第2話 固有忍術
▼セオリー
俺はエイプリルを抱えたまま敵の忍者の襲撃から逃げ、崖下の地面に降り立った。そこは木々が多く生えた森林になっている。木の葉が射線を遮り、崖上から手裏剣による狙撃を行うことは難しいだろう。しかし、向こうも忍者ならば崖を降りるのは容易なはずだ。
早めにこの場を離れる必要がある。それに応急手当も必要だ。抱きかかえたエイプリルは体中から血を流していた。意識も無いようだし、すぐに手当てをしなければ命を落とすかもしれない。
「むざむざ死なせるかよ」
自分へと言い聞かせるようにはっきりと口に出す。気合いを入れ直すと山村があるだろう方角へと進んでいく。
実際のところ、片腕で人ひとりを抱えて移動するのはとても難しい。忍者修行によるものか人を運ぶ技量が上がっているため、なんとかエイプリルを運ぶことはできているがその速度は遅々としたものだ。
血の跡も地面に点々と残ってしまっている。このままだとすぐに追いつかれるだろう。
そんな矢先、前方に岩場が見えた。
そこは大岩が組み重なり、ちょっとした洞穴のようになっていた。俺はエイプリルを洞窟に横たわらせると、道中の血痕を誤魔化すように細工を施した。
それから洞窟へと戻り、今度は血を吸ったエイプリルの衣服をはだけさせる。手裏剣は胴体に三つ、腕部に二つ、太ももに一つ刺さっていた。
俺は刺さった個所を確認した後、自分の衣服を破っていき包帯の代わりにする。手裏剣を引き抜きつつ、胴体・腕部・太ももの順に縛っていく。
ひとまず止血はした。しかし、所詮は素人の応急処置だ。エイプリルの顔色はどんどんと悪くなっていく。今にも死んでしまうのではないかと思うほどだ。
「そうだ、狼煙を上げないと」
セオリーたち忍者の卵は教官忍者と離れて行動しているときは
逃げることに精いっぱいだったため失念していた。俺は狼煙筒を腰のポーチから取り出し、岩場から離れた位置に行くと火をつけた。すると特殊な火薬によって生じる赤い煙が空へ向けて伸びていく。
狼煙は上げた。しかし、教官忍者が煙に気付いて駆け付けるまで早く見積もっても十分以上はかかるだろう。
それより先に敵の忍者に気付かれることは確実だ。だから俺は岩場の洞窟から離れた位置で狼煙を上げたまま動かずに待つ。狼煙筒を地面に置き、その場でクナイを構える。目をつむり、周囲の音に耳を澄ませる。
しばらくしてヒュンと風を切るような音が飛んできた。俺はその音に向けて腕を動かす。
上手く弾き返そうと思っていたけれど、さすがに死角から飛んできた手裏剣に対して完璧な迎撃をすることはできなかった。クナイに当たった手裏剣は推進力が少し削がれただけで、そのまま俺の腕を浅く切り裂く。
だが、これくらいは必要経費だ。今の手裏剣には青いオーラが付与されていなかった。つまり、まっすぐ飛んできたはずだ。そう判断し、すぐさま俺は手裏剣の飛んできた方へ向けて駆けた。
「見つけた」
五十メートルほど先、崖の上で見た鼠色の忍者が棒を構えていた。再び手裏剣を棒で突くようにして放ってくる。
「そのビリヤード遊びは見飽きたぜ」
こう何度も繰り返されれば、こちらの対応も慣れたものだ。相手との距離を詰めつつ、クナイを射線上に置いて手裏剣を弾く。あと少しで接近戦の間合いだ。
さらに距離を縮めようと駆け出すが、向こうもそう易々と近づかせてはくれない。接近する俺を見た鼠色の忍者は懐から丸い球を取り出すと地面に叩きつけた。その瞬間、球体から煙が爆発的に広がる。そして、相手の姿を覆い隠した。
(どこから出てくる)
前方の煙に包まれた一帯を注視する。すると左前方から煙が糸を引くようにして動く。俺はそれを目にした瞬間にそちらへと一歩踏み込む。そして、クナイを突き入れた。
(手応えがない)
クナイを引き抜くとボロ布だけがそこにあった。そして、視線を逆側へ向けると駆けていく鼠色の忍者。その先にはエイプリルを寝かせている岩場がある。
顔色を変えて追走する俺を見て、鼠色の忍者は笑うような声色で言った。
「そうか、女の方はこっちか」
進む先に隠れられそうな場所は大岩が重なり合う場所しかない。すぐに岩場の洞穴を見つけた鼠色の忍者は中へと飛び込んだ。追いついた俺もすぐに洞穴の中へ入ろうとする。
「動くな」
しかし、眼前の忍者の一声で動けなくなった。
さっきまで持っていた棒は仕込み刀になっていたようで、銀色に煌めく刃がエイプリルの胸元まであと数センチメートルという距離まで迫っていた。
「お前は何なんだ」
俺は問いかけた。
まだ狼煙を上げて五分と経っていない。まだ教官忍者が到着するまでしばらく掛かるだろう。時間を稼がないといけない。それに何かしら情報を掴めれば、この忍者の素性が分かるかもしれない。
だが、その忍者は問答には乗ってこなかった。そのままズブリと刀をエイプリルの胸元に刺し入れた。
「なにしてんだ!」
自分でも驚くくらい大きな声を発していた。その無情な行動に逆上した俺は感情のままに踏み込み、クナイを鼠色の忍者に突き立てようとした。だが、その忍者は刀をクルリと回転させるように振ると勢いそのままに俺の胸部を逆袈裟切りにした。
胸元が熱くなる。自身の体力を示す数値が一気に減り、膝から崩れ落ちる。血が大量に減っていくのを感じる。指先から力が失われていき、握っていたクナイは手から零れ落ちた。
暗くなっていく視界の中で、洞穴の入り口に立った鼠色の忍者が耳元に付いた無線イヤホンのようなものに触れるのが見えた。
「こちら、ナインキュー。任務完了した。これより帰投する」
それは通信機だったようで、どこかに連絡を入れると足早に去っていった。
だが、もはや襲撃者のことはどうでもいい。体から血が抜けていくのが分かる。最初は熱く感じていた胸元が次第に冷たいという感覚に変わっていた。
顔を辛うじて動かすと視界にエイプリルの真っ青になった顔が映る。そして、赤い血が周りの地面を彩っていく。
(……このまま死ぬのか。大概のゲームならセーフポイントで復活するのが普通だけど、まだチュートリアルの俺は一体どこで復活できるのやら)
もしくは、チュートリアル中の俺は何があっても死なないのかもしれない。あと十分もしない内に教官忍者がここへ来るだろう。応急手当が間に合い、奇跡的に助かるのかもしれない。
では、彼女は?
