第5話「笑顔を交わせる訓練」

 ――狭い世界ですよ。


 百識ひゃくしきの世界を指して、あずさはそういう。六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの当主を破ったからこその言葉だ。


 圧倒的大多数――六家二十三派ならば100%――の百識が、自身の《導》に絶対の自信を持っている。伸ばす事とは、欠点を潰していく事を意味していない。


 即ち、欠点は欠点として放置される事が多い。また他家の百識と戦闘を行う機会も少なく、欠点が問題になる事が少ない事も影響している。


 その点、会について梓はこうも思う。



 ――ツイていますよ。



 ツイている。


 アヤが使用したBLACK goes the HADESや将星レーベンミーティア、バッシュが使用したソロモンも、操っているのは、いうなればの方であり、自分を巻き込む可能性のあるは利用しない事が殆どだ。


 ――爆風も利用していたら、バッシュはベクターさんに勝てたかも知れませんね。


 全ての始まりだったとも考えられる一戦の敗因は、バッシュにもルゥウシェにも、矢矯やはぎを止める最も手っ取り早い手段を選べなかった事にある。


 爆風では自分を巻き込んでしまうが故に、バッシュはインフェルノで炎のみを操った。


 陽大あきひろにトドメを刺した時と同じく、自分を巻き込む覚悟で自爆していれば、あの舞台で屍を晒していたのは防御手段を持たない矢矯だったはず。


 ――そういう甘さがあります。


 梓は見下し癖だと断じていた。


 ただ例外はある。


 ――鬼家きけ月派つきはだけは、ちょっと例外でしょうかね。


 鬼家月派の鬼神きしん招来しょうらいは、鬼神と呼ばれる存在を召喚し、代理戦闘させるというもの。


 その攻撃方法は、遠隔攻撃を持ってはいるが、主としているのは飽くまでも接近戦だ。


 ――かい様の人鬼じんき合一ごういつが持つ弱点は衝撃。


 そこだけは懸念材料だ。一番、手っ取り早いのがハンマーのような鈍器で殴りつける事なのだから。


 格闘や剣術を用いた使は下品と嫌う百識が多いが、代理戦闘ならば話は別だ。


「あのね――」


 息を切らせている会の声が、梓の考え事を中断させた。


「はい?」


 梓が視線を振り向かせると、練習用の槍を持ち、息を切らせた会の恨めしそうな顔。


「考え事しながら、相手に出来る程度なの?」


「はい」


 槍の柄を床に着けて肩で息をしている会へ、梓はフッと微笑んで見せた。考え事をしながらでも会の相手が出来るのが、梓の持つ《導》の強さといえる。



 会の眼前には、三人目の人物が存在していた。



 とはいえ、人間ではない。


 会に人鬼合一のコントロールを身に付かせるため、梓がNegativeCorridorネガティブ・コリドーで作り出した存在だ。鬼家月派の鬼神ほどの力は持っていないが、雲家衛藤派のリメンバランスよりも厳密な《導》であるNegativeCorridorは事象だけでなく物質を召喚できる。


「まだまだ慣れが必要ですね」


 梓の現時点での評価は、そんな一言に尽きてしまう。


「慣れ……慣れね……」


 会の深呼吸は、どちらかといえば溜息だろうか。鬼神の維持可能な時間は、それこそ六家二十三派の女なのだから、何分、何時間という単位どころではない。何日か、あるいは何週間か、それくらいのレベルにある。


 それだけ血液中の微小タンパク質が豊富で、それを操る術を身に着けているからこその持続力であるが、今、会が感じている疲労は強い《導》を使い続けた事によるものではない。


