第11話「9割9分の低収益層」

 ――クソッ! クソッ!


 舞台上を女が血を流しながら走り回っていた。


 しかし、その出血は、今までの舞台からいえば軽傷とすらいえない、ただの掠り傷――比喩表現ではなく、本当に石を投げつけられて皮膚が破れた程度の傷から流れているだけ。


 原因は、周囲から投げつけられている念動の《方》だ。


 初勝利から、小川が世話をする百識ひゃくしきの先鋒は、これが定番になっている。


 ――殆ど効果がないくせに!


 威力は、女百識がいう通り。小石を投げつけられているくらいなもので、からこそ掠り傷程度の出血で済んでいる。


 だが、この念動は数の暴力に任せたものだ。


 しかしダメージらしいダメージはなくとも、これを障壁や、それに類する防御手段を講じて防ぐと、その場に貼り付けられてしまい、必殺の《導》を持つ者が攻撃してくる。


 ――クソッ!


 だから心中で繰り返している言葉と共に、多少の被弾は無視して突き進む選択をした。


 その光景に、案内人の小川は呟く言葉がある。


「無駄な努力、無駄な努力」


 呟くのではなく、呟かされると小川本人はいうだろうが、念動など致命傷にならないとフィジカルにものをいわせるが如く進むのが短慮であるのは明白である。


 確かにダメージらしいダメージはない。


 しかし流血は体力を奪う事を、身体を使う攻撃は下品とさげす六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの百識だけに分かっていない。


「そこか!」


 目に入らないように血を拭った女は、観客席の一角へ顔を向けた。


 ――何も無意味に《方》なんて受けてない! 一部、攻撃の感覚が違う所があった!


 小川は乱入者を客機に座らせて全方位から攻撃を仕掛けさせるため、人数的、空間的限界が存在する、と女百識は読んだ。


 ――並んで座ってるから、本命の《導》を撃つ奴は待機してるんだろ!


 観客席はすり鉢状になっているため、包囲は容易といえる。等間隔にぐるりと一周すればいい。


 ――ただ、等間隔に配置したら、本命のところだけ空間が空く!


 それを探るための代償なら、安いモノではないかと女百識はいう。


 隙を突くために集中力を保つには、待機が必ず必要である――。



 ただし、そこまでは小川と手考えられる事だ。



 女百識は、飛びついただけだ。女百識にとって、この隙はなければならないものだ。《方》しか操れない百識と、それすらできない小川が考えたものなのだから。


「次は私の番! 何の力もないクソ共! 安全な場所で待ち伏せしかできない醜悪な雑魚! その他の豚!」


 念動を放ってこない場所を見上げる。顔を伝う血が視界を奪うが、そんな事がどうしたと乱暴に拭いながら。


「みんな纏めて、火刑に処す!」


 自分の《導》は、小石を投げるような弱さや狭さとは無縁なのだ、と確信して。


「散華!」


 客席へと爆炎の《導》を放つ。本来、観客席への攻撃はタブーであるが、乱入が発生し、その乱入者が客席にいた時点で、そんな事は思考の埒外だ。


 爆炎は轟音と爆風を読んだ。念動の《方》を放っていた何人かと、その周辺にいた客は即死だろう。


 ――常識!


 それを、女百識はそう切り捨てた。


 ――私の知った事ではない!


 鬱陶しい念動を止め、今から舞台上の身の程知らずを……、



 と思った所で、女百識は敵を捉える事すらできなかった。



 耳に聞こえた呟きがある。


「散華」


 それは女百識と同種の《導》であり、予想外の方向から飛来してきたのだった。


「念動なんて、百識なら誰でも使える基本的な《方》だろう?」


 炎に津つまり他女百識を見下ろし、嘲笑を浴びせかける。


 女百識の三田井は、まるで外れていたという事である。


「俺がいつ、《導》が使えうるのは一人だけだといった?」


 女百識の見立ては、前提条件が違っていた。


 確かに周小川が指示した配置は、周囲をぐるりと取り囲むものだったし、確かに女百識へ必殺の一撃を放つよう指示していた者に、相手を釘付けにする念動での攻撃に加わる必要はないという指示も出した。


 女百識の思考が、そこでまでだった事に、小川は嘲笑を向けるしかない。


「攻撃の《導》を持った者が、一人は限らないだろ。一人しか用意できないと思ってたのか? だとしたら、俺が何人、百識を舞台に上げてきたか考えてなさすぎだ」


 百識を劣った者として扱うのならば兎も角、自分までも劣っていると思われるのははなはだ不愉快な話だ。女百識からすれば、大失態を何度も演じている小川は十分、劣等であるとしても、団体戦を二度も、しかも人工島で最大級の規模となるスタジアムで開催させた小川は、百識との繋がりだけは広いのだ。


 劣っているというならば、小川の方こそが相手へ向けたい言葉である。


「もう何人か、別の指示を出してるに決まってるだろう。念動の《方》など、基本中の基本として誰でも身に着けてるものなんだろう?」


 確かに隙を伺うために、念動の《方》を使わせていない者がいたが、それとは別に、念動の《方》を使いながら、相手の足が止まった時だけ狙うよう指示を出した百識もいる。


「それを見抜けない愚か者が」


 百識こそ、社会の生産に何ら寄与できないからこそ、こんな所で、道徳を場代にして、命を賭ける戦いをして小銭を稼いでいるのではないか。


 そして愚か者と言えば、今、今度こそ致命傷となる炎の《導》を受け、のたうち回る女百識を見て歓声を上げている観客にも、小川はそういいたい。


 ――観客席への攻撃はタブー? いいや、違うだろ。


 観客こそが勝敗を決める存在だといわれていたのは、もう過去の事だと小川は考えている。


 確信したのは孝介たち9人とルウウシェたち9人が戦った時。


 ――観客など知った事かと《導》を放とうとした上野こうずけアヤの姿に、終了の判定を下せなかっただろうが。


 それは即ち、勝敗を決定できる観客は、こんな野ざらしの観客席にはいない事を示している。


 ――当然の事だな。1割の高収益層というが、この席には俺でも座れている。


 高収益層の中でも、更に細分化されているのだ。


 そして本当の――年収5千万以上、金融資産3億円以上といわれている――高収益層は、もっと別の場所で、この観客席で似非高収益層が即死する様を、新しい刺激と判断しているはずだ。


「新しい時代、俺の舞台」


 観客席に座る以上、安全圏などない――この人工島の縮図のような舞台だ。


「聞けよ、主催者」


 さて、月兄弟に届いただろうか?

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