第4話 拒否と共闘
▼セオリー
俺は目の前に表示された『ユニーククエスト:
目的:エイプリルを殺害し、対象の固有忍術である『瞬影術』を入手せよ。
報酬:簒奪者の称号
文章を読み終えると俺はエイプリルを見た。彼女はずっと困惑したままのようだった。つまり、このクエストの表示は俺だけに見えているということだ。
俺はわなわなと肩を震わせる。クエストだからって、称号を得られるからって、なんでもプレイヤーがその通りに動くと思ったら大間違いだ。
「教官、俺はクエスト失敗でいい」
俺がそう言うと、教官忍者は落胆したようなため息をついた。
「それは戦いを放棄する、ということか?」
「そうだ。俺はエイプリルに命がけで救われた。その恩を仇で返すような真似はできない」
「……ふん。では、エイプリル。お前はどうだ?」
教官忍者は俺との問答の後、エイプリルへと向き直った。エイプリルはまだ困惑しており、どうしたらいいのか分からないといった表情だった。しかし、俺の言葉を聞いてから、しばらく思案するように目をつむった。そして、数秒して目を開く。
「私もセオリーに命を救われました。だから戦うことなんてできません」
芯の通った凛とした宣言だった。
しかし、教官忍者にとってその言葉は赤点だったようだ。
「どうやら、お前たちには情を切り捨てる冷酷さを教え忘れていたようだ」
教官忍者は背中に差していた日本刀をすらりと引き抜くと、ぴりついた緊張感をまとったまま中腰になり、切っ先を俺とエイプリルへ向けた。
「忍者ならば血を分けた兄弟であっても、切り捨てねばならぬ時がある。その時には一瞬の躊躇もなく切らねばならぬ。それができなければ忍者として生きる資格なし。……さぁ、構えよ。お前たち二人とも叩き切ってくれよう」
教官忍者による叱咤の声に対して俺は反発する意思とともにクナイを構える。リーチの差を考えるとこちらが不利だ。まずはクナイを牽制に投擲して接近してから追撃すれば一撃を加えられるだろうか。
そんなことを考えつつ、横目でエイプリルを見る。エイプリルは一応は立ち上がっていたがまだ武器すらも構えていなかった。
「エイプリル、武器を構えろ。二人で生き残ってやろう」
格上であろう教官忍者を相手にして一対一のままでは戦いにならないだろう。せめてエイプリルと連携を取って戦いたい。そう思って声をかけたが、エイプリルはただ首を横に振るだけだ。
「……無理だよ。先生は上忍頭なんだよ。二人とも殺されちゃう」
エイプリルは教官忍者のランクを知っていたらしい。上忍頭といえば忍者のランクで上から二番目だ。文字通り強さの次元が違うのだろう。その事実により、エイプリルは完全に戦意を喪失していた。
「エイプリルよ、身の程を弁えているのは高評価だ。しかし、セオリーとも戦わず、私とも戦わず、であるならばお前はいったいどうするつもりだ?」
教官忍者は刀の切っ先をエイプリルの方へ向けて尋ねた。エイプリルは向けられた刀を見つめた後、俺を揺れる瞳で見つめてきた。どうにもならない、答えの無い問いだ。これ以上、問答を続けても意味はない。
「なら、俺一人で倒せばいい」
クナイを教官忍者の頭部へ向けて投擲する。教官忍者は刀を上段に持ち上げると、易々と弾き返した。簡単に弾かれることは織り込み済みだ。だが、弾き返す為に刀を上へと掲げたことで体の側面が死角となっている。俺はそこへ潜り込み、ポーチから取り出した予備のクナイを脇から心臓に向けて一突きにしようとする。
コースは見えた。あとは体をその通りに動かすだけだ。
「食らえ!」
―――ゾクリ、と背筋に悪寒が走った。
崖に架かる橋で謎の忍者から襲撃された時のことを思い出す。あの時に感じた嫌な予感を何十倍にも濃くしたような予感が襲い掛かってくる。それは身体に死という糸が絡みついてきたかのような感覚。俺の踏み込む一歩が異常に遅く感じる。死を前にして一秒が何十倍にも引き延ばされているように、ゆっくりと世界が進んでいた。
