第17話「サメが見つけた鯨」

 休憩の後、清はスタート近くにある切り株をバックに、昨日、基へ教えた騎馬立ちをさせた。


「よくできている」


 細かな欠点を挙げれば切りがないが、基の佇まいには安定感が現れていた。普段、使わない筋肉を酷使する姿勢であるが、ただ身体の負担になるだけであれば、構えや立ち方として存在しているはずがない。


 基も安心した風な表情を浮かべるのだが、清は基の肩へと手を伸ばすと、


「今日は、それを半身に構えてみようか」


 肩を押し、基を横向きにした。


「騎馬立ちは基本の一つだが、こうする事で実戦に対応できる構えに変わるんじゃ」


 そう言って清が同じ構えを取れば、基からでも様になって見えるのだから不思議なものだ。


 その状態で切り株を渡って見せる清のステップは、鮮やかなフットワークだった。


「次の切り株までの距離、一歩でどこまで進めるか、最短を進むには足の運びをどうするか、それらが分かっていればできるよ」


 簡単とは言えず、極めようとすれば底がない技術であるが、強い感知の《方》を持つ基に不可能な事ではない。


「えっと……」


 早速、真似しようとする基が、感知の《方》を発現させた。《方》の気配が基の身体を覆い、周囲の景色全てが自身の掌中に入ったような感覚が生まれたところで、基は動いた。


 ――よし!


 分かると頷いた基は、清の足跡を辿ろうとするのだが……、


「すぐには無理じゃ」


 清は切り株から滑り落ちそうになった基を庇い、笑った。清がして見せた事を即座に真似ようとする態度も好ましいと感じ、思わずこぼれた笑みだった。


「まずは姿勢を維持するのを考えようか。敵から打たれず、自分は打つというような事は、最初は不可能。だが、この姿勢を維持する事ができていれば、相打ちも相打ちではなくなる」


「相打ちではなくなる?」


 鸚鵡返しの基に、清は「そうじゃ」と頷き、庇っていた基を放した。


「打つ事と、当たる事は違う。当たるのは偶然があるが、打つ事は明確な意志が必要となるからじゃ。今、転びそうになった鳥打くんを儂が支えたのと同じじゃな」


 転んだ基には、「転ぼう」という意志はなかった。もし近くに何かあったらぶつかっていたはずだ。


 それに対し、清は明確に「助ける」という意志で行動した。庇った訳だが、それは「当たった」ともいえる。



 意志がある方とない方がぶつかった時、ダメージを与えられるのはどちらか――考えるまでもない。



「実戦では、互いの攻撃がぶつかるというような事はよくある。そんな時、勝敗を分けるのは、これじゃよ。こちらに意志があれば、相打ちでも自分の技にできる訳じゃ」


 難しいかと首を傾げる清であったが、考える事の楽しさ、嬉しさを覚えている基には難しい事は理解できない事とイコールではない。


「相打ちでも、意志が保てていれば、相手のダメージが自分のダメージよりも大きい……。意志を保つためには、しっかりした体勢を維持する必要がある……」


「その通り!」


 清はパンッと柏手を打った。


「それを突き詰めていった先にあるのが、敵に打たせず、自分は打つ境地になる。最初からここに来る事はできないが、だからこそ最初は相打ちのタイミングを掴む事、そして姿勢をしっかりと維持する事が大事なのじゃな」


「だから走って、足を鍛えるんですね。でも、道路を走ってると、平たいし固いから、こう言う土の上で、上がったり下がったりする所の方がいい」


「いいぞ、いいぞ」


 打てば響くとは、正にこの事かと清まで笑みを浮かべる。


 ――サメが金魚を育てるようなものだと言われたが、何の。この子は金魚じゃない。


 清が思い浮かべたのは、魚とは似て非なるもの。



 ――鯨じゃ。



 自分が師に向いているとは思えないのは今も同じだが、基が弟子に――いや生徒といった方が正しい――向いていたのは確かだ。金魚でもサメでもなく、鯨と評したのは、言い得て妙だ。


「そして武の奥義も、まさにここにある。相手の意志が途切れた機を逃さず、自分の刃を突き立てる。まぁ……うん、すぐには無理じゃ」


 清自身、そこまでの技があるかは自信がない。


「さて」


 しかし清には、技術を補完するものがある。


「儂は六家二十三派の生まれといっても、奥義に属する事は知らんし、基本的なものを自分で応用していっただけじゃが、それでも――」


 清は相手を牽制するように突き出している左手に《導》を集めた。


「魔の氷を抱き、眠りすら守れ――」


 言葉と共に、その左手に集まる赤い結晶。


 それを握りつぶすような動作を見せたかと思うと、清の身体を《導》が包み込んだ。


「これが山家本筈派の結界。この内部では、物理的な法則から解放される」


 その言葉通り、清の身体は浮き上がっていた。


 そして見せる動きは、先程、騎馬立ちから見せたフットワークとは一線を画している。


「……」


 感知の《方》を使っていても、基には分からなかった。


 ただ構えているだけの清が、突然、コマ落としのように移動していったようにしか見えなかったからだ。



 結界によって体勢を維持し、物理法則から解放された清は、足ではなく《導》で動いたのだ。



 それはアヤが見せた動きと似ているが、それとはレベルが違う。アヤの動きは孝介も仁和も察知する程度だった。


 しかし動く理屈を知っている清の動きは、矢矯でも感知する事は難しいはずだ。


「凄い……」


 思わず出た基の言葉に対し、清はピッと立てた人差し指を突きつけた。


「一週間じゃ」


 その言葉に秘められているのは――、


「一週間で、不完全であっても、これができるくらいに引き上げる。君が努力を続けられるなら、できる」

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