第37話 逆嶋防衛戦 その18~懐に潜り込め~

▼セオリー


 カルマ室長の研究所へ潜入するとは言っても相手は巨大な工場だ。どのように潜入するのかとイリスを見ていると、屋上にある天窓の内一つの表面を指先でなぞり始めた。なぞった線は円を描き、始点と終点がくっついた途端、円形に切り取られた窓ガラス部分が重力のままに落下していく。あとには人ひとりが通れる大きさの穴がぽっかりと口を開けていた。


「さあ、入りましょ」


「うわ、凄いね。逆嶋バイオウェアの工場はガラス一つ取っても相当な衝撃に耐えられる強化ガラスになってるはずなんだけどね」


 コタローが感嘆の声を上げる。内部事情は所属するコタローが一番良く分かっていることだろう。そのコタローが驚くということは、ただのガラスに見えて相当な科学技術が使われていることは想像に難くない。

 ちなみに、俺もガラスをクナイで突いてみたが欠片も傷がつかなかった。これはガラスを褒めればいいのか、俺の筋力が低すぎることを嘆けばいいのか難しい所だ。


「それで潜入したは良いけど、どこへ向かえば良いんだ?」


「併設されたカルマの研究所は地下にあるらしいって情報は手に入れてるんだけど、詳細な場所は分かってないんだよー」


 俺の質問に答えるイリスはお手上げというポーズをして、にへらと笑った。行き当たりばったりが過ぎる。


「コタローやアマミは詳しい場所とか分かるのか?」


「いや、カルマ室長関連の研究所や工場はトップシークレットだったからね。たぶん、プレイヤーはほとんど関われなかったんじゃないかな」


 コタローもアマミも場所は知らないとのことだった。それどころか逆嶋バイオウェアの所属忍者であるプレイヤーを関わらせないという点に運営サイドの意志を感じる。つまり、プレイヤーに露見するとイベントが潰れてしまう可能性があったから隠した、ということだ。

 逆嶋バイオウェアがヤクザクランのように悪役ロールを良しとする組織であれば、プレイヤーも関わっていたかもしれない。しかし、コタローやアマミのようなプレイヤーの性質や、上忍へランクアップするためにカルマ値を上げなくてはいけない組織の体質から考えると、逆嶋バイオウェアに所属するプレイヤーであれば自分たちが拠点とする街がヤクザクランに支配されると知って手を貸せるプレイヤーは少ないはずだ。だいたいのプレイヤーからすれば、カルマ室長の行為は打倒すべき悪の研究者として映るだろう。

 そもそも、忍者ランクを上げるためにカルマ値を上げる必要性がある組織自体、どちらかといえば善性に寄っていると思える。


「そうなると、プレイヤーが敵に回る可能性は少なそうだな」


 ハイトが周囲を警戒しつつ、考えられる可能性を続ける。それまでの会話が示唆する流れとして、おそらく敵はNPCだけだ。


「ただし、NPCだからって気を抜かないでね。逆にNPCの方がぶっ壊れ性能してるなんてよくあることだからさ」


 イリスは俺を中心にコタローとアマミを見つつ付け加えた。下忍である俺はもとより、コタローやアマミもまだ中忍頭だ。忍者のランクは六段階で、俺を含む三人は全体で見れば下位ランクということになる。ゲーム的な経験値に限らず、知識的な経験値においても圧倒的な開きがあるのだ。イリスが釘を刺す様に言ったのは、そういうことだろう。

 クエストで戦うNPCは基本的に倒すべき目標であり、言い換えれば倒せる相手である。しかし、様々なクエストを経験したであろうイリスやハイトからすれば必ずしもそうではない。NPCとは運営サイドがいくらでもデータを弄ることのできる存在だ。理由さえあればルールを捻じ曲げることだってできる。


「まぁさ、対処しきれないと思ったなら、私に任せてくれればいいよ。もしくはそっちの上忍に振るとかね」


「おい、マジかよ。俺、喧嘩は弱ぇからな!」


 イリスは笑いながらそんなことを言うと、さっさと工場の廊下を歩き始めた。ハイトはイリスの無茶振りに慌てて手を伸ばし、追いかける。俺とコタロー、アマミも釘刺された忠言を飲み込んだ後、気を取り直して後を追った。






 地下に向かって行くには工場を下っていかなければいけない。そして、工場は非常に大きかった。高層ビル群の中にあっても遜色なく存在を示せる大きさだ。一階ごとの階層の高さも普通の建物の二倍以上あり、天井がとても高い。その分、階数自体は多くないため二、三度階段を下れれば地上一階に辿り着けるだろう。


 その後、無事に二階まで到達したが、そこで問題が立ちはだかった。

 二階は一階から続く吹き抜け構造となっており、一階が巨大な組み立て作業所となっている。そして、二階部分は一階の作業所を見下ろせる形で、周囲をグルリと囲うように通路が設置してあるだけだ。

 問題となるのは一階部分の警備の厚さだ。二階通路の手すりに身を隠しつつ、こっそりと様子を窺う。目視できる範囲でおよそ二十人近い警備員だ。あれが全員忍者であるなら正面突破はかなり厳しいだろう。そもそも、もし正面突破をしようとした場合、工場の周りを防衛している忍者たちも集まってくる。そうなれば終わりのない戦闘の始まりだ。


 それにしても、この警備網の厚さに引き換え、二階より上の階層は警備がザルだった。三階に降りた際に巡回の警備員が一人いたきりだ。ここまで露骨だと不審にも思う。しかし、それほどまでして守らなければならないものが、この先の地下研究所にはある、ということの裏付けでもあるだろう。


(警備が一人、二階に上がってくるよ)


