第5話 逃走と行き先

▼影子・サード


 セオリーは立ち上がると、すぐにエイプリルとともに逃走を開始していた。

 私は動かない両足を叱咤するように叩くが、うんともすんとも言わないのを見てそのまま立ち尽くす。そして山を下っていく二人を見送った。


 二人が居なくなった後で私は医療忍術を使った。緑色のオーラで両足が覆われていく。どうやら私はまんまとセオリーの固有忍術を受けてしまったようだ。

 セオリーは私に斬り飛ばされた右腕を武器とすることでリーチを延長し意識の外から攻撃をしてきたのだ。してやられたな、そう思いながら傷を治癒するとすぐに足は動くようになった。


 仮死状態という一種の呪いのようなバッドステータスを付与する一見強力無比な固有忍術だ。しかし、それを付与するためにつけた傷を治した途端に仮死状態も解除された。つまりは軽い傷では少しの時間稼ぎにしかならないということだ。

 特に、影子・サードのような医療忍術を得意とする忍者にとって先ほどのようなかすり傷など一瞬で治せてしまう。しかし、影子・サードの目には喜色が浮かんでいた。巣立つ雛鳥を見送るかのような清々しい気分だった。


 最後のチュートリアル「最終試練」は負けイベントの側面もあった。そもそも本来の最終試練は私との組手である。今回のように生死をかけた戦いではなく攻撃を一発でも入れることができれば合格といった易しいものだ。

 そもそもチュートリアルを終えたばかりのプレイヤーが私に勝つのは不可能に近い。もちろん戦いになるよう忍術は封印し、ステータスも低めに制限された状態で戦ってはいるが、それでも火力だけで押し切れるような甘い調整にはしていない。


 それぞれの発現した固有忍術に合わせて頭を使わなければ攻撃を入れることはできないように調整されている。それが通用するように隙もあえて見せていた。その隙を見抜き、的確に突くことができるかというのも最終試練で測る部分の一つだった。


 そして、セオリーは見事にチュートリアルを超えていった。しかも、エイプリルという少女を生かしたままでだ。エイプリルが生存したまま無事にチュートリアルが終わったのは私が担当する限りでは初めてのことだった。そのことに自然と笑みが零れる。


「不殺の忍者よ、この世界を大いに楽しんでくれ」






▼セオリー


 山頂から下って山村まで戻るとまずは手早く応急手当をした。エイプリルの肩から背中にかけて大きく斬られた傷は薬草を染み込ませたガーゼを塗布し包帯を巻く。俺自身の右肩と斬られた右腕はどう処置したものか困ったので、ひとまず包帯でぐるぐる巻きにした。


「早めにちゃんと治さないと駄目だよな、これ……」


「大きめの街に出れば高度な医療忍術を受けられるだろうから、そこまで頑張って行こう」


 俺は包帯で巻いた右腕を縄で縛って背負うと、エイプリルとともに山を下った。一時間ほど山を下っていくとようやく舗装された道路が見え、道路標識なども散見されるようになった。


「あっ、建物があるよ!」


「おー、これで現在地とか確認できるかもだな」


 道路に沿って歩くとほどなくして観光案内所のような建物を見つけた。

 幸いなことに、そこには周辺の地図やワールドの全体地図などが壁掛けの巻物で表示されていた。それを見るにここら一帯は関東地方の西側に位置する幽世かくりよ山脈というらしい。


 「‐NINJA‐になろう VR」の世界は現実の日本を模した作りとなっており、ワールドの区切りを関東地方などの現実と同じ各地方の形で区切っている。しかし、実際の日本と比べると縮尺がかなり小さくされているため広さ自体は十分の一程度だ。

 とはいえ、それでもプレイヤーが実際に歩いて移動するワールドとして考えると、実際の日本が十分の一の縮尺になったとしてもまだかなりの大きさだ。


 そのため各地方を模したワールドごとにサーバーを別にしている。もし、違う地方へ行きたい場合には特殊な手段が必要とのことだ。つまり、ここが関東地方の西側とはいえ徒歩で中部地方や東北地方へ行こうとすると不可視の壁で通れない、という寸法だ。

 そういった細々とした情報が地図の近くに貼られた電子巻物に書かれていたので、おそらくこの観光案内所のような建物もチュートリアル用の建造物なのだろう。


 そんなわけだから、俺がこれから主にゲームをプレイしていくワールドは関東地方というわけだ。

 キャラ作成の時にキャラクターの出身を記入する欄があったはずだ。おそらくそれで関東地方に決まったのだろう。何かの機会があれば他の地方にも行ってみたいがそれは追々だ。

 俺たちのいる関東地方はさらに大きく五つのフィールドに分かれる。


  中央にある桃源コーポ都市


  東の三神貿易港


  西の幽世かくりよ山脈


  南の甲刃工場地帯


  北の八百万やおよろず神社群


 それぞれに中心となる街があり、そこを取り仕切る組織やクエストの傾向などに特色があるようだ。


「中央にある桃源コーポ都市に行きたいけど、まずは幽世山脈を抜けないとな」


「それならここで傷を治すのを優先した方がいいかもしれないね」


 関東全域の書かれた地図をエイプリルと一緒に見つつ方針を決める。まずは中央にあるフィールドを拠点として、各フィールドに繰り出すのが安定しそうだ。そのためには幽世山脈を突破する必要がある。しかし、今の傷のままでは長旅は厳しいだろう。なので先に幽世山脈の中心にある巨大都市「逆嶋さかしま」を経由して体を癒すことにした。


