め上げ、弓削の元から陽大を連れてくるという訳にはいかない。


 そもそも舞台は、陽大をなぶり殺しにしたいと言う理由だけで開かれる訳ではなく、仲介に手を上げた安土を強制的に身を引かせる術はない。



 ルールらしいルールなどない舞台だが、その癖、「執行する力があるならば、どんな事も執行できる」と言う暗黙の了解があるからだ。



 安土が単独で陽大を奪っていこうとすれば、それこそ小川は力尽くで阻止しても構わなかった。


 しかし弓削がいるのでは、力尽くというのは頭の良いやり方ではなくなる。


 曖昧な答えは、遺族全員の不興を買う事になった。

「あんな奴は、絶対に赦すつもりはない。苦しみながら罪を償ってもらうしかない。親も、責任回避なんて赦さない。懲罰的な意味も含め、慰謝料請求を行う」


 また机を叩こうと拳が振り上げられたが、今度は堪えた。


「刑事裁判で裁けなかった分を、金銭で要求するしかない。親が息子の犯した罪の重さを理解しているは分かりませんけどね。事件直後、弁護士を通じて謝罪の手紙を渡したいと言う要求がありましたけど、拒否しましたよ。言い訳など聞く必要がないし、赦す気がないんですから」


 まくし立てるように言う相手に対し、小川はやはり「そうですか」としか言えなくなっていた。

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