第35話「俺を世にあらしめるとしたら、それは貴様を斬る事だけだ!――1対1」

 終局が近づいている。


 医務室でも必死の救命措置が取られているが、状況はかんばしくはない。女医もスーパードクターだのゴッドハンドだのといった称号とは無縁なのだから。


 ――厳しい!


 外科的、内科的処置と《方》の組み合わせも万全ではない。海家かいけ涼月派すずきはの《方》があるならば話は別なのだろうが、女医が使える《方》は、そこまで何もかもを治せるものではない。


 ソロモンとインフェルノ――熱を操る二つの《導》に晒された陽大あきひろの身体は、全身が焼け爛れている。場合によっては皮膚移植が必要な状態だ。


 美星メイシンのオールインを刃と共に受けた仁和になも、絶命しなかったというだけで、致命傷をもらっている。美星が振るっていたのも、石井が作った日本刀だ。最初に流し込まれた呪詛は無害化できたが、最後の呪詛は今も生きている。


「処置は《方》に移す! 呪詛を除去しないと何もできない!」


 声を荒らげる女医だが、自身の《方》では完全除去できない事は明白だった。チャンスが生まれる度に大きな血管を縫合していくという綱渡りを繰り返していた。


 仁和だけ、あるいは陽大だけならば何とかなったかも知れない。


 だが二人同時に《方》を浴びせるのは荷が勝ちすぎた。


「汗!」


 汗を拭うように指示する言葉も短くなっている。輸血と投与される薬剤の量は増える一方だ。


 そんな火事場さながらの中心にいる仁和は、不思議とそんな自分を俯瞰してみていた。


 ――私……。私だ……。


 それが臨死体験だなんだというつもりはない。元々、感知の《方》が弟よりも強かった仁和は、身体に残った《方》が伝えてくる情報だと思う方が強い。


 そして仁和の目に映るのは、女医の奮闘が及びそうにない事だ。


 ――死ぬかな?


 どうしても、そう思ってしまう。


 胸に去来する感情が恐怖でない事だけが救いだろうか。


 去来するのは、恐怖ではなく、悔い。勝利できなかったのだから、どうしたところで悔いは残る。あの状況になってすら、矢矯が愛しているといった女を斬れなかった。


 ――舞台は、どうなってるんだろう?


 陽大と合わせて二敗したのだから、いよいよ孝介たちは追い詰められている。


 自分より後に運び込まれてくる仲間がいないのだから、その後は勝利を重ねていると信じたいが、仁和が見ていられるのは、この室内だけだ。


 いや、辛うじて、聞くだけならば室外の音も聞こえてくる。


 ――?


 その音が、不意に届いた。



 何か重いものを引きるような音だ。



 ずるりずるりと聞こえてくる音は、床だけではなく壁もっている。


 ――何?


 意識が室外へと向くのだが、聞く事はできても、見る事はできない。


 ――誰かが……行く?


 医務室へ運び込まれてくるのではなく、医務室の外を通って舞台へと向かおうとしている音だ。また舞台から医務室へと来るならば、けたたましストレッチャーの音のはず。


 感知の幅を広げていくと、引き摺る音と共に息づかいも聞こえた。


 ――人?


 肩で息をしている程、消耗した人間の呼吸だ。


 そして荒れていても、特有のリズムがある事を仁和は知っている。


 知っているリズムだった。





 ステージ上は、絶望の色を濃くしていた。


 孝介こうすけは逃げの一手。しかも勝利へ繋がるものではない。隙を伺うといえば聞こえは良いが、どう贔屓目に見ても死ぬ時刻を先延ばしにしているだけだ。


「そろそろ諦めろ!」


 このヤジも初めてではない。二度や三度ですらなく、ブーイングと共に繰り返されている。


 ルゥウシェのインフェルノは、バッシュよりも精密だった。バッシュが得意とするインフェルノだが、リメンバランスをバッシュと美星に教えたのはルゥウシェだ。師が弟子より下手であろうはずもない。


 巨人の腕を思わせたバッシュのインフェルノは、ルゥウシェが操れば多頭の怪物の如くうねりを上げて襲いかかってくる。


 当然、二次元的な動きではなく、フェイントも織り交ぜてくるのだから、隙を伺うどころではなかった。


 ――クソッ、クソッ!


 孝介の毒突きも、声にすら出せなかった。余裕がない。そしてインフェルノだけでなく、孝介の体内に燻る呪詛も威力を上げようとしていた。抑える限界が近づいている証しだ。


 はじめ神名かなはどうする事もできず舞台を見つめている。


 観客は、もう飽きている。



 だから、その異変に気付いたのは、観客が先だった。



「おい、あれ!」


 観客が指差したのはステージの外。


 身体を引き摺るようにして入ってきた一人の男だ。


 赤いサーコートとグローブ、黒いトラウザース、黒と赤のツートンカラーのブーツに、白い羽の付いた帽子……、


「ベクターだ!」


 矢矯やはぎだと観客が歓声をあげた。ルゥウシェと最も大きな因縁を持つ男が、やっと登場したのだ。


 ――ベクターさん!?


 思わず振り向いてしまった孝介は、本当ならばそこで死んでいただろう。


 だが矢矯が現れたのがルゥウシェの正面だっただけに、ルゥウシェの方が先に《導》を止めた。


「ベクター……」


 ルゥウシェの両目が真っ赤に燃えた。最も殺してやりたい男が眼前に来たのだ。


「……」


 身体を引き摺りながら、矢矯はステージへと歩いて行く。複数の薬をオーバードーズしたのだから、本来ならば動けるはずがない。特にカフェインは劇薬であり、代謝によって体外へ排出されるのを待つしかないものだ。


 精密な制御を必要とするのが矢矯の《方》であるから、こんな状態では念動も感知も完全とはいい難い。


「何しにした?」


 ルゥウシェが怒鳴りつけた。


「……」


 矢矯は答えない。


「バカなの? 死ぬの?」


 ルゥウシェの挑発。


「……」


 それも答えない矢矯は、ステージに上がる寸前で足を止めた。


 鞘に収めた剣を持ち上げ、孝介を、次いでルゥウシェを見遣る。どういう状況かを判断するのは容易たやすい。孝介は呪詛を克服できておらず、ルゥウシェと戦える状態には程遠い。ステージ上の惨状を見るに、インフェルノを避けるのに精一杯で、未だステージ上に倒れている石井を利用するような手段も思いついていない。


「大人しく見ていろ。お前の弟子のうち、既に女はメイが斬った。この野郎は、私が――」


「おい!」


 ルゥウシェの挑発に、矢矯が怒鳴り声で割り込んだ。


「何をしに来たか? 簡単だ!」


 矢矯は四肢に《方》を行き渡らせた。


 仁和がいないのだから、何かがあったくらい分かる。


 孝介の状態も知っている。



「俺を世にあらしめるとしたら、それは貴様を斬る事だけだ!」



 自らが課した役目は、二人を守る事だ。


「やってみなさいよォッ!」


 ルゥウシェが日本刀に持ち替えた。


 ――この見下げ果てた男を斬るための神器名刀!


 来いと睨み付けるルゥウシェ。矢矯が剣を握り、ステージへ一歩でも踏み出せば乱入した事になる。


「今、何分、動ける? 何秒? まーた一秒でも無限大なんていうんじゃないでしょうね、恥ずかしい奴!」


 怒声に罵声を加えるルゥウシェだったが、孝介は飛びつくようにその視界を遮った。


「出さねェ!」


 有りっ丈の言葉で叫んだのだった。

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