第219話 影と呪いと蜘蛛

▼セオリー


 暴風雨と乱れ落ちる稲妻は俺たちにとって向かい風だ。視界は悪いし、落雷に当たれば一撃死も十分考えられる。

 幸いな点は雷をイクチ自身が身体にまとったりしていないことだろう。もし、それができるなら俺たちは一瞬で足場を失うことになる。まだ実行していないだけで雷を身にまとうこともできるのかもしれないけれど、少なくとも今のところはAIの思考ルーチンに含まれていない。


主様あるじさま、先陣は私が切ります」


「あぁ、頼む。アリス以外に適任はいない」


 この戦いでイクチに正面からぶつかれるのはアリス以外に居ないだろう。俺が了承すると、アリスは蜘蛛から飛び降りて自身の足でイクチの肌の上に立った。


「アーティは少数精鋭の蜘蛛を召喚してアリスのフォローに回ってくれ」


「了解しました!」


「エイプリルは後方から全体を俯瞰して、ヤバい時に『影呑み』で緊急避難のフォローを頼む」


 アーティとエイプリルへ指示を出す。アーティはすぐに返事が来たけれど、エイプリルは一瞬の間を置いて答えた。


「……セオリー優先?」


「当然です」

「当たり前ですよ!」


 エイプリルの質問に対して俺より先にアリスとアーティがツッコミをいれる。


「いや、違うわ! 最優先はアーティで、次にアリスだ。俺は一番後回しで良い」


「えぇー、りょうかーい」


 エイプリルは不承不承といった態度で返事を寄越した。それにアリスとアーティも非難がましい視線を俺へ送っている。


「同じユニークモンスターですから早々危険な目には遭いませんよ?」


「私も頭領ですのでエイプリルからの支援は不要です」


「んなわけあるか。かつての大怪蛇イクチですら頭領三人がかりで倒した怪物だぞ。今は『神縫い』の力で一層パワーアップしてるんだ。何が起きるか予測がつかない」


 NPCの命より優先されるプレイヤーの命なぞない。だから、ここは普段なら絶対に使いたくない札だって切る。


「いいか、三人とも命令だ。絶対に死ぬな。助け合って這いずってでも生き延びろ」


 腹心たちに『支配者フィクサー』としての命令を与える。本人たちは嫌だろうけど、命令として発すれば必ず守ってくれるはずだ。もはや一種の呪いと言っていい。


「……っ」


 俺だってできるなら命令はしたくないけれど、ここまでしなければ通じ合えないこともある。どうやら今回は俺の覚悟がきちんと伝わったようで、命令したことで全員が口を閉じてくれた。沈黙は肯定と受け取らせてもらう。


「さあ、やるぞ。竜神退治だ」






 アリスが先陣を切り、イクチへと肉薄する。クナイではダメだ、歯が立たない。では、どうするか。簡単な話である。


「食らいなさい」


 空中で前方宙返りからの全力のかかと落しがイクチの頭部へ叩き込まれる。つまりは徒手空拳だ。

 かかとがイクチの脳天に触れた瞬間、尋常ではない衝撃波が下方向へ発生した。見るからにイクチの顔が歪む。それに続いて莫大なダメージがイクチへ与えられた。


 アリスの体躯からは想像できないほどの一撃。それは全盛期のライギュウにも匹敵するのではないかという威力を秘めていた。

 この破壊力の要因はアリスの持つ『反射』の力だ。本来であれば攻撃をした時に発生していたであろうイクチの防御力によって跳ね返ってくるはずだった逆ベクトルの力を反射により全て自身の攻撃に加算したのである。


 たまらずよろけるイクチの姿に威力の凄まじさが如実に表れている。それと同時に足場であるイクチの胴体がうねるようにして波打つ。これにより、かかと落しを終えたアリスが空中に投げ出されてしまった。

 しかし、フォローを任せたアーティが機転を利かせ、召喚した蜘蛛に糸を吐かせると空中にアリス用の足場を用意した。アリスは糸の上に一旦着地すると、すぐさま跳躍する。

 アリスの判断は的確だった。跳躍の直後、イクチが大きな口を開き、糸の張ってあった場所を丸呑みにする。


「イクチから離れると危険さが跳ね上がるな」


「逆に密着してる方が安全みたいだね」


 アリスを丸呑みにしようとしたイクチの行動は素早かった。アリスが再び跳躍するまでに逡巡しゅんじゅんする時間が少しでもあれば喰われていたかもしれない。エイプリルの言うようにイクチの胴体へしがみ付いている現状が一番安全そうだ。