「厳密な感知、厳密な身体操作からは程遠いですね」


 梓のいう《方》が精神を削っていった結果だ。


「今、私が出しているコレは、私の記憶を頼りに再現した弦葉つるば陽大あきひろさんの動きに過ぎないんですから」


 その打撃を回避して反撃するだけの訓練だが、攻め足を残して回避し、反撃に移るのは会の手に余っている。


「息が上がるのは、身体操作ができていない証拠なんですから」


 弓削ゆげが教えてくれた、障壁を身体に沿って展開させる事で行う身体操作は肉体的な疲労を最小限に留めてくれるはずなのだ。


 全てを《方》でコントロールする事で行う戦闘になれていないため、時折、筋力に頼ってしまう――それが疲労の理由だ。


「受けちゃダメ? ちょっとやそっとじゃ、鬼神に衝撃なんて走らないような気がするんだけど……」


「ダメですよ」


 会の声は懇願に近かったが、梓は即答で却下した。


「ちょっとやそっとじゃ走らないかも知れない、というのは会様の願望ですよ。当主の一撃が、そんなに軽いとでも?」


 梓は意地の悪い笑みを浮かべていた。


「そもそも弦葉さんの肘打ちでも、多分、蹌踉よろけるくらいの衝撃が来ると思いますよ。いや、来ると思ってやっていないと、多分、勝てませんね」


 訓練なのだから、こちらの状態は最悪、敵の状態は最高でなければ意味がない、というのが梓の考えだ。


「……それに、実際、弦葉くんが、こんな風に動くかどうか分からないし……」


 言い訳臭いセリフが並べ始める会であるが、梓はそんな声の調子で笑みの種類を変えた。


「再開しましょう」


 会が言い訳臭い事を言い始めたのは、再開する気が起きたからだ。言い訳をしてこなかったから、会はもう一度、当主争いに加わる気になった。軽口をたたき合えるのは、梓との信頼関係の証でもある。


 この訓練を不条理だとは思っていない。


 ――人鬼合一ッ。


 しかし鬼神は身に纏わない。訓練であり、実践ではない。


 梓の作った陽大の幻影が踏み込んでくる。陽大本人が見れば、「俺は、自分から踏み込まないけど」と苦笑いするかも知れない。陽大のφ-Nullエルボーは、相手を呼び込む事で成立する技だ。


 ――身体を半回転させて、避ける!


 飛び込んでくる幻影に対し、左足を軸にして半身になる。


 その際、槍の石突きで陽大を狙い――、


 ――衝撃疾走!


 石突きが捉えた反動を膝、腰、肩へと伝達させ、もう一度、今度は逆回転で槍の穂先を幻影へ向けるのだが――、


「!?」


 この時、空振りしてしまったのが、訓練で人鬼合一を使わない理由だ。


「今、身体がブレたの、人鬼合一していたら致命的だったのではないですか?」


 梓のいう通りだ。空振りし、ヨタヨタと蹌踉めいていては、身体が障壁ほ突き破って鬼神に触れてしまう。鬼神は鎧の代わりであるが、鎧ではない。内部はアイアン・メイデンの針地獄さながらの危険地帯でもある。


「一か八かで技を出していては、命がいくつあっても足りませんよ?」


「当てられると思ってたんだけど……」


 眉間に皺を寄せる会に、梓は「当たりませんよ」と首を横に振った。


「私でも起こりが別ったんですから、感知の《方》を使い熟せる弦葉さんは、もっと正確に読むと思います。その結果、会様は空振りで自爆、その後――」


 梓は言葉ではなく、幻影を動かす事で答えとした。


 幻影の状態が沈み込み、会の足を払う。対数螺旋の動きをトレースした蹴りは、会の体重が乗った軸足を刈る位置。


 続いて対数螺旋を縦にイメージした跳躍。


 会の胸を狙い、跳び回し蹴り――先日の団体戦で陽大が見せたストライク・スリーと名付けられたコンビネーションだ。


「これで、会様はズタズタです」


 幻影であるから、攻撃は会の身体を擦り抜けてくれたが、実戦ならば陽大の圧勝に終わっている。


「座学も必要かも知れませんね」


 梓は少し考え込んだ。座学で使える文献は、生憎、梓も持っていない。


 ただ会に心当たりがある。


「あァ、それなら日曜日に弓削さんに聞いてみようと思うの」


 陽大を育てた弓削だ。


「……」


 梓は目を瞬かせながら会を見遣り、一瞬、言葉を詰まらせた。


「いいかも知れませんね」


 その間が持つ意味は、会が知っている。


「あ、弟子を取られるのが嫌?」


 悪戯っぽい顔と共に絵画出したのは、軽い煽りだ。


「……はい、嫌です」


 梓は笑顔で答え、二人は笑った。


 戦闘訓練は鬼家月派の屋敷で日常的にやってきたが、こんな風に笑った事は二人ともの記憶にない。

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