第1章「君がなくした僕の夢」

第1話「勝利、その代償」

 精々、擦り傷や切り傷くらいで、負傷らしい負傷のない孝介であったが、控え室に戻るのに仁和の肩を借りる程の消耗していた。初めての闘いで抱え込んだ緊張は、肉体的には兎も角、精神的には限界を超えてしまう程の消耗を強いていた。


「ごめん」


 控え室に戻り、椅子に腰を下ろせた孝介は、その短い言葉だけを絞り出した。仁和とて消耗しているのだから。


 肩を借りている時には気づかなかったが、姉は怪我をしている。


「お疲れ様」


 医師と共にやってきた安土は、二人に向かって不満足そうな声を向けてきた。


「お疲れ様です」


 仁和は怪我の痛みを堪えつつ挨拶を返したのだが、孝介の方はそれすらもできない。


 安土も期待していなかった。


「ギャラですよ」


 安土が片手に持ってみせる茶封筒はファイトマネーが入れられているのだが、それがそのまま二人の手に渡るわけではない。


 まずは医師へと渡る。


 医師の方は封筒を一瞥した後、姉弟の方を向いた。改めて見た医師は、目つきの悪い女だった。ひょろりと背が高く痩せ形で、お世辞にも美人とは言いがたい……と思うのは、孝介が抱いた第一印象が悪すぎたから、と言うだけではないはずだ。


「どっちも怪我らしい怪我をしてないでしょ」


 医師の方は、自分がどう思われているのかを悟った上で、気にするつもりがない。気にするのは患者の状態であるが、孝介の方は軟膏でも塗れば済む、仁和は流血している箇所はあるものの、深手ではない。


「縫うくらいの事は必要かしらね。応急措置に毛が生えた程度」


「傷跡が残るのは困る」


 姉が脱ぐから後ろを向けと言われた、孝介が声を荒らげた。


「残らないようにする。溶ける糸を使うから」


 麻酔が効いた事を確かめた医師は手早く針を動かした後――、


「うん……? これは、《方》ですか?」


 仁和が訊ねると、医師はフンと鼻を鳴らした。


「細胞を活性化させているの。すぐに塞がるし、後も残らない」


「便利なものですね。あっという間に消えていく」


 目を見張る仁和であるが、手放しに便利だと言える訳がない。


「身体の一部分だけ、それも一時的に活性化させるなんて、後でどんな影響があるかわかったもんじゃないけれどね。真っ当な医者が、真っ当な患者に使うものじゃないし、使われてきた記録もない」


 医師の口から出た、それらの言葉が示す事は、この医師が闇医者だと言う事だ。故に治療費も高額になるし、無論、健康保険など適応されない。


「無免許かよ」


 孝介が吐き捨てた。


「免許は持ってるわよ。開業届を出していないだけで。開業届を出していない医者も、闇医者に含まれるの。覚えておきなさいな、お坊ちゃま」


 最後の単語に強いアクセントを置いたのは、嫌みと皮肉だ。


「……」


 少々、頭に来るが、怒りにまかせて行動できない位の事は孝介にも分かっていた。


「明細は必要?」


 治療を終えた医師は、仁和に服を着るように指示する傍らで、安土へと顔を向けた。


「もらった事ないですよね」


 ククッと薄笑いする安土が茶封筒を指差すのは、二人のギャラから黙って引けと言う事だ。


 闇医者であるし、こう言った特殊な行為であるから、「医療費」を差し引かれたギャラは寂しいものになる。


 ――精々、小銭のために殺し合いやがれ!


 最後に飛ばされたヤジが、現実のものになってしまう。茶封筒の中身は、命と尊厳を賭けさせられたにしては、些か寂しい額にしかなっていない。それでも二人が生活していく分には、何ヶ月分かになった。


「助かります」


 礼など言う必要はないのに、茶封筒を受け取りながら頭を下げる姉に、孝介は思った。


 ――頭下げる必要なんてないのに。


 孝介が殊更、そう思うのは、手渡しながら出てくる安土の一言にある。


「滞納している税金や諸々を支払ったら、お終いになりそうだけれど」


「……チッ」


 言わなくても良い安土の一言に、孝介は思わず舌打ちした。自分でも随分な態度だと思うが、こんな気分なのだから仕方がない、と状況に甘える事にした。


 安土とて、それを咎めるつもりはなかったが、退室しようとした二人へ投げかける言葉はある。



 警告だ。



「ところで、乱入はあまり良くない……ううん。ああいう形での乱入で勝利する事は、はっきり言って悪い事。ヤジが大きくなったのが、何よりの証拠だから。近いうちに、また呼ばれますよ」


