第31話「遅かりしとはいわせない――2対2」

 ルゥウシェの攻撃が見えた瞬間、真弓まゆみは周囲がスローモーションになったような錯覚を覚えた。


 それが俗にいう死に際の集中力なのかも知れないが、見えたというだけで、時間を超越して自由自在に動けるという訳ではなかった。



 だがスローモーションになれば、乙矢おとや直伝の魔法を使うには十分な余裕となる。



「ちちんぷいぷい、ビビデ・バビデ・ブゥ――」


 全ての奇跡をその一言で起こす乙矢の魔法は、あらゆる制約を無視できるとはいうものの、ただ一つ、絶対のがある。


 使用者本人の感性、価値観だ。


 一度でも発動させられれば、ルゥウシェの《導》を無効にしてしまうどころか、存在そのものを抹消してしまう事すらも可能であるが、それを使用者が想像できないのならば不可能だ。


 そして真弓の気性は、それを想像できなかった。


 誰かを、もしくは何かをなかった事にできない気性は、数年前に作られた。


 14歳のあの日、急性虫垂炎で手術をしなければならなくなった日だ。


 真弓の血液型が、O型の父親とB型の母親からでは、極々、低い確率でしか生まれないA型だったと分かった日だ。


 何もかもが変わった。食卓から話し声が消え、父親から笑顔が消えた。


 真弓の誕生日も祝わなくなり、両親はバラバラのまま、ただ同じ家に住む他人になった。


 父親を恨み、母親を呪い、今も名乗り出てこない本当の父親に憎しみを募らせた。


 ――お父さんは寂しそうな顔ばかりするようになったし、あまり話さなくなった。私の顔なんて見たくないし、お母さんの事なんて大嫌いなんだろうなって思うんだけど。


 基に真弓が自ら語った台詞だ。


 一つ屋根の下に暮らす他人になった父親は、それでも黙々と自分のすべき事を熟している。特別な日を失った真弓だが、今も学校に通い、乙矢との付き合いを持てているのは、両親が放り出しても良いはずの何かに耐えているからだ、と真弓は乙矢から教えてもらった。



 なかった事にはできないのだ、何事も。



 母の裏切りも、父の悲哀も、事情を知らないというのもあるが、全て今の自分と繋がっていると考えられる。それを教えてくれた乙矢も、一連の事がなければ知り合えていないのだ。


 だから今、耐えられる術を発動させられた。


 ――歪ませない!


 障壁を展開させる。ルゥウシェが放った二種のリメンバランスは、互いに混じり合い、歪ませよう、曲げようとしてくる。それを防ぐイメージだけは確実に出来る。


 展開させた障壁にルゥウシェの《導》が圧力をかけた。


 ――鳥打とりうちくん……!


 その圧は、否応なく真弓に基の姿を思いうかべさせる。あと何秒かでも早く乙矢と真弓が到着していれば避けられた、と今でも思ってしまう光景だ。


 障壁越しでも分かる圧力は、それでも尚、真弓の身体をあらゆる方向へねじ曲げていこうとしている。スパローとゲイルの二つの《導》が混じり合い、より大きくなったものだ。真弓の技量では完全に無効化する事はできなかった。


 それでも耐え、次に来るルゥウシェのアクションに注視する。


 防御は完璧ではないからこそ、気を張り、動ける態勢を作る。


 ――細剣は大丈夫? もう一度、波動砲を放てる?


 有効な距離さえ保てれば、ルゥウシェに波動砲レールガンを回避する手段はない。ルゥウシェの《導》は――防御にも転用できるが――攻撃のみ。感知の《方》を持たないのであれば、波動砲が持つアドバンテージは絶対的だ。


 ――逃さない!


 細剣を握る手に力を込める。ルゥウシェの追撃が止まれば、即座に波動砲を撃ち込むだけだと腹を決める。


 だがルゥウシェの追撃は……ある!


