第274話 アリス イン カースドランド

▼アリス


(こちら盛大にトンズラ成功せり)


 一報にホッと胸を撫で下ろす。

 どうやら主様あるじさまは無事に脱出できたようですね。これで唯一の懸念が消えたと言っていい。


「何がおかしい? 笑える状況ちゃうやろ」


 金之尾コンサルティングのウカが不可解そうな顔をして尋ねる。

 言われて私は手で顔に触れた。口角がほのかに上がり、自然と笑みを浮かべている。そんな自分に驚いた。自分が笑っていることに全く気付いていなかった。

 そう、私は今、笑みを浮かべるほど嬉しく感じているのだ。


「役目は遂げました。だからでしょうね」


 ウカへ笑みを見せる。

 私の役目は時間稼ぎ。主様が脱出できれば私の勝ちだ。たとえ、その先に私の未来が無くとも……。


「その反応……、セオリーは逃げ切ったんか。ハァ、ラヴィさん爪が甘いわ」


 ウカは肩を落として私から意識を外した。最早、私は眼中に無いらしい。

 無線機を取り出してどこかとやり取りをし始めた。すぐにトラックが現れて彼を拾う。ウカはこの場を後にするようだ。


「ほな、生きとったらどこかで」


 こちらへ目線だけ寄越してウカは去っていった。


「時間稼ぎだったのは向こうも同じ、でしたね」


 頭領がこの場を後にしたというのに私の緊張感は全く緩められない。

 私の周りを囲むように五人の忍者が立っている。全身を覆うフード付きコートで各々の特徴を隠しているが、いずれも強敵であることに違いはない。



 鳴神忍軍。天罰の執行機関。

 その力の異常性は忍者であれば誰もが知るところ。部隊を構成する一人一人が頭領に迫る力を持ち、さらに部隊をまとめ上げる者ともなれば頭領複数人に匹敵する化け物であるという。




 私はウカを警戒して全力で行使していた反射結界を解除する。それから鳴神忍軍の足止めに使っていた呪いも解く。


「自身が動かないことを制約にして相手にも不動を強いる呪いか。強力な忍術だった。しかし、五人相手では長く持たなかったようだな」


 自由が戻った鳴神忍軍の内、一人がしたり顔でこちらへ歩いてくる。


「いずれにせよ、足止めだけでは死期を引き延ばすことにしかならないぞ」


 私は思わずため息を吐いた。主様の下へ鳴神忍軍を向かわせないための足止めだったのだから、主様が逃げ切った今、足止めの呪いを続ける意味はない。

 そのことも分からず、ただ気力切れで呪いを解いたと思っているのならとんだ浅慮だ。鳴神忍軍と言えど複数人が集まれば程度の低い者も紛れ込んでしまうものなのか。



 そのように心の内であなどりが差した途端、五人が同時に攻撃を仕掛けてきた。

 私は心中で舌打ちをする。全て演技か、その軽々しい言葉でもって私の心へ侮りを芽生えさせてきたのだ。

 地面を踏み抜き、固められたコンクリートが吹き上がる。これで二人分の目隠し。同時に手裏剣を投擲し、左右の他二人を足止めする。


 残りは正面に相対する一人。地面を踏み抜いた力をそのままに前へ出る。振りかぶった刀は業物だろう。だが、それが何だというのか。刀の軌道上に反射結界を張り、弾くと同時に蹴りを食らわせた。

 吹き飛ぶ一人に目もくれず、蹴りの力をもって今度は後方宙返りで上空へ退避する。さらに両手の指の間に挟めるだけのクナイを構え、受け流していた四人へ一斉に投擲した。

 一人が蹴り飛ばされた時点で他の四人は体勢を立て直す方向へシフトしていた。私への追撃はない。追撃してくれていればカウンターでクナイの一撃が当たっていただろうが、鳴神忍軍は冷静だった。

 全員が手にした得物で寸分の狂いもなくクナイを叩き落す。



 コンマ数秒の出来事。そこに濃密な一進一退の攻防があった。


 煽り役の演技を受けて私の見せた僅かな隙を誰一人として見逃さない洞察力。

 息の合った攻撃を同時に繰り出す連携力。

 かと思えば私が一人を削ろうとするとすぐさま防御態勢に転じる攻防のバランス感覚。

 そして、攻防の反転に乱れがないことから意思統一も完全にできている。


 これだけでも鳴神忍軍の練度が計り知れる。チームとしての完成度が非常に高く、それでいて個人の力も高いレベルにある。一対一なら負ける気はしないが、彼らは集団だ。おそらくジリジリと戦いを長引かせれば負ける可能性が高い。





