第214話 空と海のあいだに

▼セオリー


 暗転する視界。前後不覚に陥り、膝をつき崩れ落ちる。それから四つん這いのまま徐々に見えてくる光景に目を凝らした。



 そこは砂浜だった。しかし、先程までいたカラッと晴れたのどかな砂浜とは打って変わっている。空には暗雲が立ち込め、荒波が打ち寄せてくる時化しけの海。黒い雲の隙間からは青光りする稲妻が絶え間なく降り注ぎ、雷鳴は終わることなく轟き続けていた。

 突如、海が震えた。なにか巨大なものが水底から這い出てくるかのように海面が膨れ上がる。そして、時化しける荒波を断ち割りながら、とうとう姿を見せた。



 荒ぶる水神、大怪蛇イクチ。

 強大なるユニークモンスターがそこには存在た。俺は勝手にイリスが変化したイクチの姿こそが大怪蛇イクチの全容だと決め付けていた。それだけの威圧感があったのだから仕方がない。

 けれど、その認識は間違いだったのだと気付かされた。くねる身体を屹立きつりつさせ、暗雲にすら届くのではないかと思わせる巨大で異様な姿は、見る者の戦意を喪失させる圧倒的威圧感を放出していた。


 イクチは俺のことなど視界にすら入っていないようだった。それよりも大事なことがあると言わんばかりに身体をさらに持ち上げていく。ついに暗雲へと到達した。続けて大きな口を開けると頭を雲の中へと突っ込んだ。


 何をしているんだ?

 俺はいったい何を見せられているのか、疑問が湧いてくる。とはいえ、その答えはすぐに示された。

 イクチは暗雲ごと稲妻を喰らっていたのだ。一つ呑み込むたびにイクチの長い胴体を稲妻が通り抜けていくのが分かる。青白い輝きが皮膚を貫通して見えていた。

 まさかアレは『神縫い』の力を喰らっているのか。しかし、そう推測したところで手の出しようがない。荒れ狂う波はとても泳げたものじゃないし、飛び込もうものなら一瞬で海底まで引き摺り込まれてしまうだろう。



 どうすりゃいい。

 とにかくイクチに俺を認めさせなきゃならない。


 この世界に入った原因は『魂縫い』だ。であれば、アリスやアーティの時と同じく精神世界のような場所だろう。そこでは少なくとも『黄泉戻し任侠ハーデスドール』が使えることは分かっている。俺はそのことに気付くや否やライギュウを呼び出した。


「なんだぁ、ここは?」


「多分だけど俺自身の精神世界、かな」


「ハッ、意味わかんねぇなぁ。ただ、あの化け物相手に俺を呼んだのは正解だぁ!」


 イクチを見るなり、口角を吊り上げて笑うライギュウ。こいつには強大な敵を前にして萎縮するとかいう感情は無いのか。しかし、その頼もしさには助けられる。どうやら俺はいくらばかりか圧倒されていたらしい。さっきまで全身を支配していた身体の強張こわばりが自然とほぐれていくのを感じた。


「ただ相手は海にいるぞ。どう攻める?」


「接近戦に持ち込むのは難しいだろうなぁ。……だが、俺の拳なら届く」


 初手、ライギュウが選択したのは正拳突きの構えだった。ライギュウの習得している技の中で最大の範囲と威力を誇る『芝村拳法・男の迅雷突き』である。そして、構えと同時に雷光がその身に宿った。ライギュウを鬼たらしめる所以ゆえん、『雷神術・雷鬼降臨』である。

 この二つを持ってして、ライギュウは荒ぶる水神に挑んだ。俺のランクが上がったことでライギュウ自身のステータスも上がっている。今もてる全力が一撃に篭っていた。


 引き絞られた拳が一瞬の内に前へ突き出される。目で追えないほどの速さで繰り出された正拳突きは圧縮された力の奔流を生み出した。そして、海上を引き裂きながら進む拳大のオーラのかたまりは天に屹立する大怪蛇へしかと届いた。


