第23話「時間切れ」
清が最も苦労すると思っていたが、それが案外、すんなりと行ってくれた事が「学習」である。
――教師ではないからなぁ。
当然であるが、「知っている事」と「教えられる事」は違う。四則演算にせよ、計算だけならば義務教育を終えていればできるが、何故、そうなのるのかという理屈は誰にでも教えられる事ではない。
だが清にとって助かった事は、基には読書する習慣があるため、国語を中心に進められた事だ。
朝の修練を終えて朝食を取ったところで、午前中いっぱいを勉強に使う。南県は全国でも珍しく全ての市町村に書店がある。小学生用のドリルを買うのは苦労しない。
「国語は、やっていて損はないからの」
縁側を開け放ち、ちゃぶ台の上でドリルを広げている基に対し、清はタバコを手にしようとしてしまう衝動を抑えた。日当たりの良い縁側で、愛弟子が勉強する様子を見ながら一服すれば最高の気分に浸れるのだろうが、気分に浸るのは後回しだ。
――鳥打くんに対し、無礼じゃな。
ちゃぶ台を挟んで向かい合い、漢字ドリルに向かっている基を静かに見守る。
「本筈さん」
ふと手を止めた基が顔を上げた。
「ん?」
難しい漢字があったかなとドリルに視線を落とす清だったが、基が聞きたい事は漢字ではない。
「何故、人を生き返らせるのは、そこまでいけない事にされているんですか?」
基が聞きたかった事は、聡子の《導》だった。
誰しも死を悼み、惜しむ。基自身は生き返った事を幸運と自覚していないが、乙矢や真弓は喜んでくれている。
悪い事とは思えない。
しかし医療の《導》は忌み嫌われ、それ故に扱う百識は根絶やしにされた。
「そうじゃな……」
清は言い淀んでしまった。医療の《導》が根絶やしにされたのは、もう遙か昔の話だ。その当時ですら理由は一つや二つではなかったのだから、ここで「理由はこうだ」と断言する事は、自身の無能を晒す以上の意味はない。
自爆でも暗殺でもし放題となるのだから、自由自在に人を生き返らされては絶え間ない殲滅戦が続くだけとなり、また忠誠の代償とされれば厄介窮まる――この辺が、よく言われる理由だが、清が考えている事は違う。
「学ぶ機会を失うからじゃよ」
「学ぶ?」
基が想像していなかった言葉だった。
「上手い例え話がないのじゃが」
清は首を傾げつつ、言葉を選んだ。
「子供が生まれたら犬を飼え、という話がある。犬は人よりも成長が早いから、赤ん坊を守ってくれる。学校に通う頃になれば、よき遊び相手となってくれる。そして多感な時期に、犬は寿命を迎え、その命の大切さ、儚さを教えてくれる、という話じゃ」
犬好きならば知っている話だ。
「だがな、もし犬を生き返らせる事ができたなら、どうじゃろうか? 命の大切さ、儚さは教えられるかな? 生き返るのだから、殺してもいいという事になりかねん」
「それは……」
清の言葉に、基は首を傾げた。
「本来、人を殺してしまうという事は、許されぬ事じゃ。傷つける事でも、同じじゃろう? しかし生き返るから、簡単に治るから構わない、等という事になってしまったら、世の中、成長のない世界になるとは思わんか?」
清の言葉は考えさせられる。争いが技術を進歩させたという考え方もあるが、争いを回避する事で成長するものもある。それは両輪ともいえるはずだ。しかし他者を傷つける事のハードルが下がってしまえば、前者は兎も角、後者はなくなる。
「そして何より、生き返るから、治るからといって、苦痛はある。その辛さは……わかるじゃろう?」
問題のある行為が、問題のない行為にされてしまう――それこそを、清は最も許されない事だと思っていた。
そして清の言う通り、基も知っている。
ルゥウシェの刃を受けて脳裏に焼き付いているのは、四肢を失っていく激痛と、手足が短くなっていく恐怖、《導》に晒され――もし死神という存在がいるのならば――耳元で囁かれた「もうお終いだ」という言葉の暗さ。
その全てを、「生き返ったのだから」という理由だけでチャラにできるものではない。
「そんな……」
頬を引きつらせる基だが、あの感覚は一度でも味わってみなければ分からない。
清のいう世界では、大多数の民衆がチャラになったというはずだ。
「最も重い刑罰であるはずの死刑が、ただ苦痛を与えるためだけのものに成り下がる。それでは太古のように、見世物にして苦痛を与えてから殺す刑罰を復活させる事に繋がりかねん」
だから、と清は言葉を切った。
「医療の《導》を使う百識は滅んだ。生き残っている者も、その《導》を使ったりはせんのじゃよ」
倫理の問題だ。そして清は、聡子が基を生き返らせ、ぬいぐるみに命を与えてしまった事は、その倫理に違反していると思っているし、その事実に苦しんでいる。基をもう一度、殺す選択肢は有り得ないのだから。