 念話術により、イリスの声が脳に直接聞こえてくる。俺たちは一斉に身構えると、一階と二階を繋ぐ階段を注視した。

 事前に取り決めた作戦として、警備員一人に捕縛尋問を行い、情報を引き出すことになっている。それで一階の警備員が全員忍者なのか武装した一般人なのかを見極めるのだ。

 捕縛役はハイトと俺の二人だ。事前に固有忍術の共有をした結果、俺の固有忍術が一番上手く隠密と捕縛を両立できると分かったからだ。


 警備員が階段を上り始め、一階の警備員たちから見えなくなる。その瞬間、ハイトが直上から襲い掛かり羽交い絞めにする。そして、同時に接近した俺が『仮死縫い』をまとわせたクナイで心臓部を一突きにする。これで仮死は付与し終えた。

 続いて、アマミが仮死状態の警備員に触れる。すると、みるみるうちにアマミの身体が変化していく。これは『変化の術』だ。一般忍術であるため、レベルさえ上げれば誰でも使用できるらしい。とはいえ、俺はまだレベルが足りないため習得していない。


 『変化の術』は頭の中で思い浮かべたものに変化することができる忍術だ。この姿かたちを変化させるのは見た目だけであり、たとえばドラゴンの姿に変化したところで空を飛んだり、火を吐いたりはできない。また、変化したい対象に手を触れることで精巧な変化をすることができる。精巧な変化をした場合、姿かたちだけでなく、対象の指紋や声帯なども真似することができる。つまり、身体認証すら突破できるというわけだ。

 今回は対象の警備員の声帯を真似することで変化をバレにくくするために、手を触れて精巧な変化をしたのだ。


「じゃあ、行ってくる」


 アマミ扮する警備員は規定のルートを通り、二階を巡回していく。事前に二回の巡回警備員を観察した結果、三十分おきに一人の隊員が十五分かけて二階を巡回している。つまり、アマミが二階を巡回している十五分間が勝負だ。

 イリスだけは二階に留まり、俺とコタロー、ハイトは三階に戻った。そして、廊下の隅に先ほど仮死状態にさせた警備員を座らせる。もちろん、通信機などの機材や防具は外させてもらい、両手両足は縄で封じさせてもらっている。その状態で気付けの丸薬を飲ませた。

 固有忍術を発動させたまま仮死状態にしていると、気付け薬を飲ませたくらいで起きることはない。しかし、『仮死縫い』を解いてしまえば対象はただ気を失っているだけだ。通常の気絶と同じ処置で目が覚める。


 気付けの丸薬を水とともに流し込み、猿轡さるぐつわを嚙ませる。十秒程度で警備員はむせ込みながら目を覚ました。すぐに体を縛られ、猿轡を嚙まされていることに気付いた警備員は俺たち三人を恐れの表情で見つめる。

 彼はただ職務に従って警備していただけだろう。なるべく痛みを与えたりはしたくない。NPCに対する捕縛尋問は相手が抵抗できない状態で気絶させることで成功する。


「起きたばかりで悪いけど、もう一度眠ってくれ」


 俺は『仮死縫い』の黒いオーラをまとった掌で頭に触れる。そして、脳を揺さぶることで再び仮死状態へ陥らせた。すると、警備員の前に電子巻物が出現した。


「いや、本当に便利な固有忍術だな。俺のと交換してほしいぜ」


「ハイトの『花蝶術』も諜報任務で活躍するだろ。それに何より綺麗だし」


「分かってねぇな、綺麗な青い蝶なんて全然諜報に使えねぇっつーの。不自然すぎて周りに溶け込まねぇんだよ」


「はいはい、その話は後にして、電子巻物の中身を精査しようね」


 ハイトの愚痴を遮って、コタローが俺の手にある電子巻物を指差す。そうだ、たしかに時間は限られている。俺はすぐさま電子巻物を開き、三人で共有した。


「なるほどな、こいつら一般の警備会社の雇われ警備員だったってわけだ。これなら相手が二十人だろうと三十人だろうと関係ねぇな」


 警備隊員たちの素性は知れた。しかし、ここで事を荒立てて研究所にいるカルマ室長に連絡がいってしまうと面倒だ。念話術でイリスにも情報を伝える。すると、数秒考えこんだ後、イリスから一階を突破する方針が伝えられた。


「……警備員を全員昏倒させて突破する?」


 無茶苦茶なことを言っていた。一人はすでに気絶させたとはいえ、残りはまだ十九人いる。一人につき四人を瞬時に無力化しなくてはいけない。一人でも取りこぼせば通信機で異常が伝達されてしまうだろう。

 しかし、イリスは問題ないといって自信満々の作戦を話し始めた。つまり、俺は頭領ランクという忍者の最高峰を甘く見ていたのだ。






「それじゃあ、いくよー。『瞬影術・影跳びあらため』」


「『不殺術・仮死縫い』」


 俺はただひたすらに『仮死縫い』をまとわせたクナイを眼前にいる相手に突きだすだけだ。すると、目の前の警備員が仮死状態となる。それを見送る前に、すでに俺の身体は影に消え、再び他の警備員の背後に跳ぶ。その繰り返しだ。

 その暗殺コンボは非常に静かだった。足音もしなければ悲鳴もあがらない。ただ一人ずつ『仮死縫い』により気絶していく。そして、瞬時に俺はもう一つの忍術も発動していた。『支配術・空虚人形エンプティマリオネット』だ。この術を使用することで、意識を失った対象者に直立不動でいることを指示する。これで倒れることすらなく、立ったまま意識を刈り取ることができる。


 そして、一分とかからずに総勢二十人の意志を持たない人形ができあがったのだった。

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