 それにしても、チュートリアルを終えた後もNPCであるエイプリルと一緒に行動しているけど、このままで良いのだろうか。特に別れる必然性もなかったのでそのままにしているが山を下って舗装された道路を見つけた辺りでチュートリアルは終わっている。いきなり目の前に青白く光る電子巻物が出現したかと思えば、チュートリアルのクエストが完了したという旨の記載に更新されたからだ。

 ちなみに『ユニーククエスト:簒奪者ユザーパーへの道』はそのまま残り続けている。俺はクエスト失敗でいいと言ったはずだけどいつになったら消えるのだろうか。


 目的地として定めた都市「逆嶋」へ向けて舗装道路を歩く中、俺はメニュー画面を見直していた。チュートリアルを終えた後から正式にメニューなどを開くことができるようになった。そのため設定を変えたり、ログアウトしたりが自由に可能となったのだ。

 と言っても最近のVRゲームの技術は進歩が目覚ましい。エイプリルなどのAIを搭載したNPCが柔軟で高度な受け答えができる点もそうだが、それだけでなくゲーム設定の面でも非常に発達している。

 そのためプレイヤーの最も適する環境にわざわざ変更する必要はなく、チュートリアル中にゲーム側によって設定が済んでいる。おそらく設定変更などはほとんど使うことはないだろう。


 逆にログアウトは重要な機能だ。

 任意でゲームから脱する際の基本機能だ。感覚ダイブ型VRゲームは今でこそ一般に広く流通されている。しかし、十数年前に世間へ出た当初はログアウトを未実装にした欠陥製品による事件があり、危うく感覚ダイブ型VRゲームが禁止になる事態にまで発展しかけた。

 その後、根強く安心安全を売りに製品が開発された結果、今では感覚ダイブ型VRゲームがゲームの標準となるまでに至ったのだった。

 そんなわけで、セオリーもとい淵見 瀬織にとってゲームといえば感覚ダイブ型VRであり、ログアウトは要チェックポイントだった。


(道路を歩いている最中でもログアウトは可能っぽいな。あとはどこまで自由にログアウト可能かだな)


 ゲームによってログアウト可能な場所やタイミングは異なる。ソロプレイ限定のゲームだとログアウトにかなり自由がきくものも多い。

 しかし「‐NINJA‐になろうVR」はオンラインゲームである。つまり、中にプレイヤーのいる相手が出てくるわけだ。そういったオンラインゲームの場合、ログアウトが自分の拠点などセーフポイントでのみ可能といった制限がかかることも多い。


(あと現状一番気になるのはログアウト中のエイプリルの扱いだよなぁ)


 そもそも何故こんなにもログアウトについて考えていたのかというのもそれが原因だ。エイプリルは現状どういう扱いなのかが謎である。

 なんとなくパーティーを組んでいるかのような雰囲気を出しているが特にそういうゲーム的なプロセスは踏んでいないわけだし、ここで俺がちょっとトイレと言ってログアウトした場合に果たしてエイプリルはどうなるのだろうか。


 ソロプレイゲームであればプレイヤー以外の存在はAI搭載のNPCも含めてゲーム進行と同時に凍結されるだけだろうがここはオンラインゲームの世界だ。他にもプレイヤーがいるためゲームの世界は進み続ける。

 オンラインゲームにおけるNPCの扱いとして主流なものではプレイヤーとパーティーを組んだNPCならパーティーを組んだプレイヤーがログアウト中は世界から隔離されたり、そのNPCの所属拠点へと自動で戻っていったり、といった処理をされることが多い。

 だが、エイプリルはパーティーも組んでいないし、所属していた拠点である山村からも逃げてきたところだ。


(なら俺がログアウトしたら戻ってくるまでここで待ち続けるのか?)


 現在エイプリルと俺が負っている傷は応急手当てはしたが、それでも継続してゆっくりと出血ダメージを発生させている。そのため、あんまりダラダラしていると死にかねない。ログアウトして一晩明けて再度ログインしたらエイプリルが死んでました、なんてことになったら笑えない。


「まぁ、やってみれば分かるか」


「何をやってみるの?」


 先ほどからメニュー画面を見ながら唸っていた俺をエイプリルはジッと観察していたようで、俺のつぶやきにもすぐに反応した。


「ちょっとトイレ行ってくる」


「え? あぁ~……、はい。いってらっしゃい」


 少し気まずそうに目をそらしながらエイプリルが手を控えめに振ってくる。正直、我慢の限界が近そうだった。もう十分以上前から俺の画面には尿意を表す黄色の警告マークが爛々と危険を報せてくれていたのだ。


(あ、赤い警告マークに変わった)


 これは本格的に危ない気配だ。

 俺は生理現象に押されるまま、そそくさとログアウトしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る