 なら、どうしましょうか。

 ……私の答えは、大技で全員擦り潰す。



 「『心象結界・呪転回廊』」



 黒きとばりが空より落ちてきた。

 柔らかな膜状のカーテンは世界と私たちを区切る結界。

 呪転回廊は出口のない空間。ともに呪いと戯れる世界。


 危険を察知した五人が方々へ散る。術から逃れようとしたのだろう。しかし、すでに忍術は完成している。彼らの行動は遅すぎた。

 空から落ちてくるカーテンは後付けに過ぎない。私から吹き出す呪いの奔流が世界を穢さぬように。

 だから私が術を唱え切った時点で、彼らはすでに囚われている。


 四方八方に散ったはずの五人は進んだ先で再び集合する。

 驚きの表情は残念ながらフードに隠され見ることができないけれど、それでも彼らは理解しただろう。世界のルールが書き換わったことに。


「呪転回廊は呪いの充満した結界に自分もろとも相手を閉じ込める術です。かつて私はこの術を一度だけ使ったことがあります。……今思えばあの状況はカルマに仕組まれていたのでしょうね」


 当時のことを思い返し、首を振る。嫌な思い出だ。

 それは逆嶋バイオウェアの依頼で連続殺人を繰り返していた指名手配忍者を捕まえるというクエストだった。

 突入した現場は見るも無残な光景が広がっていた。むせ返るほどの死臭と前情報とは比べ物にならない強さを持ったターゲットの忍者。さらに死体たちがゾンビのように蘇り、人海戦術で追い込まれた。そして、使ったのだ。


「呪転回廊は囚われた者、全員に呪いを振りまきます。それは私自身も例外ではありません。呪いの効果は強制狂戦士化とでも言えば良いでしょうか。自分以外は全てが呪いとして映り、全てに対して敵意を抱きます。つまり、今のあなた方のようになるわけです」


 一糸乱れぬ連携を見せていた鳴神忍軍たち。彼らは今やお互いに仲間を攻撃し合っていた。敵も味方も関係ない。自分以外は全て敵だと認識してしまう。そういう呪い。


 ただ問題もある。

 私は結界の中心にそびえる巨大な影と向き合った。塔のように高くあるそれは呪いを周囲にばら撒き続ける発生源だ。そして、生み出された全ての呪いは私を敵として認識する。彼らの同士討ちが先か、私が呪いに飲まれるのが先か。耐え比べだ。

 過去に使用した時は、ターゲットの忍者は排除できたがギリギリだった。呪いに飲まれかけ、意識を失い、その結果カルマの道具にされた。


 もう同じ過ちは繰り返すつもりはない。あの頃よりもずっと強くなった。反射の力もある。今ならそうそう呪いに飲まれることもないだろう。







 呪いと戯れ始めて半刻ほど経った頃、突然結界を閉じていた黒いカーテンがはためき、真一文字に亀裂が走った。

 呪いとの攻防に疲弊する身体に鞭打ち、異変へと目を向ける。


 結界が切り取られてしまったかのようにズレていく。そんなことは有り得ない。結界は物理的に存在しているわけではない。それなのに物理的障壁のごとく切り裂かれた?


 外の世界との出入口が開通し、外から一人の忍者が入って来た。ひげを蓄えた中年くらいの男。顔に見覚えは無いが、服装は鳴神忍軍の忍者たちと同じものだ。違いは顔を隠すフードが無いことだけだ。


「鳴神忍軍の援軍、ですか……」


 ここに来て援軍。

 まだ最初の五人も健在だ。並の忍者であれば数分もあれば全滅するであろう呪転回廊で半刻を過ぎて生き残っていた。


「ほほう、指名手配者の逃亡幇助と聞いて来てみればどうだ。まさか鳴神忍軍の隊員を五人相手に手玉に取る勢いとはな!」


「何者ですか」


「おぬしと話す前に邪魔なもんをどかしとこうか」


 中年忍者は呪いの発生源である呪いの塔へ向けて両手をかざした。拳を開いて、閉じる。まるで空間を掴んだかのような動作の後に、物を引き裂く動きをする。

 突如、世界が震えた。黒き帳は空気に溶け消え、呪いの塔も中年忍者の動きと連動するように引き裂かれてしまった。


 心象結界が形を維持できない。そのまま忍術自体が消えてしまった。


「心象結界を無理やり破壊するなんて有り得ません」


 気付かぬ内に足が勝手に後ずさりしていた。……私が後退した?

 頭領になって久しく感じたことのない感情。

 畏怖、恐怖、この私が?


「俺は鳴神忍軍十傑衆が一人、“絶ち切り”ササベェだ。おぬしもかなりできるようだのう。相手にとって不足なし。いざ、尋常に勝負」


 鳴神忍軍の隊長格。頭領複数人を相手取れるという化け物。

 私は胸の内で恐怖という警鐘が鳴らされるのとは裏腹に、思わず笑みを浮かべていた。

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