教官忍者は異様な動体視力で俺を捕捉していた。そして、上段に振り上げた刀を、返す刀で俺に振り下ろそうとしている。
あ、これ死んだ。
俺がそう思った時だった。
「『瞬影術・影跳び』」
エイプリルの声が聞こえる。次の瞬間には後ろに居たはずのエイプリルが目の前にいた。飛び込むように俺へと抱き着いてくる。その勢いで二人して刀の軌道を避けるように後方へ倒れこんだ。
「お前、いきなり飛び込んでくるなよ。危ないだろう」
「ごめん。でも、あのままだと絶対に死んでたから」
「……たしかに、そうだな。助かった」
エイプリルの腕を引いて立たせると、教官忍者を見据える。俺とエイプリルが立ち上がるまで追撃はしてこなかった。何か考えがあるのか。それとも追撃するほどの価値もない、ということか。
そんなことを考えていると、隣に立つエイプリルの呼吸がおかしいことに気付いた。
「もしかして、さっき俺を庇った時に斬られたんじゃ」
見れば肩から背にかけて服が切れ、その下の肌もパックリと斬られていた。腕を通してポタポタと血が地面に滴り落ちる。
「エイプリル、後ろから援護だけ頼む。教官倒したらすぐ手当てするから待ってろ」
一瞬、逃げるという選択肢が頭をよぎった。しかし、すぐにその考えを打ち消す。これだけの傷を負ったエイプリルを守りながら教官忍者から逃げ延びるなんて、それこそ鼠色の忍者に襲撃された時以上の無茶だ。それだったら、まだ立ち向かう方がいくらか可能性は高いはずだ。
覚悟を決めた俺は教官忍者の方を向く。
「『不殺術・仮死縫い』」
そう口にすると、右手に持ったクナイが黒色に鈍く輝くオーラで覆われる。
固有忍術が発現してから俺の気は黒色に変化した。そして、その気を使って発現する忍術は黒いオーラとして視認できるようになった。
俺の固有忍術『仮死縫い』は攻撃した箇所を仮死状態で縫い留める力がある。
例えば腕に攻撃を食らわせれば腕が麻痺したように動かなくなる。その上、麻痺毒などとは違い解毒で治るわけでもない。ただ、その代わり欠点として同時に対象にできるのは一人まででなおかつ、この黒いオーラは俺の手首から先と手に直接触れている物にしかまとわせることができない。
(仮死縫いを付与したままのクナイを投げられたら強かったんだけどな……)
だが、無いものねだりはしていられない。この場は今あるカードだけで突破するしかないのだ。それに何とかして教官忍者の脚を切ることさえできれば逃走も選択肢に入ってくる。
右手でクナイを構えつつ、牽制として手裏剣を左手で投擲する。エイプリルも後ろから手裏剣を投擲して援護してくれている。しかし、それを次から次へと刀で叩き落す様を見ると正攻法ではまるで敵う気がしない。ほぼ同時に投擲された手裏剣が同時に斬り落とされる。いったい、どんな速さで刀を振るっているのか。
じりじりと後退しつつ、手裏剣を放つ。
どこかに隙はないか。そう考えていると脳内に声が響いた。
(私が囮になるよ)
突然の声に驚きつつ察しをつける。これは『思念糸』とよばれる諜報系忍術だ。細い糸などを媒介にして気を電気信号のように送り、情報伝達をする忍術である。声を出せない時の潜入任務などで活躍する、と座学のチュートリアルで見た。
(囮になるだって?)
(私の固有忍術なら先生の影にも一瞬で跳び込める。そうしたら、後ろから動きを封じるから、その内にセオリーが攻撃して)
たしかにそれなら教官忍者に隙を作り出すことができるかもしれない。しかし、エイプリルに負担がかなり寄った作戦だ。ただでさえ、すでに大きな負傷をしているエイプリルにさらなる負担をかけるのは心苦しい。
(ちなみにその忍術で俺を跳ばすって手は使えないのか?)
