第135話 思惑
▼リベッタ(ツールボックス上忍)
半身に火傷を負った痛みに呻く演技をしつつ、俺は周囲に目を光らせる。
本来であれば、この役割は共に監視をしていたネイラが実行する手はずだった。しかし、あろうことかネイラは監視対象に尾行がバレるという失態を犯した。
事前にピックよりもたらされていた調査内容によれば対象のランクは中忍だという。にもかかわらず、ネイラは一対一の接近戦で劣勢に立たされていた。
おそらく対象の振るっていた曲刀にまとわれていた黒いオーラに何か仕掛けがあったのだろうが、それにしたってツールボックスの名折れだ。
とはいえ、周囲には頭領であるコヨミがいたのだから、のこのこと姿を現すわけにもいかない。ネイラに対しては情報漏洩を防ぐため、速やかに処理したのが正解だったろう。
「セオリー! ……酷い火傷、早く医療忍術を使える人に見てもらわなきゃ」
周囲の人混みを掻き分けて女が一人駆け寄ってきた。ずいぶんと騒がしい声だ。たしか俺が成り代わった対象の護衛に付いていた女忍者か。
ピックによれば配下のように付き従っているという話だったが、対象の護衛としては下の下だ。火傷を負った主人が一人で外に出てきてから何分経って戻ってきたのだ。プロ意識の低さに反吐が出る。
そもそも、お前の主人はすでにマグマの下で骨も残さず燃え尽きているというのに!
……おっと、感情が昂ってしまった。
つい今しがた正体不明の忍術で主人がマグマの餌食になりかけていたというのにもかかわらず、旅館に着いた途端、呑気に主人を置いてどこかへ行ってしまうプロ意識の低さに憤ってしまった。
暗殺家業と要人警護の戦いは、プロとプロのプライドをかけた意地のぶつかり合いだ。その戦いにおいては一瞬の隙すら許されない。
その点、彼女には護衛をしているという意識が低いのではないか、と一連の流れを俯瞰していて思ってしまう。
「いや、待て。先に周囲を確認しろ。まだ近くに潜んでいるかもしれない」
「えっ……、まさか、さっきの転移忍者が近くに潜んでた?!」
ほう、少しは知恵が回るようだ。
その知恵をもっと早くから活用できていれば、主人はまだ生きていたかもしれないというのに。
「おそらくそうだ。一瞬だけだが神社でも現れた窓みたいな忍術が出現したのを見た」
「分かった。周囲を警戒しておくね」
俺から少し離れた位置で周囲をキョロキョロと見回す。主人の護衛もできなければ警戒も雑か。
監視対象がネイラの尾行に気付いた時にはなかなか厄介な奴らかと思ったが、蓋を開けてみれば警戒すべきは俺が成り代わった監視対象のセオリーという忍者だけだったようだ。
この女忍者はひとまず捨て置いて良いだろう。わざわざツールボックスの駒を割いて成り代わるほどの旨味も少なそうだ。
それから俺は駆けつけた救急車に載せられ、病院へと運ばれた。運ばれたのは一般人が治療を受ける病院だ。こんなところでは火傷を治すのに何日も掛かってしまう。
忍者の傷は忍者が最も上手く癒せる。つまりは医療忍術を受けるのが一番だ。とはいえ、俺が成り代わったセオリーという男は桃源コーポ都市では企業連合会の会長であると同時に甲刃連合の幹部でもある。つまり、通常の忍者用病院には掛かることができない。
「闇医者に掛かるか」
「日光にも闇医者がいるの?」
「あぁ、噂で聞いたんだ」
エイプリルは救急車に載せられてからずっと同行している。自由な行動が制限されるという意味で邪魔ではある。しかし、彼女を消すとコヨミら八百万カンパニーの面々から俺に対する不信感が強まる恐れがあるというのが悩ましい。
最終的には八百万カンパニーの頭領、コヨミとも真正面から敵対しなくてはならないのだ。であるならば、裏をかき罠にはめられる現在のポジションは保持しておきたい。
……なんにせよ、面倒な仕事だ。
ツールボックスの同盟相手であるパトリオット・シンジケート、奴らは信用できない。ここ一年の内に関東の各所で色々と裏工作をしているようだが、奴らの狙いは見えてこない。
一体、我々のボスは何を吹き込まれて、この仕事を引き受けたのか。
八百万神社群で最大勢力を誇る八百万カンパニーに喧嘩を吹っ掛けるなど普通であれば正気の沙汰とは思えない。
「ここだ」
闇医者の経営するクリニックへ着いた。考察に沈んでいた意識を表へ戻す。
