第277話 人質交渉と無茶振り

▼セオリー


 カストルの持つ円筒形のカプセルの中、ガラス面ごしにアリスの姿が映る。目をつむったまま微動だにしない。彼女は生きているのか?


「生きてるんだよな?」


「大丈夫、まだ生きてるよ」


 リンネが片手でたしたしとカプセルを叩いて見せる。その叩く動作一つを取っても大丈夫なのかと心配になってしまう。


「稀代の天才闇医者リンネちゃんの手にかかればチョチョイのチョイってね。たとえ四肢をもがれようと、どてっぱらに大穴開けられようと生かし続けちゃうんだから!」


 腕を組み、偉そうな雰囲気を醸し出しつつリンネはふんぞり返った。

 闇医者なのか、とリンネに対する感想を言おうと思った矢先、続いてリンネの口から発せられた四肢をもがれたとか、腹に大穴という不穏な言葉を聞き、慌てて俺はカプセルへと視線を戻した。


 カプセルの大きさは一メートルと少しくらいだろうか。たしかにモデルのようにすらりと長い手足を持つアリスが入っているにしては小さい。いや、どう考えても手足の収納されるべきスペースがないだろう。


「アリスの腕と脚はどうなってるんだ、何があった?」


「あれれ、時間稼ぎのためにアリスを一人残したのは君でしょ。何があったかなんて明らかじゃない」


 手を口に当てクスクスと笑うリンネは、しかし目だけは笑っていなかった。その視線はまるでアリスを残したことを責めているかのようだ。

 金之尾コンサルティングの頭領ウカとの間にそれほど大きな実力差があったとは思えない。となると、アリスがやられたのは……。


「鳴神忍軍か」


「正解。君を生かそうと彼女は鳴神忍軍と戦って危うく命を落とすところだったんだよ。どうかしてるよね、君みたいな未熟者の命を優先するなんてさ」


 手厳しい指摘だが、俺も脱出してから後悔したのだ。何も言い返せない。

 そんな俺を見かねてかエイプリルが前へ出てリンネへと言い返す。


「いきなり出てきて何なの? アリスのことは私たちの問題じゃない。貴方たちにどうこう言われる筋合いはないわ!」


「……私が話してるのは君だよ」


 啖呵を切ったエイプリルを無視して、リンネは俺を見ていた。

 なおも口を開こうとするエイプリルを鬱陶し気に一瞥したリンネは指を鳴らす。するとカプセルを持っていたはずのカストルが気付けばエイプリルの前へ移動し、そのまま横薙ぎに腕を振るった。

 重い音が響き、エイプリルが吹き飛ぶ。数メートル空中を飛び、それから地面に叩きつけられる。


「エイプリル!」


「あんなのより私との話を優先してくれるかな」


 俺がエイプリルの下へと駆け寄ろうとするのを邪魔するようにカストルが立ち塞がる。んなもん知るかとカストルをどかそうとするが、今度は腕を掴まれ、ひねり上げられた。

 パキンと軽い音が鳴り響く。ジワリと肘の辺りが熱を持つのを感じる。この時ばかりは痛みが実装されていなくて助かった。

 それにしても俺たちは思い違いをしていた。彼女たちはかなり危険な相手だった。ルドーを無理やりにでも従えている時点で察するべきだった。


「ホタル、アーティ。エイプリルの手当てを頼む」


 何故だか知らないけどリンネは俺との会話に固執している。だから、ひとまずエイプリルのことはホタルとアーティに任せる。アーティの方は今にもカストルへと飛び掛かりそうな雰囲気を感じたので、そういう意味でも距離を取ってもらった。


「分かった。お前との話を優先する。何が目的なんだ」


「やっと立場を理解できたみたいね」


 リンネのことをお前と言った瞬間、カストルが掴む腕をさらに強く締め上げた。おいおい、体力ゲージがジリジリ削れてるから! もうちょい手ぇ緩めろっての。


「カストル、手を離して良いわ」


 リンネの命令が出て、ようやく解放された。しかし、掴まれた腕は完全に折れてしまったらしく肘から先が動かない。ぷらぷらと揺れる腕を眺めるしかなかった。


「さて、邪魔者もいなくなったしようやく本題に入れるわね。私の目的は逆嶋バイオウェアに所蔵されている天上忍具『八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの一片』を手に入れること。そのためにも君には逆嶋バイオウェアと交渉する際の交渉役になってもらいたいの」


 天上忍具を手に入れる?

