第10話 カルマ値と人助け
▼セオリー
店の奥へ進むとバックヤードスペースに休憩室があった。そして、その中から若い女性のむせび泣く声と男たちの下卑た笑い声が聞こえてくる。
自然と体が動いていた。休憩室の扉に足をかけると、力任せに蹴り開けた。
「なんだ?!」
男たちがこちらを振り向く。
手始めに一番手前にいた男の胸部へ掌底を当てて沈黙させた。次にバットを手に持った男がこちらに振りかぶってくるのを躱しつつ、首元に手刀を当てる。ここまではスムーズだ。多対一は相手が動揺している初動で数を減らすに限る。
しかし、最後の一人は以外にも冷静だった。女性の背後に回り込むと、ナイフを女性の首元へ突きつけて盾にしたのだ。
「動くんじゃねぇぞ、クソったれめ」
「ナイフを下ろせ。お前に勝ち目はない」
俺が睨み付けると、男は冷や汗を顔から流す。周りに倒れている男の仲間たちを見て、顔色が見る見るうちに青くなっていく。
「忍者、なのか……?」
「そうだ」
俺の返答を受けて、男は外へ続く扉の方へじりじりと後ずさる。
「女は解放する。だから俺は殺さないでくれ」
男は他の倒れた仲間たちを見て、死んだものと勘違いしたらしい。とはいえ、仮死状態だから傍目には死んでいるのと変わらない。
「分かった。殺さないでやるからさっさと解放しろ」
俺がそう返してやると、男は少し顔色が良くなった。そして、女性を俺の方へ突き飛ばすと扉へ向かって一目散に走り出した。俺は女性を抱きとめると男が逃走する扉の向こう側へ念のため声をかける
「殺さないようにな」
「分かってるってば」
そこには怒り顔のまま男を睨みつけるエイプリルの姿があった。
「そんな、嘘だ。見逃してくれるって言ったじゃないか!」
悲痛な叫び声を最後に、逃げ出そうとした男はエイプリルの当身を受けて失神した。
「いや、殺さないとは言ったけど見逃すとは言ってないから」
「気絶で済ませてあげただけありがたいと思うべきよ」
エイプリルはかなり怒り心頭な様子だ。女性が路地裏に連れ込まれていったと報告した時も、相当に殺気の籠った了解の返事が来ていた。やはり俺が先に突入してよかった。エイプリルだと下手すればやり過ぎていたかもしれない。
「いやー、それにしてもやっちゃったね」
そんな俺たち二人のいるバックヤードにコタローが姿を現す。頭をポリポリと掻いて困り顔だ。
「やっぱり、こいつらは一般人扱いになるのか?」
「うん、そうなんだよね。一般人の犯罪的行為は警察に連絡して後はそっちに任せるべき案件だ。これは私刑になっちゃうからね」
「そっか、そうだよなー。指名手配とか大丈夫かな……」
「それは大丈夫だと思うよ。一般人とはいえ、彼らのカルマ値もだいぶ低かっただろうから」
「相手のカルマ値も関係あるのか」
「そうだね。もし、これで指名手配になるならボクも止めてたよ」
「私としてはもう少し殴ってやりたいところだけど」
エイプリルはだいぶ頭にきているようで言動が物騒だ。それにしても、今回は相手がカルマ値の低い相手で良かった。というか、悪いことしてる相手ならあまり後先考えずに成敗していってもいいのではないか?