「……制裁マッチって所かしらね」


 医師がタバコに火をつけながら、フッと笑った。




 二人が住むのは、多島海を利用して作られた人工島。


 建設の経緯を遡れば、島の南に位置する通称「南県なんけん」で行われた住宅補助に関する条例の制定が挙げられる。内容は簡単な話で、「世帯毎に、家賃の半額を、上限25000円まで補助する」というものだった。


 中堅職員を対象とした政策立案研修の中で挙がった案が元となっていると言う。


 曰く「家族を持っている市民だけでなく、将来家族を持つ市民にも手厚く」と言う条例は、様々な問題を包括しつつも採用され、検討、実施された。「衣食住の内、住宅が最も経済的な負担となり、かつ公の手を貸しやすい」と言うのが立案した中堅職員の意見であったが、それがどこまで信じられるものかは分からない。言いくるめるだけの弁舌と、「コネ」があったのは確かだろう。


 元々、卸売りの規模が地方自治体としては有数であり、人口増による小売りを伸ばす余地を持っていた事、手本とした欧米での公営住宅の運営実態を綿密に調査した事が、危ういバランスではあったが条例を成功させた。


 また逆に小売りの規模が大きかった、島の北に位置する通称「北県ほっけん」との経済圏を確立させられた事も、大きな一因であると言われている。


 住むなら南に、仕事は北に――そう言うスローガンが持ち上がった頃、計画されたのが北と南を分けている多島海に人工島を建設する計画だった。


 好調な人口増を背景に、土地不足の解消と内需拡大と言う名の下――時代遅れのハコモノ行政、肥え太るのは建築土木と馬鹿にされつつ――行われた人工島建設であったが、今のところ目に見える問題はないという事にされている。


 公募により入居した居住民は、大まかに分ければ8割の低収益層と2割の高収益層に分けられる。


 元々、的場家は2割に含まれていた。二人が住む家は、公営住宅ではなく持ち家である事が、その証左となる。


 しかし両親を襲った惨禍が、それを覆した。


 慌ただしい葬儀に続き、なし崩し的に行わざるを得ない相続の結果、姉弟の手元に残されたのは僅かばかりの保険金と、自宅、そしてローンになった相続税だった。


 自宅を手放すという選択肢もあった。そもそも人工島は住宅補助がスタート地点だったのだから、姉弟二人が住める現実的な物件はいくらでもある。


 しかし両親が残したものを守る事を選択したのは、思い出を守るため、と言う理由ばかりではない。



 手放せば、もう戻ってこない、と二人はそう思ったからだ。



 足りない分は稼がなければならないが、二人の拙い経験と知識で得られる仕事では、その慎ましい――余人がどう思おうと、二人はそう思っている――生活も守れない。


 ――あの生活を維持するのに必要な金額は、年収で言うなら……?


 安土はそう計算していた。両親から残された自宅は屋根に太陽光発電を載せ、オール電化住宅となっているため、光熱費は限り無く0に近いが、水道代は2ヶ月で1万円、通信費は月2万円、食費はギリギリまで削っても育ち盛りの男子がいるのだから4万から3万円。そこに学費とその他を加えると、随分な額になる。あの姉弟の愚かなところだが、抜くに抜けない「その他」が、重い。



 二人は両親が残したモノを、何一つ手放さず、全て維持する事を選んだからだ。



 自宅の維持、保険の掛け金、乗れる年齢に達していないから、お荷物でしかない車――それ全てを、「思い出」と言う名の枷にしているのだから、当然、「慎ましやか」などとは言えない生活になる。


「600万?」


 思わず口に出した安土は、嘲笑を含ませてしまっていた。常識的に考えるならば、乗れない車など、まず最初に処分するものだ。自宅にしても、姉弟二人で百坪もの敷地は必要あるまい。単身者用のアパートならば、それこそ住宅補助があるのだから、4万以下で2LDKが借りられる。