「わわっ、セオリー様、イクチが身体を擦り合わせています」


「早速対策を取ってきたか」


 安全そうだと思った手前、イクチはとぐろを巻くように身体を丸め始めた。それによって長い胴体同士がざりざりとこすれ合う。

 試しに手裏剣を胴体と胴体の狭間に投擲してみる。一瞬で飲み込まれた後、シュレッダーにかけられたように鱗によって刻まれ、破断されていた。うん、あの間に落ちたら終わりだな。手裏剣と同じ悲惨な末路を辿ることになるだろう。


 絶えずとぐろ状に動き続ける不安定な足場にプラスして、気を抜けばずたずたに刻まれるだろうデストラップ付き。かといって空中に逃げれば落雷と高速噛みつきが襲い掛かってくる。


 本体の凶悪さに加えてステージギミックまであるとか、どんだけ高難易度なクエストだよ。まだ不死夜叉丸の方が可愛げがあったわ!

 思わず心の内に愚痴が零れる。しかし、すぐに脳内ハイトが「突破口を見つけるまでは不死夜叉丸も大概クソゲーだったんだからな!」と憤慨するように反論してきた。

 まあ、そうか。ユニークモンスターなんて基本的に全部クソゲーか。よし、おかげで現実逃避したくなった精神から立ち直れた。


「俺も出る。フォロー頼むぞ」


「オッケー」

「任せて下さい」


 エイプリルとアーティの声を背に受けながら、蜘蛛ライダーのまま頭部へと接近する。アリスが続けざまに攻撃してくれているおかげでヘイトは受け持ってくれている。今なら俺の攻撃ガ当たるはずだ。


「『不殺術・仮死縫い』」


 いつだかイリスの召喚した大怪蛇イクチに対して鼻先を仮死状態にすることで攪乱することに成功した。それは蛇に備わるピット器官と呼ばれる熱を感知する能力を奪ったことによるものだ。

 果たして『神縫い』の力を得たイクチに同じ攻撃が通用するのかは分からないけれど、やらないよりはやった方が確実に良い。


「エイプリル!」


「待ってました、『瞬影術・影跳び』」


 エイプリルが俺の影へと跳躍する。手には連なった形状の棒状爆弾を手にしていた。そしてすぐに俺たちとイクチの間に爆弾を放った。爆発が連続的に起き、熱風が周囲に撒き散らされる。


 さすがエイプリル、上出来だ。アーティの下まで帰還したエイプリルへ称賛を送った。連鎖爆発する爆弾の熱風により、イクチが今もピット器官に頼っているなら、たまらず俺を見失ってしまうだろう。

 蜘蛛は俺を乗せたまま爆風の中へ突っ込む。仮死縫いの黒いオーラを付与したクナイを前方に掲げたまま爆風を突っ切ってイクチへ肉薄した。


「……げぇ、マジ?」


 肉薄した直後、俺は後悔した。煙を抜けた先にはイクチが大きな口を開けて待っていたからだ。よくよく考えてみれば爆風で攪乱した後、攻撃のために突っ込んでくるのは当たり前ともいえる。イクチの方からして見れば無謀にも突貫してくるヤツを大口開けて待ち構えていれば良い。やばい、しくじった。


 ばくり、と口が閉じられる。そして、咀嚼されることもなく飲み込まれ、腹の中へと消えていく。一つの命が潰えてしまった。


「無事ですか、主様」


「あぁ、俺は大丈夫だ。でも……」


「仕方ありません。あの者はなすべきことをしたまでです」


 イクチによって丸呑みされる前、騎乗していた蜘蛛が俺を後方へ振り払った。そのおかげで俺はアリスにキャッチされて事なきを得たが、身代わりとなって蜘蛛が吞まれてしまった。

