第12話「雁字搦めの行き止まりは、逃げた事への罰」

 二戦分の時間は失われたが、それでも幾ばくかの時間はあった。


 空島そらしまの《導》は、石井の刀に宿っていた怨敵必殺の呪詛じゅそを餌として貪り食い、7人の身体に強靱さとして宿したが、それだけで必勝の態勢だと自家に攻めてくる様な事はしなかった。


 ――慣れるまでは来ない。


 安土あづちからの連絡を受けた矢矯やはぎは、そう断定した。


 小川は自分へのペナルティを、自分の駒を使って消化しつつ、矢矯やはぎ弓削ゆげあずさへの制裁マッチを行おうとするのだからレバインたちが来る、という点は安土と共通認識を持っており、そのレバインだからこそ来ないと断定できた。


 ――相手が狙ってるのは、単純に俺たちを殺したい訳じゃない。


 矢矯の認識も安土と共通していた。


 ――自分たちは優れているってアピールしたいんだろう。


 落ち目となったルゥウシェたちを狙ったのも、小川の復讐戦という意味もあるが、レバインたちの名を上げたいという欲求があったからだ。


 ――力を使つかこなせるようにならなければ、こちらを完封する事なんてできないんだから。


 矢矯の見立ては正しい。


 落ち目のルゥウシェを倒しただけでは、レバインたちが六家りっけ二十三派にじゅうさんぱに比肩するという証明にはならない。


 ルゥウシェたちに勝利した矢矯たちを、それを上回る力を見せてたおす必要がある。


 ――なら、もう少しでしょうけど、時間がありますよ。


 安土もそういえる状況である。残された時間は長いとはいえないだろうが、短いともいえないくらい、という状況のはず。


 だから矢矯は今夜、的場まとば姉弟きょうだいの家に来ていた。



 たまに三人で夕食を取る事がある、そんな夜だった。



 安土からの連絡は、くまでも当事者である矢矯、弓削、梓の三人のみだ。当事者以外にいえば情報の漏洩に繋がると分かっているからだ。オフィスは鉄のカーテンで囲っているが、近所の赤提灯あかちょうちんで情報がダダ漏れだった、などという事は、それこそ世の中には掃いて捨てる程、ある。


 安土の上手いところは、矢矯や弓削がこういう情報を漏らす性格ではないと把握しており、そういう百識ひゃくしきを自陣営に迎えている点だ。


 ――こちらには、特別にする事なんてものはない。


 矢矯はテーブルに肘を着いてキッチンを眺めながら、フッと口の端を吊り上げて笑った。


 矢矯と弓削の《方》は特別な訓練を必要としない。日常生活を《方》による身体操作で送る事が最も効率的で、究極的な訓練になる。攻撃に関しては、フォームを身体に叩き込む必要があるが、それは副次的なものといえる。


 今、キッチンで料理をしている仁和は、もう完全に身につけている。


 ――たったこれだけの期間でだ。


 孝介もいるのだから、万人に一人の適性とまではいわない矢矯だが、二人とも、自分以上に水が合ったという事だけは分かる。


 いずれは矢矯と同等の技術を身につけられるという直感が、矢矯の中に生まれるのだが、


「そうじゃないな」


 思わず口を突いて出てしまった言葉は、矢矯にとっては些か大きい声だったようだ。


「何かありました?」


 ダイニングと隣り合ったリビングスペースでテレビを見ていた孝介こうすけに、怪訝けげんそうな顔を上げさせるくらいには。


「ん? いや……」


 一度は言葉を濁す矢矯。


 ――《方》の扱いがいくら上手くなっても、他に使い道がない。


 矢矯が思うのは、それだ。



 百識の実力を伸ばしても、実生活では何の役にも立たない。



 六家二十三派に繋がっていて、当主争いをするというのならば話は別なのだろうが、新家である矢矯は的場姉弟には関係がない。


 だが二人が目標としている事に関しては、《方》が有効である事も確かだ。


 それらが矢矯に言葉を濁らせた理由であるが、矢矯は軽く頭を左右に振ると、


「どこかで舞台から降りる算段を立てないといけないなと思ってね」


 このまま舞台に上がり続けるのは現実的ではない。得られる金額に対し、リスクが高い。孝介こうすけ仁和になが五体満足でいられるのは、運がいいに過ぎない。怪我ならば治療が可能とはいうが、舞台の医者は闇医者だけにコストも高い。


「手元に残るのが小銭に過ぎないんじゃね……」


 デビュー戦、ルゥウシェたちとの制裁マッチ、矢矯抜きで挑んだ制裁マッチ、明津とアヤとの一戦、石井戦、雅戦――これだけの戦いを経て、得られた金も大金だが、治療費も莫大だった。


 最後の聡子さとこの命を賭けた一戦では、賞金らしい賞金は出ず、仁和も孝介もギリギリの勝利でしかなかったのだから、貯めていた賞金は殆ど吐き出す事になってしまった。


「そうですね」


 孝介が溜息を吐かされていた。


「本当の事をいうと、降りられるなら、もう降りたいと思ってるんですよ」


 軽い自嘲を浮かべるのは、こういう展開が嫌になったから、という訳ではないからだ。


「コレしかないと思って上がった舞台だったけど、間違った方法だったというの、よくわかったんですよ。割に合わないとか、そういうのじゃなくて」


 コレしかないと自縄自縛になって選んだ道は、それこそ行き止まりにしか繋がっていなかった。世の中、デフレだというが、命までデフレになっているのが、この舞台だ。ルゥウシェやアヤのような、一方的に瞬殺できるような《導》があれば、手元に残るのが小銭という事はないのかも知れないが、それでもルゥウシェは三連敗し、三敗目には命を落とした。


「割に合わないとか、そういうんじゃなくて。本当に俺や姉さんに必要だったのは、こういう舞台で一発逆転なんて狙う事じゃないって」


 目を伏せる孝介の視野の隅に、ダイニングテーブルへ置かれた鍋敷きの上へ鍋を置く姉の手が入った。


「何か掴めた?」


 そう仁和が訊ねると、孝介は「ああ」と頷く。


弦葉つるばの事だよ」


 挙げた名前は、ある意味では意外で、ある意味では順当だった。


 強制的に舞台に上らされ、戦い続ける事だけを望まれた少年に対し、孝介は軽いコンプレックスを懐いている。


「弦葉を見てると、本当に必要なのは、コツコツ働く事なんだって思った。苦痛に耐える、粗食に耐える……そんな事の方が、本当は舞台に立つ事よりも安全だけど厳しい道だ」


 孝介の言葉に、矢矯は瞬きする事も忘れてしまう程、驚かされた。


 孝介が至った境地に対してだ。



「舞台に立つって事は、そこから逃げてるって事だ」



 それは矢矯が求めていた点ではないか!


「舞台から降りる。来年一年、何とかできたら、俺と姉貴が二人で働けば、貧乏かも知れないけど、父さんと母さんが残してくれたものを守って、生活していく」


「現実から逃げずに、ね」


 仁和も弟の意見に賛成だ。


「なら――」


 矢矯が軽く手を上げた。


「次の戦い、相手は7人。こっちは何人か休める。孝介君と仁和ちゃんは休むといい」


 矢矯は孝介と仁和に視線を往復させ――、



「俺が、その分を稼いでくる。最後の舞台にするんだ」



 浮かべたのは、きっと精一杯の笑みだったのだろう。

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