(私の『影跳び』は目視している生き物の影へと自分を跳ばす忍術だから、それはできないよ)
(……そうだよな)
でなければ自分が囮になるとは言わないか。いや、エイプリルならたとえ他人を跳ばせたとしても自分を囮にするかもしれないけど。それに転移する先の目標が生き物限定でなければ遠くの木の影にでも跳んで逃げてもらいたかったが、そう上手くはいかないか。
俺の固有忍術にも縛りが多くある。思うに固有忍術はデメリットという縛りを設けることで出力を上げた忍術なんじゃないだろうか。そんな考察をしつつ持ちうる手段を使った作戦を組み立てた後、エイプリルにも作戦の概要を伝える。
(そしたら教官の影に跳んだあとは今話した作戦通りで)
(分かった。……死なないでね)
(そっちこそな)
ふっ、と笑みを浮かべながら教官忍者を睨む。これでチュートリアルだって言うんだからふざけた話だ。なんでチュートリアルに後半ステージのボスみたいなのがいるんだよ。
だが、しだいに冷静になってきた俺はゲームである、ということを再び考え直していた。つまり、これはあくまでゲームのチュートリアルである、ということだ。その点に立ち返ってみると少なくとも乗り越えられる壁なのではないか、とも考えられる。何か見落としている要素があるのかもしれない。
さっき刀を避けて倒れ伏した俺たちに追撃してこなかった点や、作戦会議中も手裏剣で牽制しているとはいえ、積極的に攻勢に出てこない点など色々と不審なところはある。
困るのはこれが負けイベントである場合だが、それは考えても仕方ないだろう。
「行くね」
ぽつりとエイプリルが呟く。
こくりと俺が小さくうなずくと同時に、エイプリルの身体が影の中へと溶け込む。かと思えば教官忍者の背後にエイプリルが現れた。手にしたクナイを握り締め、教官忍者の刀を持った方の腕へと突き立てるように突進する。
「こざかしいな」
そう呟く教官忍者は背後から迫るエイプリルの突きを驚異的な反射神経で見切り、身体を捻って回避した。そしてそのまま反転してエイプリルへと刀を振るう。しかし、
そして、その時にはすでに俺も教官忍者のすぐ近くまで接近している。跳んできたエイプリルも再度クナイを構えると突く体勢に移行する。俺のクナイとエイプリルのクナイが同時に教官忍者の身体を狙う。
さっきまでの俺たちが続けていた手裏剣による攻撃は、教官忍者も万全な状態だったために同時攻撃であっても対応できていた。しかし、今はエイプリルへ一太刀浴びせるために刀を振ってしまい体勢が崩れている。その状態からできるのは……。
「舐めるな」
「ぐぅっ」
気付けば俺の右腕が宙をまっていた。クナイを握っていた方の腕だ。その犠牲でなんとかエイプリルのクナイは教官忍者の腕に刺さる。
「腕一本を犠牲に一刺しか。舐められたものだな。この程度、蚊に刺されたようなものだぞ? 次はどうする」
決死の覚悟で与えたエイプリルの一突きすらもダメージ自体は大したことないと言わんばかりに鼻で笑う。教官忍者は膝から崩れ落ちた俺を無視してさらに一歩を踏み込み、残ったエイプリルにも刀を振るおうとする。
エイプリルはとっさに後退して避けようとするが、教官忍者の踏み込みの速さと剣速から考えて避けられようもない。
避けられないはずだった。
しかし、刀は空を切る。教官忍者は目を見開いて、いまだ一歩を踏み出すことができないでいる自身の足を見ていた。足にはいつの間にか斬りつけられた傷跡ができている。
「舐めてんのはそっちだろ」
教官忍者にそう言い放った俺は、黒いオーラを纏わせた切断された右腕を左手で掴みながらニヤリと笑った。
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