「まあ、それでも多少はカルマ値が下がったと思うけどね。普通のクランに所属する予定なら今後はもう少しやり方を考えた方がいいんじゃないかな」
「うっ、さすがにダメか」
その後にコタローからしっかり注意を受けた。そして、カルマ値が下がった場合のデメリットを教えてもらった。
まず、コーポ系組織内での評価が下がる。社会的信用が低いという扱いになるようだ。さらにカルマ値を下げ続けると最終的には解雇されるという。無所属の場合には新規にコーポ系組織に所属するのが難しくなるということなので俺たちは特に注意が必要だろう。
また、公的機関を利用する際、料金が割高になったり、そもそも利用できなくなったりするようだ。公的機関にはお金を払って医療忍術を受けられる忍者用の病院や他の地方ワールドへサーバー移動するために必須な
「だから、なるべくカルマ値を下げないように立ち回る必要があるんだ。例えば、今回の場合は連れ込まれた女性だけをバレずに救出するとかね」
「ほうほう。でも、今回はこいつらが部屋に一緒にいたから難しくないか?」
床に伸びている男たちを指差して尋ねると、コタローは懐から丸い球を取り出した。
「そういう時は、ボクなら煙玉を投げ入れて男たちが慌てて外に出たところを女性だけ救出するね」
「なるほど」
やはり中忍頭として忍者歴の長い先輩の話はためになる。今後はそうしよう。俺は心にそう刻んだ。
「とーこーろーでー、セオリーはいつまでその女の人を
真剣にカルマ値のことや救出方法について語り合う俺とコタローの邪魔をしないようにエイプリルはずっと黙っていてくれたようだが、そろそろ我慢の限界だったようだ。
というか、俺も見て見ぬ振りしてたんだよなー。そうだ、エイプリルに任せよう。
「そうなんだよな、直視できなくて困ってたんだよ。エイプリル、頼んだ!」
女性をエイプリルに渡すと、俺とコタローはそそくさと休憩室から出た。伸びている男たちも外に引きずり出した。
というのも、女性の状態が原因だ。最後に気絶した男が持っていたナイフによるものだろう。上半身に着ていた衣服が胸元を中心にして縦に切られていたのだ。そのため、俺は突き飛ばされた女性を抱きとめた後から、ずっと半裸の女性を
女性をエイプリルに受け渡したことで、心に平穏が戻ってくる。
「ボクも目線に困っていたから助かったよ。こういう時、女性がいると助かるね」
カルマ値の話をしていた時、コタローも俺の方を向かずにどこか目が泳いでいたので同じく困っていたらしい。
「それにしても、結局クエストってわけでもなかったし、また振り出しか」
「……いや、そうでもないんじゃないかな」
俺の零した言葉にコタローは意味ありげな笑みを見せて答えた。その笑みの意味が分かったのは女性が目を覚ました後のことだった。
それからしばらくして女性は目を覚ました。衣服を切られた以外に外傷もなく、起きてすぐにもかかわらず元気だった。
「助けていただいて、ありがとうございました!」
エイプリルが羽織らせた上着の裾を両手で握りしめながら、俺に頭を下げてきた。最初に乗り込んだのが俺であることは、先にエイプリルが女性を落ち着かせるために説明していた。
「あなたが乗り込んでくれなかったら、私今頃どうなっていたか……」
「体が動いちゃっただけだから、気にしないでいいよ」
その後も、何度も礼を言われた。でも、感謝されることよりも、女性を無事に助けられたことの方が俺にとって大事な成果だ。
男がナイフを女性の首元に突きつけた時、俺には過去の記憶がフラッシュバックしていた。鼠色の忍者がエイプリルの胸元に刀を突きつけた時の記憶だ。あの時のやりきれなさはずっと心に残っている。同じようなことをまた繰り返したくない。そのためには、強くならなきゃダメだ。
「あの、私なにか怒らせてしまいましたか?」
「セオリー、顔が怖くなってるよ」
女性の伺うような声とエイプリルの指摘に、ハッとして顔を上げる。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してた。それでなんだっけ?」
何か言っていたようだが、そこも耳を通り抜けてしまっていた。再度聞き直すと、エイプリルがやれやれという顔をしていた。
「助けてくれた皆さんにお礼がしたくて、もし良ければ私の家に来ていただけませんか?」
どうやら家に招かれていたようだ。なんでもご飯をご馳走してくれるらしい。そうして思い返してみると、チュートリアルの後は山下りして、逆嶋に入ってとずっと歩きっ放しだったことに気づいた。きっとエイプリルもお腹が空いただろう。ここはご
そんなわけで、店を出た後は女性に付いて街を歩き始めた。壊滅させた居酒屋こと不良のたまり場は面倒なので放置した。コタローからも今さら警察に連絡してもこちらが痛くない腹を探られる結果になるだけだろうと言われたので仕方ない。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私、ランって言います」
女性はランという名前だった。なんでもランは自宅の一角をお店にしているらしい。しかも、駄菓子屋だという。今日は彼女の祖母が留守番をしてくれており、ランは買い出しをしていたところだった。そこを悪い男たちに連れ込まれてしまったわけだ。そういえば、この路地裏はさっきも通った気がする。
「ところで、おばあちゃんの名前ってキクさんだったりする?」
「そうですよ。お祖母ちゃんのこと知ってたんですか?」
「いや、ちょっとな」
隣を歩くコタローはにこやかにスマイルを浮かべている。こいつ、知ってたな。俺はここにきて、居酒屋のバックヤードで見せたコタローの意味ありげな笑みに思い当っていた。
そんなことを話している内に、俺たちはつい何時間か前にも一度訪れた駄菓子屋の前に再び立っていたのだった。
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