「まぁ、まぁ、休憩にしようか。身体を動かした後に頭を使うと、疲れるじゃろう? 少し休憩にしよう。お茶とおやつを用意しよう」
清は浮かべるしかないといった風の笑みを見せて立ち上がった。基には難しく、また納得しがたい話だっただろうと思った。聞きようによっては、基が今、生存している事も罪悪であるように思ってしまう事もある。
そんな笑みのままで立ち上がった清は、流石に基の表情を確認する気は起きなかった。
しかし基は清が心配していたような顔はしていなかった。
――本筈さんは、きっと大丈夫……。
清の言葉から、基は救いを獲たのだ。
清は、善悪だけで語れる訳ではない、と言いたかったし、基もそう感じる点が多々あった。
しかし排除した。
聡子を救う言葉があるのならば、そこにだけ突き進んでいけばいい――良かろうと悪かろうと、基は自分の頭ではそれ以上の結論が出ないと知っているからこそ、その結論を出した。
「でなきゃ、守れないじゃないか」
基の呟きを聞いたのは、傍らでぬいぐるみの姿を取っているペテルだけだった。
――愚かである事は間違いない。
ペテルもそう思った。
――しかし一途である事も、疑いない。
だからこそ耐えられた――時間は無駄にならなかった。
基がタイムリミットを聞くのは、翌日の午後になる。
翌日の夕暮れ、基は聞かされた。
「明日です」
安土の言葉は短く、短いが故に皆の性根とでもいうべきところに突き刺さった。
「急じゃな……」
口惜しいと顔を歪ませる清は、基に《方》は教えたが、《導》にまで昇華させる術を身に着けさせられていなかった。しかし舞台に上がる日を延期する事ができないと知っている。口には出さない。
安土が駆けずり回った事は想像に易い。
「明日……」
基もギョッとした顔をさせられていた。覚悟していなかったタイミングと、予定していた一週間に満たなかった事が重なれば、流石に覚悟が足りない。
「遅かれ早かれ、来る事ですがね……」
ペテルの声も緊張と苛立ちがあった。
「何か失敗したか?」
清の言葉は図星である。安土は那の存在を感じながらも、那を特定できなかったため、清がいった一週間を確保できなかった。
「……はい」
安土も否定できない。
「明日の夜、23時には舞台が始まります」
淡々と用件を告げていくだけだ。
まだ24時間以上の猶予はあるが、その24時間でどれだけの事を教えられるかを考えても、《導》に達するかどうかは清にも分からない。しかし少なくとも、清の持つ最大の結界を身に着けさせる事は不可能だ。
ここで安土しか来ていなければ、この場の空気は宛ら通夜のようになっていたかも知れない。安土が切り札と思っていた基の修練は完了せず、聡子の命運は尽きていたのだから。
しかし安土と共にやって来ていた二人が、その空気を断つ。
「それだけあれば、できる事があります。心配しないでください」
清に頭を下げたのは乙矢。
「鳥打くんなら、渡せるものがあるんです」
そして真弓だ。
「ほう?」
清は首を傾げるが、真弓がいった「鳥打くんなら」という言葉から、自分が知らない方がいい事だと窺い知る事ができる。
「……任せてもよさそうじゃ」
納得したのは、清も自分の直感に従う事にしたからだ。基を弟子に取ったのも、その直感に従い、正解を引いた。ならば基が慕っている二人に任せるという直感も正解を引ける。
「はい。算段は立てられます」
乙矢が目を向けた先に、真弓が先日から使っていたノートパソコンがあった。
「それと――」
そのノートパソコンから基へと視線を移動させる乙矢は、そこでスッと居住まいを正す。
「鳥打くん、よく頑張ってるわ」
その一言は基の胸を強く打つ。お為ごかしではない。本当に乙矢が基の事を考え、想ってくれているかは、今更、語るまでもないのだから。
そんな乙矢の言葉であるから聞ける。
「でも、まだできる事がある。今の君なら、できる事が」
「できる事……」
鸚鵡返しにした基に、乙矢は「そう」と頷いた。
「今なら感じ取って、行動する事ができる。考えてみて」
乙矢は正解を最初から口にしない。
口にしない事が、自分への信頼だと信じられるからこそ、基はここまで来られた。
「はい」
返事をした基も、今は正解に辿り着いていないが、考えれば辿り連れる事を知っている。
――そうしてくれた。乙矢さんと久保居さんが、教えてくれた。
そして「今なら」と乙矢はいった。
――本筈さんが、鍛えてくれたんだ。
清が指定した期間である一週間には足りなかったが、基は未完成ではあっても、未熟ではない。
今、基の手には山程のものがある。
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