エイプリルはどうだろう。
俺と同じように奇跡的に生き残ることができるだろうか。
彼女はNPCだ。
俺の頭の中では一つ前のチュートリアルで忍術修行をしていた時のことが思い出されていた。
火を扱う修行中に一人の少年が腕に火傷を負った。かなり大きな火傷だったため痕が残ってしまうほどだ。そして、それ以降の日常風景の中でも彼の火傷は残り続けていた。
つまり、NPCが受けた傷は一生残る。
そういった当たり前の結果に対して、このゲームは非常にシビアだ。プレイヤーとは違うだろう。そうであるならエイプリルがここで命を落とした場合、そのまま死ぬ可能性が高い。
「そんなのは御免だ」
気力を振り絞ってズリズリと這い進む。まだなんとか動かせる片腕をエイプリルの胸元へ持ち上げると手を傷口に当てる。いまだに血がどくどくと絶え間なく流れ続けていることが伝わってくる。
傷よ、塞がってくれ。そう願いながら手を押し当てる。しかし、押し当てる手と胸の隙間からは無情にも血が流れ続けていた。
何か手はないか。どんな些細なことでもいい。見逃していることはないか。これまでのチュートリアルで見てきたこと、学んだことを振り返っていく。
そして、振り返った末に辿り着くのは、……後悔。
崖を駆け下りていた時、鼠色の忍者が放った『撞球術・ナインボール』という散弾のような技を俺が受けていれば良かったんだ。
なんとしてでも俺はエイプリルを助けたかった。目前に迫った危機から身を挺して俺を守ってくれた彼女を見殺しにはしたくなかった。
そんな彼女を見ていて、ふと思う。
(そもそも、エイプリルはどうやって俺を守ったんだ?)
それは小さな違和感。
手裏剣を避ける際に左右反対側へと分かれたはずなのに気づけば俺の目の前にいた。瞬間移動でもできなければそんなことは成しえないはずだ。同じように修行していた俺と彼女で出来ることに違いはほとんどない。そして少なくとも俺には瞬間移動のような芸当などできない。
俺と少女で違うことができる可能性があるとすれば……。
(固有忍術、か?)
チュートリアル中にあった教官忍者の座学を思い出す。
才能のある忍者には固有忍術というものが発現する。それは怒りや悲しみ、はたまた恐怖といった強い情動によって引き起こされるのだという。
俺が危機的状況に陥った際にエイプリルも何かしらの感情によって強く心を揺さぶられたのだろう。そして、発現した固有忍術によって俺の前まで瞬間移動し守ってくれた。
辻褄は合う。
俺は薄く笑みを浮かべた。その可能性を考えるなら、今、この俺に同じことができてもおかしくないはずだ。目前に迫るエイプリルの死を打ち崩すような固有忍術を発現させればいい。
「絶対に助けてやる」
胸元に当てた手に気を『集中』していく。
黄色に光る気はより輝きを増していく。
「勝手に守って、勝手に死ぬなんて許さねぇからよ!」
声の限り叫ぶ。
まだ足りないのか、瀕死の俺が力を振り絞ったくらいじゃ、助けてやれないのか。
俺も胸を刀で斬られている。血が失われ過ぎて意識は今にも飛びそうだ。
助けてやりたい。プレイヤーと違ってNPCには復活なんて仕様はないんだろう。
傷よ、塞がってくれ。もう何度目かの願いを呟く。
……違う。
心の内で何かが囁いてきたような気がした。
その囁きは俺の力の使い方を指摘しているようだった。
俺はずっと傷に対して『塞がれ』、『治れ』と念じていた。
だが、心の内から湧き上がる何かは別の言葉を待っているようだった。
傷を塞いだり治したりというのは治癒させる力だ。
俺の固有忍術では『それはできない』と否定しているのかもしれない。
精神を集中させ心の内へ耳を傾ける。俺にできることはなんだ。
その時、天啓のように閃きが脳内を駆け抜けた。
傷を塞いだり、治したりするのは他人に任せればいい。
俺は治せる人のもとに辿り着くまで死なせないことだ。殺させないことだ。
俺の力よ、エイプリルを死なせるな。殺させるな。
心の内で何かが笑った気がした。
それと同時に脳内へ一つの忍術の名が浮かぶ。
俺は考えるよりも早く、その言葉を叫んだ。
「『不殺術・仮死縫い』」
俺の手がぬるりと肉体を透過して、エイプリルの胸の中へと入っていく。ドクドクと脈打つ臓器が俺の手に触れる。これは人体で最も大事な臓器の一つだ。ゆっくりとそれを手で掴む。
そして、―――臓器の動きを止めた。
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