「ははぁ、こいつぁとんだ化け物じゃねぇかぁ」


 ライギュウの一撃はたしかに届いた。届きはした。しかし、それだけだった。イクチはまるで微動だにしなかった。攻撃を受けた素振そぶりすら見せない。つまり、何のダメージも与えられなかったのだ。


 ライギュウは『黄泉戻し任侠ハーデスドール』により召喚された式神だ。それにより俺の忍者ランクと同じ中忍頭相当のステータスとなっているわけだ。それはかつての暗黒アンダー都市にいた頃のライギュウと比べればとんでもなく弱体化したと言っていい。

 それに加え、イクチがいる場所は海上であり、俺たちの立つ砂浜から距離が遠い。それらの要因によってライギュウ本来の一撃からはかけ離れた威力にまで減衰してしまったのだろう。


 ライギュウは空を仰ぐ。空高く昇り詰めた蛇はいよいよ暗雲ごと稲妻を喰らい尽くし、まさに今天空を支配する龍へと進化を果たした。



天津喰龗神あまつはむおかみのかみイクチ』



 龍となったイクチは地上を睥睨する。ここにきてようやくイクチは俺とライギュウの存在を視界に入れたのだ。

 俺たちを見るや否や、イクチは大きく口を開けて咆哮を轟かせた。まるで雷鳴のように腹へ響いてくる重低音。龍の咆哮に応えるかのごとく、稲妻が落ち、竜巻が天へ伸びる。


 もはや、天変地異だ。天災だ。

 人にどうこうできるレベルを超えている。


 心の隙間に怯えのようなものが芽生えていた。

 けれども、隣に立つライギュウは再び拳を引き絞り始めた。先ほどの直撃でダメージが通っていないのだから、これ以上続けても意味はない。しかし、ライギュウに退くという二文字は無かった。その一貫して挑戦的な態度は俺を励まし、鼓舞してくれる。


 何を怯えなど感じているのか。もっと鉄砲玉らしく立ち向かえ。がむしゃらに突っ込んでみせろ。


 自分を奮い立たせる。

 それからライギュウへ声をかけた。


「ライギュウ、提案がある」


「ほぉ、なんだ?」


「アイツをもっと近くでぶん殴る方法だ」


「へぇ、いいじゃねぇかぁ。聞かせろ」


 俺は思い付いた方法を伝える。伝え終えるとライギュウはニヤリと笑みを浮かべた。そうだろう、ライギュウなら乗ってくるはずだ。後のことは考えない。とりあえず、今やらなきゃならないこと、やりたいことを達成するためなら俺の提案したやり方が一番だ。


「よし、やるぞ!」


「あぁ!」


 イクチは俺たちが次に何をしてくるのか興味深そうに観察していた。まるでアリを眺める子どもだ。いつでも踏み潰せる存在が何をするのか、戯れに覗いている、そんな様子だった。


 いいだろう、目にもの見せてやる。手痛い一撃に驚愕しろ。

 俺は左腕に装着した長手甲を起動し、ワイヤーロープを伸ばした。伸ばした先をライギュウにしっかりと握ってもらい、後はお馴染みだ。


「歯ぁ食いしばれぇ!」


 ライギュウは握ったワイヤーロープを頭上でブンブンと振り回し始めた。当然ワイヤーロープは長手甲に繋がれているので俺ごと振り回すことになる。遠心力で腕が引き千切れそうになるけど、腕周りに気を『集中』させて無理やり耐える。そして、十分に勢いがついたところで放り投げられた。


 ライギュウのナイス投球精度により、俺は弾丸のごとくイクチへと迫る。イクチの尻尾は海の中だ。さすがに雲へ達するような高さにある頭までは届かないけれど、海面から出たばかりの尻尾近くの胴体になら、これで届く。


 チラリとイクチの表情を見た。

 余裕の表情を浮かべていた。たとえ『仮死縫い』をするにもイクチの巨大な身体ではどれだけ攻撃すればいいか検討もつかない。たかだか人間という小さな存在である俺一人が身体に張り付いたところで何ができる?

