第4話「同族は、もう一組」

 ――障壁といっても、こういう使い方はイレギュラーです。


 弓削ゆげはそう教えてくれた。


 ――防御の手段ですから、普通に使う場合は、自分に向かってくるものを全て防ぐように展開させればいい。ですけどピンポイントで防ごうとする場合は、ちょっと調整してやらなければならない。


 そういわれたのは、孝介こうすけが障壁を張って防ごうとしているのは、脳への信号だからだ。全てを遮断してしまう事はできない。


 ――出て行く信号は素通り、入ってくる情報は遮断する……。


 最初に孝介が考えたのは、そんな使い方だった。判別すべきものは二種であるから簡単だったのだが、それは失敗に終わる。目や耳が捉えた情報さえもストップさせてしまうのだから。


 ――使いモンにならねェよ!


 感知の《方》があるから、視覚、聴覚からの情報は必要ないと断じる事はできない。矢矯やはぎの教えで重要視される2点は、「単一行動を確実にこなす事」と「自分の感覚を確実にフィードバックする事」だ。五感から得られる情報は全て重要で、代わりがあるからと切り捨てる事は自殺行為となる。


 ――そんな事をいっている場合じゃねェか……。


 全ての感覚を加減して閉ざす。弓削は念動と障壁は親和性が高いといったが、やはり細かなコントロールまでも容易い話ではなかった。


 その状態でできる事といえば――、


「クッ……くく……」


 弓削が借り上げている倉庫で、孝介は歯を食いしばっていた。



 頭に入ってくる信号を選別するには「作業」が一番という事で、弓削の古本屋の手伝いを始めたのだった。



 こういった訓練はいつもの修練でも可能だが、矢矯にも仁和になにも黙ったまま舞台に上がり、それによって回復させがたい呪詛じゅそを受けたなど、二人には知らせられない。


 ――あまり高くはないですけど、バイト代も出しますよ。


 それならば仁和へのいい訳もできるだろう、といってくれた弓削の言葉は、渡りに舟だった。見知らぬ相手ではなく、元々、イラスト教室で一緒になっていた弓削である。安土あづちと親交があり、聡子さとこの一件で手を貸してくれた相手が誘ってくれたのならば、仁和も安心できる。


 とはいえ、苦痛を残したままの肉体労働は難儀させられる。


「……古本屋って、もっと違うイメージがあった……」


 段ボール箱を床に置きながら、孝介はこめかみの辺りを押さえた。呪詛がもたらす苦痛と、肉体疲労からくる頭痛を選別し、仮に押さえるという行動を繰り返していた。


「それは、新古書店?」


 同じ作業をしている陽大あきひろは、首にかけたタオルで汗を拭いながら顔を向けた。


「ああ、うん。そう」


 返事をした孝介は、段ボールを一瞥し、


「バーコードを使ってパソコンに記録して、入ってくるのと出ていくのを比べればいいってくらいにしか思ってなかった」


 肉体労働は少ないと思っていたのだ、という孝介に対し、陽大は軽く肩を竦めるのみ。


「バーコードもパソコンも使ってるけど、金額の事をバーコードで査定しようと考えてるなら、潰れるよ、そんな古本屋」


 陽大も同様のイメージを持っていたが、今はもうない。


「そういう大手と違って、うちは流通業、物流業でもあると思ってないとダメだって、弓削さんにいわれる。売買のバランスが取れるのが最低条件」


 黙っていても物が揃う大手――この場合、靖国通りに自社ビルを持っているくらいのものを指す――ならば、純粋に商材として扱ってもいいのだろうが、そういう大地主でもない限り、こういった整理を黙々と続ける事が第一となる。


「本やフィギュアを商材くらいにしか思ってないんじゃ、零細の古本屋は管理不能になった在庫に押しつぶされるって」


 この辺は陽大も弓削から教えられた。


 とはいっても、そう大きくはない。


 ――仕入れた分は、確実に売れ。


 それができなくなったら潰れるというのが、弓削が唯一、言葉として教えられる事だった。


 ――古本屋は資本は極小でいいし、在庫になるものは市場で換金可能、売買は基本的に現金、製本されたものには偽物が殆ど存在しないから、何とかうちみたいな零細でもやっていける。


 だからこそ、今、二人がやっている在庫管理は重要な仕事だ。管理不能になると、零細どころか大手でも立ち行かなくなり、その立て直しは極めて難しい。在庫の市場価格は、常に把握しておかなければならない事だ。


「何か、新古書店の求人を見てたら、パソコンスキル、SNSへの発信、英語や中国語……割と色々なのを書かれてたけどな……」


 孝介が思い出した、そのバイト代は時給1000円程度だった。それは陽大も見た事がある。時給1000円では生活していけないから無視するしかなかったが、今ならば思う。


「そんなスキルがあったら、自分でやった方が早い」


 事実、陽大には多言語は疎か、パソコンスキルは並以下であるし、SNS発信とて難しい。人を引きつける記事を書ける気など、全くしないのだから。


「働くって、舐めてたな……」


 弓削から提示されているバイト代は、そんなものではないのだが、孝介は顰めっ面をさせられていた。


 しかし、だからといって舞台に上り続けて金を稼ぐ気にはならない。確かに、この労働に比べればあっさりと大金が手に入るのだが、この仕事の数年分――時給1200円ならば年間2085時間で約250万円――その程度に過ぎないならば割に合わない数字だ。


 ――あの舞台は、命と、人を傷つけてもいい、寧ろ賞賛されるって道徳を金に換えてるけど、道徳って金になってねェよ。


「……住むところがあって、満足に食事ができて、優しいお姉さんがいて……いいじゃないか」


 陽大の声は、少しトーンが落ちていた。陽大とて、孝介に対し、思う所はある。陽大から見れば、孝介は恵まれている。陽大と違い、両親が鬼籍に入ってはいるが、その両親が遺したものは偉大だ。


 舞台に立つ必要があるかどうか、どうしても陽大の中で疑問が残ってしまう。



 ――上げさせられてる俺、自分で上がったこいつ……。



 孝介が抱いている感情と、それはよく似ていた。


 どうしようもない劣等感だ。


「道徳って、金にならねェな」


 孝介がどういうつもりでそういったのかは分からないが、陽大も「そうだな」と頷いた。





 だが、こう思える者は少数派だ。


 ――金になる。


 アパートの一室でスマートフォンを叩くようにタップしている女は、ハァと小さく溜息を繰り返していた。


 彼女が「金になる」といっているのは、陽大や孝介と同じく道徳と命――即ち、舞台の事だ。


 スマートフォンの画面に表示されているのは、ここ最近の六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの惨状だった。



 新家しんけに惨敗――。



 百識ひゃくしきは閉じられたコミュニティーであるから、知らない者は全く知らないが、知っている者は、より深く、より広く情報を得られる。


 女も百識の一人だった。


 矢矯、弓削によって惨敗した記事に対し、苦い顔をしているが、彼女が笑みを浮かべる記事もある。


 はじめともに勝利した一戦だ。


 山家さんけ本筈派もとはずは海家かいけ涼月派すずきはは、山家本筈派に軍配――これは決して良い記事とはいえないのだが、今の六家二十三波にとっては悪くない記事だ。


 彼女にとっては、殊更。



 風家ふうけ土師派はじは――彼女の生家である。

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