「リメンバランス!」


 距離を取ったルゥウシェの右手が伸ばされた。


 それは隙だった。次にルゥウシェが放つ《導》は、身振り手振りと共に操らなければならないものではない。照準を突けるように伸ばす手は、その一瞬だけは無防備になる。


 矢矯や弓削ならば踏み込んでいったはずだ。二人の最大戦速は時速1200キロにも及ぶ。この距離ならば、《導》が止まる一瞬は無限に等しい時間だ。


 乙矢ならば、すぐさま波動砲を発動させた。電流を流すレールは両手で保持しなければならないという事はなく、魔法で宙に浮かせてもいい。


 その3人――安土陣営の三巨頭に対し、真弓が劣っている点は、正にこの点。


 攻撃に対する適性、舞台の経験値が不足しているが故に、全ての行動が一拍ずつ遅れていたのだ。


 だから不破の波動砲であるが、逃してしまう。


「ダイヤモンドダスト――大紅蓮だいぐれんの記憶!」


 一瞬の差でしかなかったとしても、ルゥウシェのダイヤモンドダストも、スパローとゲイルが混じり合った《導》の中へ加えられれば、大きく範囲と威力を増させる。


 障壁のきしみが大きくなり、遂に《導》に屈する!


「!?」


 大紅蓮――残酷なまでの寒さが何物をも凍らせ、爆裂させ、赤い蓮の花のようにされるという地獄の名を持つ《導》は、真弓の顔を苦痛に歪ませるくらいでは済まない。



 腕一本、足一本で済む威力ではなく、命を落としかねない深刻な打撃を与える。



「この……ッ」


 そんな中でも尚、真弓は細剣を構え、弾体を挟み込む。超伝導金属と化した細剣に電流を流し、弾体を――、


 ――ダメか……?


 身体を蝕む《導》が、魔法を発動させる一瞬すらもも握りつぶしていく。


 声が出ない。


 声だけでなく身体が動かなくなる。


 それは全て乙矢の魔法には不要のものであるが、真弓の想像力、適応力が追い付いていなかった。


 ならばルゥウシェの三重にかけた《導》ま餌食になるしかないかといえば、そんな未来は阻止された。


「おおおおッ!」


 その雄叫びは苦痛の悲鳴か、それとも気合いの咆哮か判断しにくいが、兎に角、雄叫びをあげて孝介が《導》の中へ飛び込み、真弓へ体当たりする勢いで力尽くの救出を敢行したからだ。


 無論、無傷で済むはずもないが、死地を脱したのは確かだ。


 そして皮肉な事に、これが今まで視界にも入れていなかった孝介の存在を真弓に意識させる切っ掛けにもなった。


「ありがとう……」


 まず口にしたのは礼。


 だが次に出て来たのは、真逆の言葉だ。


「でも、ルゥウシェは私がたおす。邪魔だけしてなければいいから」


 2対2のチーム戦で挑む気はないのだ。


「なぁ……」


 孝介は黙らなかった。呪詛を振り払う事も忘れての突進であったから、孝介の声は掠れていたが、真弓を制するには十分だった。


「ちょっと、手伝えよ」


 1対2が二組ある状態では、どこまで行ってもジリ貧だという事は、孝介の目から見ても明白だ。


「鳥打くんの仇を取らせて」


 真弓は構うものかと吐き捨てた。ルゥウシェを斃し、乙矢の到着と共に乱入で石井を仕留める――それで決まりというのが真弓の中で完結しているシナリオだ。


「あの光景を見てたら、何もいえない」


 その言葉に込められているのは、基の最後を見た訳でもなく、また基のように舞台に上げられている事情がある訳でもない孝介の反論は許さないという凄みだった。


「ああ。見てねェよ」


 孝介も、自分が舞台に上げさせられているのではなく、自らの選択――それもバカな選択肢を選んだ結果だ。


 しかし近しい者の死は、真弓にないと断言されては堪らない。


「でも、この舞台で、俺は姉貴が斬られて生死の境を彷徨ってる。俺の恩人は、盤外戦術に填められたのか、病院送りにされて容態も分かってねェ。二人とも、原因にいるのは、あの女なんだよ!」


 ルゥウシェを斬りたい、斬る理由があるのは真弓だけだとはいわせない。


「邪魔しなけりゃいいって話じゃねェんだよ。乱入すれば良いとか、アホな事いうな! この状態で総力戦か? 全員、生き残れるのか!?」


「……ッ」


 真弓は歯軋りしただけで、反論はできない。


 その通りだ。


 乙矢が乱入した時点で、全員が衝突する総力戦になる。そうなった時、限界に達してしまったはじめ神名かなが無傷で済む保証はない。


「――」


 真弓の返事は、ルゥウシェと石井が待つはずがなかった。

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