エイプリルは物珍しそうに店先を眺めていた。たしかに初めて来たのであれば、ここに闇医者がいるとは思わないだろう。
「わあ、駄菓子屋だー」
「入るぞ」
そう、駄菓子屋である。俺が知り得る闇医者は関東地方に絞られるが、何故かどこの闇医者も駄菓子屋を隠れ蓑にしている。なにか示し合わせでもあるのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
眼鏡を掛けた青年がレジの前に立っていた。青年は俺の身体にサッと目を走らせると、納得したような顔をして頷いた。
「奥へどうぞ」
「話が早くて助かる」
何を隠そう俺の半身は大火傷を負っている。軽く布をまとっていたが、布の端から見え隠れしている腕や脇腹を見ればすぐに治療が必要だと分かるだろう。
奥の部屋へ通されると値段の説明が始まる。まどろっこしいことは抜きにしてサッサと治療を始めてもらいたい気持ちもあるが、静かに説明を受ける。
このセオリーという男の情報は少ない。本来であれば、ツールボックスの暗殺は成り代わる前に一ヶ月程度の観察期間を設けてから暗殺を実行する。
しかし、今回はイレギュラー的に派遣され、なおかつこちらの尾行も即座に見抜いてきた。一ヶ月観察するなどと甘いことは言ってられない。そのため、情報の少ない状態での暗殺、成り代わりとなってしまった。
情報が少ない状態での成り代わりにはどうしたって違和感が生じる。そこで有効な手段は、あまり喋らないことだ。
もちろん、我々ツールボックスの擁するクラン忍術『完全模写』は非常に精巧で見破ることが難しい忍術だ。口調や声質も相手の耳へ届く時には自然と感じられるように改変されるため、簡単には気付けない。
しかし、それでも勘の良い人物と会話をすると、喋った時に違和感を持たれることがある。この女忍者が『完全模写』に気付けるとは到底思えないが念には念を入れた方が良いだろう。
青年の闇医者が説明した値段設定などの内容に頷き返す。少々値段設定は高めだが背に腹は代えられない。
緑色の医療忍術が俺の身体を覆うと即座に火傷痕が修復されていく。このケガを治癒されている状態を見せるというのは『完全模写』において非常に重要なテクニックだ。
「おぉ、火傷が消えていく。肌も元通りだ」
「本当だ、痕が全然残らないんだね」
大仰に驚いて見せる。すると、エイプリルも火傷痕のあった場所へと目を向け、痕が残らないことに驚いた。
一般医療では火傷痕を完全に治すことはなかなか難しい。しかし、医療忍術であれば程度や経過した時間にもよるが、すぐに治療を受ければ完全に痕を無くすことができる。
そして、痕が無くなった後の身体は『完全模写』により再現された対象の肉体である。これを見せると、周囲の関係者は俺を本物なのだと信用してしまうのだ。
忍者の用いる見た目を変える術と言うと変装術がポピュラーだろう。
この変装術というのは、自分自身の上に変装用の皮を一枚被ることで変装を完成させる忍術だ。そのため、万が一傷を負ってしまった場合、治療を受けると元の自分の肌が露出してしまうという欠点がある。
その点、『完全模写』は身体の内部まで含めて模写先と同じ姿形を得ることができる。これをされると普通の忍者であれば偽物ではないかと疑う線は頭から消えてしまう。
ハンゾー・ハットリという過去を生きた偉大な忍者の言葉に「いついかなる時も相手を疑ってかかるべし」という
世に蔓延る多くの忍者たちはその言葉を心に刻み込んでいる。その言葉は大事な教えだ。だがしかし、だからこそ『完全模写』をした上で傷を癒した様を見せることで全幅の信頼を勝ち得ることができるのだ。
いくらエイプリルが護衛として下の下であろうと、ハットリの言葉は知っていよう。そして、今傷を癒された肉体を見て、まさしく目の前にいる相手は主人であるセオリー本人であると確信したに違いない。
何も恥じることではない。これはツールボックスに連綿と受け継がれてきたテクニックだ。あとはもう、彼女は俺の配下として意のままに操られるだけだ。
さあ、ここからは俺が中から引っ掻き回してやろう。
八百万カンパニーを守る牙城が音を立てて崩れていく様を、俺は確かに予感したのだった。
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