 逆嶋バイオウェアとの交渉?

 その交渉役を、俺に?


「なに言ってんだ。そんなことできるわけないだろ」


「君に拒否権はないよ」


 リンネはカプセルの上部にあるメモリをキリキリと回していく。するとアリスの表情が途端に曇りだす。それまでは無表情で生きているのか死んでいるのかも分からないような状態だったのに、突然苦悶の表情を浮かべ身体を蠢かせる。


「や、やめろ!」


「あと十秒もすれば生命維持が保てなくなるね」


「分かった、交渉役でも何でもやる! だからやめてくれ!」


 俺が全面降伏の姿勢で膝を折ると、リンネは再びカプセルのメモリを回す。すると苦悶の表情だったアリスの顔が見る見るうちに戻っていった。


「これで契約成立ね」


「……すぐに逆嶋バイオウェアへ行くのか?」


「いいえ、まだよ。さすがにもう少し準備が掛かるからね。君は駒の一つだよ」


 なるほど、逆嶋バイオウェアとの交渉にカードが俺一人の訳ないか。なんならアリスの生殺与奪の権は俺だけでなく逆嶋バイオウェアとの交渉でも強力な切り札となるだろう。


「そこまでして何で天上忍具を手に入れたいんだ」


「プライベートな話なので黙秘しますっ」


 指でバツを作って口元に持っていく。ふざけた態度だけど情報を漏らすような愚は犯さないか。


「っていうかさ、逆に聞くけど、君はどうして摩天楼ヒルズに来たの? それも指名手配にまでなっちゃって」


「それは……」


 甲刃連合からの指令で中四国地方を征服しないといけない、だなんて口が裂けても言えない。


「ま、いいや。それじゃあ、準備ができたら呼び出すから。それまでアリスは私が預かるね。あはは、没収~ってね」


 俺が言葉に迷っていると途端に興味を失ったリンネは踵を返した。

 カプセルを背負い直したカストルが横に並び、ルドーと合流する。そして、瞬く間に光となってその場を去ってしまった。

 一陣の風のように突然現れたかと思えば、去る時も突然だった。しかし、この数分の間に俺はとんでもなく重い決断をさせられてしまった。


 逆嶋バイオウェアとの交渉。

 天上忍具を手にしたリンネが何をしようというのかは分からないけれど、あの有無を言わさない強引さを考えると、手にしたとしてロクなことには使わなさそうだ。

 とはいえ、アリスは彼女の手中にある。アリスを救い出すことができなければ、俺は彼女の言う通りに動く他ない。


「なんなのよ、あの女」


「エイプリル、大丈夫だったか」


「あんなの大したことないわ」


 そういってエイプリルは腕で頬をぬぐう。カストルの振るった腕は顔面にクリーンヒットしていたらしい。彼女の顔には擦りむいたような傷跡ができていた。エイプリルに手を上げたカストルへいずれお返しをすると心のメモ帳に書き留めた。

 アリスのことは心配だけれど、リンネにしてみても切り札であるアリスを手荒に扱うことはないと信じたい。


「とりあえず、当初の予定通りシュガーたちと合流しよう」


 なんにしても満身創痍だ。肉体的なダメージに留まらず、精神的な疲れも多く溜まる一日だった。

 突然現れたリンネという女性。彼女の目的は一体何なのか。おそらく彼女はユニークNPCだろう。ルペルなら何か情報を知っているかもしれない。

 こうして目まぐるしく状況が転がり続けた摩天楼ヒルズでの一日が終わったのだった。







「セオリーに対してずいぶんと感情的になっていたな」


「パパの最高傑作を使い潰そうとしたのよ。怒るなって方が無理な話よ」


「ふん、またカルマ室長の話か。とんだファザコ……」


「ルドー、黙って」


「むぐっ! むぐぐぐ……!」


「パパ、待っててね。私が『八尺瓊勾玉やさかにのまがたま』から解放してあげるんだから」

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