第284話 渦潮海峡の怪

▼セオリー


 船の縁から飛び降り、着水する。

 いよいよ、渦潮海峡・海中フィールドへ侵入した。水中ではあるけれど忍者視力のおかげで視界はクリアだ。周囲を見回して安全を確認する。


 遠目に大きな渦がいくつも見える。円錐を逆さまにしたような、白い泡をともなう巨大な渦潮だ。飲み込まれれば一気に海底へ引きずり込まれる。

 自然の驚異に息を飲んでいると、同じく周囲を観察していたシュガーが顎に手を当てて呟く。


「目指す先は海底なんだし、渦潮ライドも一考の余地ありかもな」


「初手で博打行動を一考するな!」


 こいつは一体命を何だと思っているのか。いやまあ、渦潮があるなら中に入ってみたいと思うのは仕方ない。それを実現できちゃうのもゲームならではの楽しみでもある。

 ソロでゲームを遊んでいたなら俺だってノータイム突撃していてもおかしくはない。それは認めよう。だがしかし、今はパーティーで行動しているのだ。


「初っ端からパーティー崩壊はご免だぞ」


「あっはっは、冗談だよ」


 冗談言ってる顔つきじゃあなかったけどな。

 とはいえ、このゲームも発売して1年半近く経つ。さすがに渦潮へ飛び込むのは数多のプレイヤーが一度は試していることだろう。それでもNPCが危険であり、推奨しないということは、そういうことだ。



 気を取り直し、真面目に海底へ向けて潜水していく。

 10メートル、20メートルと深く潜っていくとしだいに広大な海中フィールドの全容が分かってきた。海面に映っていた時は漁船を飲み込むほどに大きく見えていた渦潮が今では小さく見える。


 どこまでも澄んだ青が続く。

 遠く遠く目をこらせども果ては見えず、海面から差し込む光だけが唯一の頼りだった。


 ここからさらに深く潜っていくのか。

 海面近くはまだ明るかったけれど、20メートルほど潜っただけですでに周囲が暗くなってきたように思う。船長が言うには海底は200メートルほど潜った先らしい。海底へ目を向けると底は見えない。澄んだ青から急激に黒が塗り潰す世界へとグラデーションが生まれていた。


 思わずゾクリとして鳥肌が立つ。

 世の中には海洋恐怖症というものがあるそうだけれど、今ならそれもよく分かる。地に足がついていない頼りなさ、全方位を水に囲まれる圧迫感、先の見通せない未知への恐怖。ここには人の恐れるモノの全てが詰まっているのではなかろうか。


 しかし、まだ耐えられる。ここはゲームの中だ。今感じている恐怖は自分の想像が生み出している産物である。ゲーム自体は怖がらせにきていない。勝手にこっちが妄想膨らませているだけなのだ。ゆえに恐れる必要は全くないのである。

 よし、理論武装完了。ようは心頭滅却すれば火もまた涼し、つまりは気の持ちようである。ビビる心は論理で押し通せ。今なら暴論だろうとウェルカムだ。もし幽霊が本当にいるなら現世は幽霊の満員電車になっていなくちゃおかしくないですか!?

 いいぞ、恐怖心より暴論の方が強い。今ならイケる!


(よし、いくぞ!)


 ホタルとシュガーへ目を向ける。おや、二人の視線は一点に注がれていた。釣られて俺もそちらへ目を向ける。

 なにやら細長く白っぽいものが見えた。しかも、それはどんどん大きくなっていく。まるでミサイルのような速さでこちらへ接近してきているのだ。


「やばぁっ!」


 咄嗟に三人とも散開して回避行動を取る。狙いは俺だったようですぐ近くを白い塊が通り過ぎる。まさにミサイルのような形をしており、中腹付近に大きな目玉があった。

 あぁ、嘘だと思いたい。回避する俺とすれ違いざまに交差する視線、化け物じみた巨大目玉と目が合ったのだ。

 非現実的な妄想の恐怖ならいくらでも理論武装で打破できる。しかし、現実に受肉した恐怖は対象外だ。


(ダ、ダイオウイカだ……!)