 そう思ってんだろう。だけどな、こちとらゲームは散々遊び倒してきたんだ。その中でゲームを問わず使えるテクニックの蓄積ってものがある。その一つがコレだ。


「『支配術・黄泉戻し任侠ハーデスドール』。来い、ライギュウ!」


 俺を投げ飛ばしたライギュウをすぐに召喚解除し、投げ飛ばされた先でライギュウを再召喚する。これにより俺だけでなくライギュウの長距離テレポートをも可能にした。

 これは断じてバグではない。ゲームの仕様を利用したテクニックだ。召喚師の固有スキルだ。


「今度こそ喰らいやがれぇ!」


 空中で拳を引き絞る。そして、ライギュウが誇る最大火力『芝村拳法・男の迅雷突き』が再度イクチの長い胴体の至近距離で火を吹いた。

 直撃した瞬間、ドンッと雷が落ちたかのような音が轟いた。しかし、実際に落雷が起きたわけではない。その音はたしかにライギュウの拳によって発生したものだった。


 天に向かってそびえ立っていた身体がくの字に歪む。ワンテンポ遅れてイクチの叫び声が海上に響き渡った。そして、そのまま海中へとゆっくりと倒れていった。

 明らかにダメージが入った。そう確信させる一幕だった。


「はっはぁ、一撃くれてやったぜぇ!」


 ライギュウは拳を放った勢いで海面方向へ吹き飛んでいった。それでもなお高笑いを止めることなく海中へと姿を消した。イクチが沈んだ影響で海面が波打ち、渦潮が発生している。ライギュウとはいえ、この荒波に呑み込まれれば無事では済まないだろう。それを思い、ライギュウの召喚を解除した。


「さて、こっからどうすっかなー」


 問題はここからだ。ライギュウに投げられた推進力もそろそろ底を尽く。このまま海へ投げ出されれば間違いなく待つのは死あるのみだ。

 後先考えない鉄砲玉にはちょうど良い末路かもしれないけど、果たしてイクチはこれだけで認めてくれるだろうか。うーん、怪しいところだ。


 そんなことを考えながら徐々に落下していると、落下する俺とは逆に海中から頭を飛び出す存在があった。イクチである。当然のように身体を伸ばし、起き上がってきた。

 上昇していくイクチと落下する俺の視線が交差する。イクチは俺を見て鼻を鳴らした。まるで鼻持ちならないが仕方ない、とでも言うように俺には見えた。もしかして、認められたのか?




『ユニーククエスト「天津喰龗神あまつはむおかみのかみイクチへの挑戦」が開始されました。参加人数:無制限。参加制限:ホストプレイヤーの同クランおよび配下』


 そう思ったのも束の間、青白く発光する電子巻物が目の前に出現した。

 このタイミングでユニーククエストだと? どういうことだよ、じゃあ今までの一連の流れは何だったんだ。……まさか、今まで俺はイクチに認められるための舞台にすら立てて無かったのか?! ここからが本番だとでもいうのか? 嘘だろう!

 訴えるようにイクチを見る。すると俺の疑問へ答えるかのように周囲へ一斉に雷が落ちた。明らかに自然発生した雷ではない。イクチ自身が発生させたのだ。ここからは見ているだけではなく攻撃もし始めるぞ、と言わんばかりだ。




 なるほど、分かった。こうなったら徹底的にやり合おう。けど、残念なお知らせがある。今回はここまでだ。何故なら、あと数秒後には俺、海面に叩き付けられた後、水没して即死の予報が出てるからだ。

 南無三。心の中で念仏を唱えつつ目をつむった。次があれば準備を整えて挑むとしよう。まずはイクチが海上にいる点を攻略しないといけないな。さっそく脳内で反省会を始める。クソ、もう波の音が耳のすぐ近くで聞こえる。海面が目前に迫っているのだ。


 そして、俺は深く暗い海へと沈み込んだ。

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