 アリスは蜘蛛がなすべきことをしたと言うが、アリスのフォローがあまりにタイミング良すぎる。


「初めから段取り決めてたな?」


「……お許しください。主様を守るのは腹心の最重要事項。それは主様の命令よりも上位の優先事項、いわば存在意義なのです」


「なるほどな、俺の命を守るためなら命令を無視することも有り得るわけか」


 アリスは悲しそうな顔をして肯定も否定もしなかった。熱狂的腹心にも困ったもんだ。それに命令さえしておけば安心というわけでもないことが分かってしまった。

 もちろん、俺が危険に晒されない限りは命令を最優先にしてくれるんだろうけど、今の状況で俺が危険に晒されないなんて土台無理な話だ。もし、再び俺がイクチの攻撃に晒されようものなら身を挺してでも助けに入るのだろう。


「はあ、仕方ないな」


「分かって下さいましたか! それでは前線は私に任せて、後方でお待ちください」


 アリスはどうやら俺が命を危険に晒さないように動くことを認めたと勘違いしたようだ。


「いいや、そんなことはしない。むしろその逆だよ。危険に飛び込む必要がある。だから、お前たちが命令通り自分の命を優先できるか聞いてんのに……」


「そんな、何をする気ですか」


「今からイクチの口の中に飛び込む。アリスはイクチの口を開けたままにさせられるか?」


「なっ……、そんな危険な事を! 私が代わりに実行します」


「そうもいかない。さっき見つけちまったんだ。イクチの舌に『雷霆咬牙』が刺さってるのをな。アレは多分、俺が引き抜かないとダメだ」


 丸呑みにされようかという時、一瞬だけキラリと光る一本の曲刀が見えたのだ。

 アリスは顔を青くさせてなんとか俺を引き留めようとする。いやいや、俺は死んでもリスポーンできるけど、アリスたちは死んだら終わりなんだからな? そう正論を説いてもなかなか首を縦には振ってくれない。


「じゃあさ、私がセオリーと一緒にイクチの口の中に跳び込むよ」


 俺が痺れを切らして、もうイクチの方へ向かおうかと思っていると、エイプリルが来て進言した。


「私ならイクチの口の中でも『影吞み』で緊急避難できるでしょう?」


「……たしかにそれなら私が再びイクチの口を無理やり開かせれば脱出できますね」


 アリスとエイプリルの間でどんどんと話が進んでいく。あの、俺の意見は……?


「アリスさん、もう持ちこたえられないです」


 俺がアリスと話している間、代わりにヘイトを買ってくれていたアーティが助けを求める声を上げた。


「さあ、時間も無いよ。行こう、セオリー」


「主様を頼みますよ」


 俺は手を取られるままエイプリルが騎乗した蜘蛛に相乗りする。アーティの下へアリスが到着すると、イクチのヘイトを買うべく攻撃を再開した。


「本当にエイプリルも来るのか?」


「大丈夫だって、それにさっきも言ったけど私が居た方が生存率上がるでしょ」


 まあ、そうだろう。そうだろうけど、そもそも俺一人だったら死んでもリスポーンするんだから良いんだって! そう言いたいのをグッとこらえた。彼女たち腹心たちはそういう答えを聞きたいんではないのだろう。


 自分の行動とアリスたちの言動を振り返ってみる。

 俺の命を守ることが何より最優先だと話していた。それが腹心の存在意義なのだと。それに対して俺は命を投げ打つような行動を取ろうとした。もしかしたら、それは彼女たちのアイデンティティを奪うことに等しかったかもしれない。

 俺を守ることが存在意義の彼女たちの前で命を投げ打つような行動を取ることは、ひとえに腹心を信頼していないことにもなるのではないだろうか。

 そこをエイプリルは仲裁してくれた。


「すまん、エイプリル。お前たちを危険に晒さないって意固地になってた」


「それはアリスたちも一緒でしょ」


「それでも、ありがとな」


「……ん、もういいよ。今は目の前のイクチに集中しよ」


「あぁ」


 アーティとアリスの陽動により、イクチが再び大きく口を開ける。キラリと舌の上で光るものを見つけた。やはり、あの姿は『雷霆咬牙』だ。見間違いじゃない。俺たちを乗せた蜘蛛はイクチの口の中へと飛び込んだ。

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