 こちらが相手を認識するのと同時にダイオウイカも旋回して身体をこちらへ向ける。そして、再びミサイルのように高速で突進を始めた。


「『雷霆術・稲妻』ぁっ!!」


 慌てて咬牙を振るい稲妻を放つ。やってから海中で使っていい技だったのだろうかという疑問が湧き上がったけれど、そんなことよりも巨大イカを倒すことの方が先決だった。海中で出会う巨大生物、マジ怖い。


 どうやら『稲妻』は自然界の現象とは別の存在であるらしく、海中であってもそれまでのポテンシャルを落とすことなく正常に機能した。

 突進するダイオウイカを迎え撃ち、雷の一撃が巨体を貫く。それでも推進力は保たれていたため突進を回避する。


「『不殺術・仮死縫い』」


 すれ違いざま身体を回転させながら咬牙を振るい、触腕や触手部分を連続して切り裂く。ダイオウイカの活け造り一丁上がりってな。これで腕を動かすことは困難になったはずだ。


(シュガー、ホタル畳みかけるぞ)


(いや、アレを見ろ。ここは逃げた方が良い)


 シュガーの指し示した方角を見ると俺たちへ向けて魚群が殺到していた。魚群と言えばイワシみたいな小さな魚を想像するが、これは違う。体長2、3メートルはある立派な魚が群れを成して突撃してきているのだ。


(逃げるって言っても相当早いぞ)


 水中の利は明らかに向こう側だ。こちらの忍者遊泳速度もなかなかなものだけれど、本職にはさすがに敵わない。


(そのイカ、なんとかならないか?)


 シュガーの一言でハッとする。なるほど、そういうことか。

 俺はすぐさま『仮死縫い』を付与した咬牙をダイオウイカの急所と思われる場所へ突き立てた。予想通り皮膚を透過してぬるりと体内へと攻撃が通った感覚。クリティカルヒットによる仮死状態へ移行した。


「『支配術・空虚人形エンプティマリオネット』。さあ、起きろ。今すぐに俺たちを海底まで運べ」


 ダイオウイカはカッと目を見開くとしゅるりと器用に触腕を動かし、俺とホタル、シュガーを掴む。そして、目指す先を海底に見定めるとロケットの如く急加速で発進した。漏斗から排出される水とともに墨が吐き出され、広範囲を黒く染める。

 こうして墨による目くらましと高速移動により魚群から逃げることに成功したのだった。ついでに海底の水先案内人も手に入れて一石二鳥だ。





 海底200メートル。

 ようやく海の底に辿り着いた。砂っぽい地面とごつごつとした岩が景観を彩る。本来ならもっと暗い世界なのだろうけど、忍者視力によって世界は思ったほど暗くない。よく考えれば夜でも視覚的に問題ないのだから海中だろうと機能は同じなのだろう


 というわけで早速探索を開始する。

 偽神オトヒメという名を聞いた時、真っ先に思いついたのは海底に竜宮城みたいなダンジョンが形成されているのではないか、ということだ。

 しかし、ダイオウイカの触腕に掴まれた状態で海底を高速で移動していくけれど、それらしき建物は見当たらない。というか、そもそも海中フィールドが広すぎるのだ。こんなの砂漠に落ちたコインを探せと言われているようなものである。


「お前、本当にオトヒメの居場所知らないのか?」


 ダイオウイカへ目を向ける。すでにダイオウイカへ「オトヒメのいる拠点まで連れていけ」という命令は試した後だ。試した結果、ダイオウイカはフリーズして行動不能になった。つまり、知らないということだろう。

 はて、ということはこのダイオウイカは海中フィールドのモブモンスターということになるのか。このデカさのモンスターが普通に出てくるのは、なかなか難易度の高いフィールドといえる。まあ、初心者プレイヤーがいきなり大海原へ突貫することはあまり考えられいから素で難易度高めに設定されているのかもしれない。


(偽神眷属を捕まえて居場所を吐かせるのはどうでしょうか?)


(それが良さそうだな)


 それも狙うならバケガニよりも知能の高そうなウオビトの方を狙うべきだろう。ホタルの意見を汲み取り、俺たちは行動方針を偽神眷属探しへ移行するのだった。

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