第218話 蛍火と忌名

▼ホタル


 大きなわしはボクとルペルさんを乗せると力強く羽ばたいた。そして、ぐんぐんと高度を上げていく。今はシュガーさんの忍術の方へイクチの意識が向かっているけれど、もしも標的にされたら逃げ切れるのだろうか?


「不安かい?」


「少しだけ。上手く陽動できるかなって」


「それは問題ないさ。私も手伝うからね。むしろ、こんな強大な相手を前にして恐くはないのかい?」


「うーん、怖くは無いですね。セオリーさんを見てたら慣れちゃいました」


「……彼を?」


「えぇ、セオリーさんはどんなに強い敵を前にしても果敢に挑んでいくんです。そういう所に惚れ込んだんですよ、ボクは」


「フッ、私にはただ無鉄砲なだけの男にも見えるよ」


「無鉄砲でも良いじゃないですか。ボクにとっては一歩を踏み出して、手を差し伸べてくれるのが心強いんです。考えが甘い部分はボクたちでフォローすれば良いですから」


「ふむ……、なるほどね」


 それからルペルさんは黙ってしまった。ほんの数秒くらいの時間だけど、ルペルさんは何かを考え込んでいるようだった。しかし、すぐに目の前の状況に意識を戻したようで、再びボクへ向かって声を掛けた。


「そういえば、君の固有忍術は火を生み出して自由に操る、というものだったね?」


「はい、そうですけど火力が低いので、これだけ大きな相手だと目眩めくらましにもなるかどうか……」


「いいや、問題ない。むしろ、私と相性バッチリだよ」


 ルペルさんはニヤリと笑みを浮かべた。それから陽動作戦におけるボクの役割を教えてくれた。


「何、簡単さ。君は火を生み出したら、私の合図と同時にイクチの視界から逃げるように火の玉を動かすだけでいい」


 役割とは言ったけれど、たったそれだけだ。こんな簡単なことをするだけで本当に大丈夫だろうかと思ったけれど、今は彼を信じるほかない。

 不知見組ではルペルさんは一番新入りである。けれど忍者ランクは上忍頭だし、セオリーさんも何かとルペルさんを頼りにしている節がある。それならボクも信じよう。言われたことを頑張ってこなすんだ。


「それじゃあタイミングを合わせて」


「はい! 『蛍火術・追灯ついび』」


「イクチ、火を見よ! 火に瞳を奪われよ!」


 放たれた灯火ともしび、それを振り子のように左右へ揺らす。ルペルさんの声を受けてイクチは一瞬だけこちらへ視線を向けた。それから続けて揺れる火の玉へ目を向ける。


「ゆらりゆらり火は燃ゆる。火はお前の獲物だぞ。あちらへゆらり、こちらへゆらり、瞳で追えば火は逃げる。さあ、見つめよ。逃げる火の玉、追いかけよ。お前はもう火のとりこだ」


 ルペルさんは滔々とうとうと言葉を重ねていく。『忌名術』を掛けた上から『言霊術』、『暗示術』、『洗脳術』、『誘導術』といった精神攻撃系の忍術を重ね掛けしているみたいだ。

 忍術にもコンボがある。相性の良い複数の忍術を組み合わせることで容易に破れない強力な忍術を構築することができる。


 ボクはルペルさんの合図を受けて、小さな火をイクチの視線から逃げ回るように周囲をぐるぐると移動させていく。イクチはそれを目で追うように首をぐるぐると回した。


「よし、掛かった」


 ルペルさんがホッとしたような表情を浮かべた。


「不死夜叉丸と比べるとイクチは少しばかり精神攻撃に対する防御が手薄だったようだね。重ね掛けが上手くいったよ」


「やりましたね、ルペルさん!」


「あぁ、そうだね。君の火も役に立ったよ」


「そんな、ほとんどルペルさんの忍術じゃないですか」


「いいや、最初にイクチが火の玉へ意識を集中させただろう。あれが重要だったのさ。何かに意識を傾けている時というのが精神攻撃を仕掛けやすいタイミングだからね」


 ルペルさんはそう言ってボクをねぎらってくれた。最初は自分自身を餌にして催眠を掛けようとしていたらしいから、それに比べてボクが操る火に意識を傾けさせたのは安全面でもかなり高くなったようだ。


