第36話「孝介の覚悟――1対1」
だが孝介はルゥウシェに矢矯を隠すように立ちはだかり、
「出さねェ! ベクターさんは、絶対に出さねェぞ!」
火を吐く叫びであるが、それを吐き出した孝介へ向けられるルウウシェの笑みは冷笑だった。
――何いってんだくらいにしか思ってねェよな!
その冷笑に向かって、孝介は
――俺とベクターさんの二人がかりでも勝てるって思ってるんだろ! こんなズタボロなベクターさんなんて、クソ雑魚だって!
背後にいる矢矯の姿は、孝介から見ても最悪の部類だ。身体を引き摺り、歩くのもやっとという状態では、精密な《方》のコントロールなど不可能であり、
だが最悪の状態であるからこそ、孝介には浮かぶ言葉がある。
――そんな状態でも、来てくれたんだ。
矢矯の一言が胸に浮かぶ。
――俺を世にあらしめるとしたら、それは貴様を斬る事だけだ!
孝介と仁和を救うために、無理に無茶を重ね、動かない身体に鞭を入れてやってきたのだ。
――いつも、そうだったんだろ。
矢矯が身体を壊す原因となったのも、後先を考えずに仕事を詰めに詰め、持てる力を全て注ぎ込んだためだ。
――貴様は、
ルゥウシェがどういおうとも、矢矯は自らの全てを美星に捧げてきた。
ルゥウシェの貧乏劇団を維持したいといった美星を手伝った事も、ただ美星を自分の思い通りにしたかったからだと断じる事は、孝介にはできない。
――暇つぶしでやってるんじゃないんだぞ!
たまたま時間があったから、その時間で気が向いたから手を貸したのではない。
――俺と姉さんに、全てを教えてくれた!
時間を作り、無償で行ってきた。
自分が持つ全てを、孝介にも美星にも捧げてきたのだ。
――ここまでの事を、誰ができるっていうんだ!
誰もそこまで求めていない。
美星やルゥウシェは、矢矯が勝手にやった事だというだろう。
だが孝介は、いわない。
「そりゃ、何も欠点がない人じゃない。問題だって、いっぱいある」
ルゥウシェを睨み付けながら、言葉を紡ぐ孝介。
「金のためでじゃない。栄誉のためでもない。命を賭ける理由なんてどこにもない。ただ、女の子を踏みにじろうとしてる世話人と、その駒と戦ってる俺たちを助けるためだけに!」
背後にいるはずの矢矯の姿が、眼前に浮かぶ気がした。
「事の善悪は別にして、ただ勇敢であるという一点で、どこに出したって恥ずかしくない人だ! それが、俺の師匠だ! だから出さねェ!」
矢矯は、ルゥウシェが嘲笑していい相手ではない。
身内のヌルさしかない劇団にしかできず、その維持のために他者から吸い上げ、吸い上げられなくなった矢矯に恨み言をぶつけているルゥウシェに、何をいう資格があろうか。そもそも美星の事にしても、主観でしかものをいえないルゥウシェが中立の第三者という顔をしているだけでも、矢矯に比べれば見下げ果てた女だ。
「ハッ……」
ルゥウシェの顔が朱に染まる。百識としての格も年齢も下の孝介から、ここまでいわれれば頭に来る。
「孝介くん」
ルゥウシェの怒声を制したのは、矢矯だった。
「!」
その手から孝介へと投げ渡されるのは、矢矯の剣。
「武器がいるだろう」
使えと矢矯はいった。孝介の剣は折られている。代わりだと剣を渡したのは、矢矯は乱入する気はないという事。
――見守る。
陽大が望んでいた事と同じだ。
「もう一度、折ってやるわ」
日本刀を構えるルゥウシェだが、矢矯は「はん」と鼻先で笑い飛ばした。
「折れるかよ」
顎をしゃくって孝介を指す矢矯。
「その剣は、折れない。何故なら、孝介君が折らせないからだ」
孝介の矜恃が剣を押させないのだ。
「やってみなさいよォッ!」
怒鳴り声と共にルゥウシェが動いた。
――こいつが、あんたに叩きつけるはずだった《導》だ!
孝介を文字通り消滅させようと日本刀に《方》を灯し、《導》へと進化させる。
「ッッッ!」
対して孝介に叫び声はない。
――集中しろ! 集中させろ!
集める。
体中から集め、集中させるのは、今まで自分が身に着けてきた《方》だ。
――見守ってくれるってのは、心強いものだったんだな!
陽大の境地が分かった。
背後に誰かがいてくれる事は、守ってくれる事に等しい。
そして、その相手が矢矯ならば――、
「ベクターさんがいる! 俺が死んでも、お前が倒れてたら、俺たちの勝ちだ!」
孝介も相打ちになれば、戦績は2勝2敗2分だ。
ならば矢矯が来た、そして弓削と乙矢が近づいている今、勝利は自分たちの側にある!
――斬るぞ! 斬られるぞ!
ここで孝介が辿り着いた境地があった。
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