 しかし安土の場合、二人を馬鹿姉弟と言うだけで終わらせる事はできない。


 ――制裁を、どうにかしましょうか。


 客に受けない乱入による決着だったのだから、確実に制裁マッチが組まれる。


 そして執行する力があるからこそ、こんな非合法な舞台を整えられる。


 的場姉弟を見捨てると言う選択肢も存在するし、その方が話が早いが、それを選択しないのが安土だ。


 ――薄く長く稼ぐ事が、私には重要。


 年に何億も稼ごうとは思っていない。世話人でそこまで稼げる者は希であるし、こんな仕事では希であればある程、恨みも買う。



 それ以上に、安土は的場姉弟を見捨てられない。そう言う「タチ」なのだ。



 ――慈善事業じゃないけれど、放っておけませんしね。


 理由を訊ねられても答えようがなく、それこそ「そんな気がする」くらいしか言えないのだから、そう言う性格なのだ。


 では、どうやって切り抜けるかを考えなければならない。


「……」


 廊下というよりも通路と言った方がいいような長い直線を歩いていると、丁度、今、舞台に上がっている者達が見えた。


 的場姉弟と違い、既に実績を持っているパーティだ。


 戦っているのは、黒地に白いラインが入ったフード付きクロークコートを着た男。前を閉じたクロークコートから覗く下半身には、ランプの魔神でもイメージしたかのような、わざとらしい程、太ももを太く、足首を絞ったルーズパンツとサボシューズ。


 フードを被っているため、ハッキリと顔は見えないが、覗いている口元から表情を伺う事はできる。


 笑って――微笑んでいた。


 微笑みながら翳す手の先には、渦を巻く炎の柱。



 それこそが《導》だ。



 渦を巻き、槍のように伸びる炎は、現実に人を焼き殺す事もできる。


 放っている男へのダメージを最小限にするため、周囲にまき散らす熱は少ないが、炎自体の温度は4桁に達しているはずだ。


 そんな光景に、場外で佇む女が手を叩いていた。同じデザインのクロークコートを着ているが、こちらは色が違う。白地に朱色のラインと好対照の色使いで、共通するのは胸から腹にかけて、金糸とラシャを使った、宗教文様を感じさせられるような意匠が施されているところだ。同じく前を合わせているクロークコートから覗く下半身も、好対照と言うべきか、ベルボトムにサボシューズを合わせている。


 そんな女の脇では、その意匠を共通項とする白地に銀ラインのコスチュームを着た女が戦況を見守っていた。こちらは揃いのクロークコートを着た男女と違い、フードがないため顔が見える。赤みがかった茶に染めた髪を舞台から流れてくる風に棚引かせている表情は、一方的な展開に安心してみていられると言う風。十人並みの風貌でしかないが、このコスプレかと思わされる姿になれば、なかなか整って見られるのかも知れない。そのコスチュームも、白を基調に銀のラインが入ったチュニックとカルソンパンツの色使いは兎も角、手甲と脚甲を着けているのだから、二人が魔法使いとすれば、彼女は騎士なのだろう。そう考えると今の姿が、やはり整って凜々しいとすべきだ。


 そんな二人が見ている戦況は、一方的だ。炎の柱は消える一方で次々と追加されていき、迷宮を作り出していた。隙間があるため壁とは言えないが、飛び込み、避けながら近づくのは二の足を踏まされる。


 ――ああ、これも制裁マッチですか。


 その光景を見て、安土は察した。



 黒いクロークコートの男と相対している者は、《導》が使えないのだ。



 もし《導》が使えるのならば、同じく何らかの反撃手段を執っているはずだ。炎に対し、氷を出すか、それとも稲妻でも放つか――この辺は、どのような《導》による攻撃が存在しているのか把握し切れていない安土には今ひとつ、分からないが――兎に角、自分の足下から炎の柱が出現しない事を祈るばかりと言う状態にはなるまい。


「……」


 惨状が広がり始め、安土ですら目を背けたくなるのだが、背けた先で、もう一人、男が立っている事に気がついた。


 赤のポンチョ風コート――いや、この場合はコスチュームであるから、タバード、もしくはサーコートと言うべきか――を纏い、黒のトラウザースに、赤地に黒のツートンカラーの長靴を履いている。つば付きの帽子を片手に持っている姿が、どこか所在なさげに映るが、この場にコスチュームを身につけて立っていると言う事は、この三人の仲間なのだろう。


 ――もしかしたら?


 ふと安土の脳裏に閃いたのは、そのサーコートの男ならば、引き抜けるのではないかと言う事だった。制裁マッチに誰が出てくるかは分からないが、断念させる事は不可能でも、考えさせられる程度の強者をチームに引き込められれば、当座の危機は回避される。


「……」


 端末を操作し、孤立した印象を受ける男の登録名をチェックする。公開されている名前であるから、本名ではあるまい。


 ――ベクター……ですか。


 矢印を意味する単語だ。


 意味のある単語であるから覚えやすくて良いのだが、他の三名に比べて戦果は芳しくない。《方》は使えるが、《導》はない百識だ。


 ――調べて見ましょうか。


 安土は端末を終了させ、足早に去った。

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