「君のおかげで逃げまわる方に意識を割かなくて済んだ。あとはどこまでイクチを抑え込めるか……」


「あれ、顔色が悪いですよ?!」


 イクチを睨むルペルさんは顔色が青い。ボクは慌てて大鷲の上でルペルさんの身体を支えた。


「イクチの精神体が暴れていてね。気力がガリガリと持っていかれるんだ。流石ユニークモンスターと言ったところかな」


「頑張ってください、身体はボクが支えてますから!」


「あぁ、よろしく頼むよ」


 そう言うと、身体を脱力させたらしくボクの方へ重みが加わった。しかし、眼光は鋭くイクチを睨み続けている。見えない世界でルペルさんとイクチの綱引きが行われているのだろう。ボクは必死にルペルさんの身体を大鷲の上で支えながら、火の玉をイクチの視界から外れるように操作し続けるのだった。





▼セオリー


 イクチの動きが緩慢になった。周囲を飛び回る火の玉を視線で追いかけるようにうろうろとしている。

 今がチャンスだろう。俺はアーティへと視線を向ける。アーティもそれで理解したようで蜘蛛たちの進行速度をより一層速めた。今ならイクチが急に不規則な動きで身体をくねらせる可能性も少ない。

 当初は一歩一歩しっかりと確かめながら登っていたけれど、今は飛び跳ねるようにしてイクチの胴体を登っていく。これならずっと早く到着できるだろう。



 イクチの胴体登頂。それももうすぐ終わる。じきに頭部へ到達するのだ。シュガーに続いて、ルペルとホタルの活躍によりイクチは驚くほど沈黙していた。彼ら無くして頭部まで登り詰めることなどできやしなかったろう。


(すまないが、もう気力が切れる。あとは頼んだよ)


 ルペルから『念話術』による通信が入った。さっきまでは気力を温存するためにホタルが連絡をしてくれていた。しかし、いよいよもって保てなくなったらしい。ルペル自身からじきじきに連絡が来た。


(任せとけ。こっちにはまだ頭領とユニークモンスターが控えてるからな)


(フッ、たしかにそれは心強いな)


 安心させるようにアリスやアーティが控えていることを伝えると、ルペルは笑って通信を切った。直後、沈黙を保っていたイクチの身体が不自然に震える。続けて口を天に向けると、耳をつんざくような咆哮をあげた。

 落雷が見渡す限りの海上へ数百発と発生する。さすがに一度、蜘蛛ライダーの進軍を止め、胴体に必死にしがみ付く。さらに竜巻によって巻き上げられた海水が嵐のような豪雨を発生させていた。


 強風、落雷、豪雨。この悪環境じゃ空を羽ばたくのも厳しいんじゃないか。

 先ほどまでルペルとホタルを乗せていた大鷲の行方を捜す。すでに海岸方面へ引き返しているのを見つけた。海上にはシュガーの乗った蜘蛛ライダーの姿もある。


 なんとか海岸まで逃げ切れそうだな。

 そう思った時だった。イクチは海岸へ向けて逃げる三人の姿を見つけた後、高圧ジェット水流を吐き出し追撃したのだ。

 圧縮された水流はレーザーのように大鷲の翼を貫いた。そして、蜘蛛ライダーの身体にも直撃する。弾ける波飛沫の中、三人の姿は波の中へ消えていった。


「シュガー! ルペル! ホタル!」


 声の限り叫ぶ。しかし、さっきのシュガーみたく呑気な返事が返ってくることもない。ただただ荒波のさざめき、風雨の喧騒だけが耳に届くだけだった。


「主様、先を急ぎましょう。イクチがこちらへ意識を向ける前に」


「……あぁ」


 海岸の方へ向けていた視線をイクチの頭部へと戻す。豪雨と強風の中、それでも蜘蛛ライダーの進軍を再開する。もう頭部は目の前だ。

 不意にイクチが目玉だけをギョロリと動かしてこちらを見た。とうとう陽動役も居なくなり、ヘイトを向ける相手が俺たちだけになった。


「よぉ、イクチ。さっさと俺のこと認めさせて咬牙を俺の物にさせてもらうぞ」


 言葉を理解しているのかは分からない。でも、イクチの目は「やれるものならやってみろ」と言っているように思えた。

 いいだろう、アリス、アーティ、エイプリル、……そして、俺の力で目にもの見せてやろうじゃないか。

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