第192話 八重組と禁術
▼セオリー
ダイコクの長いなが~い昔話によれば、虚巨群体ツチジョロウは十数年前に出現した。突如、湧き出してきた大量の蜘蛛によって、いくつもの街が壊滅まで追い込まれたのだという。最初はユニークモンスターによる仕業であることも分からず、異常発生だとか、他の国の忍者によるテロ攻撃であるとか様々な憶測を呼んだ。
そんな中で活躍したのが、当時すでに甲刃連合で序列一位に居座っていた冴島組キョウマ組長である。ヤクザクランが解決に乗り出すなんて意外に思うけれど、実は被害の中心が関東地方の南側だったらしい。つまり、甲刃連合のシマだ。シマを荒らす不届き者だからこそ、その重い腰を上げて対処に乗り出したのだろう。
「しかし、さしもの冴島組のキョウマと言えど一筋縄ではいかなかった。ツチジョロウは非常に狡猾で慎重だったのだ。以降も手下の蜘蛛に街を襲わせはするが、本体の居場所はまるで尻尾を掴ませなかったという」
「母はそれほど強大だったのですね……」
「うむ、一発の派手さなら他にも比肩するユニークモンスターが色々といるが、人類に被害を与え続けた期間の長さで言えばツチジョロウはトップクラスのユニークモンスターだったろうな」
「そんな恐ろしいヤツが関東に根を張ってた時代もあったのか。よく倒せたな」
「そうだろう、こんな化け物をどうやって倒したのかと不思議に思うだろう。……だがな、それは単純な話よ。キョウマが懐刀を抜いたのだ」
「キョウマの懐刀?」
「そう、つまりはヤツの擁する頭領のことだな」
冴島組の頭領か。パトリオットシンジケートの計略により、甲刃連合が二分してしまった時、序列二位と三位が手を組んで裏切ったのに対して冴島組は大立ち回りして時間をもたせた。それを可能にしたのが頭領の存在だと聞いている。そいつと同一人物なのだとすれば、よほどの忍者なのだろう。
「詳しいところは俺も知らん。俺を雇った社長も知らない様子だったから甲刃連合のトップシークレットだろうな」
ダイコクの雇い主といえば甲刃重工のカザキだ。あの情報通で売っていそうなカザキも知らないのか。めちゃくちゃ気になるな……。たぶん、その頭領もユニークNPCだろうし、ニド・ビブリオに情報無いのかな。今度、シュガーに聞いてみるか。
「さて、どんな手を使ったのか、その懐刀の登場によりツチジョロウの居場所は速やかに判明する。そして、とんでもない規模の蜘蛛狩りが始まった。懐かしいな、当時から傭兵稼業で食ってたからな。駆り出されて大変な目に遭ったもんだ」
「それで、母はどうなったんですか?」
アーティはハラハラとした表情で話の続きを催促する。いや、蜘蛛の表情とか知らんけど。まあ、でもほら声色とかね。
「本体はお前さんと同じように洞窟の中に籠っておったらしいが、じわじわと追い詰められていき、最期は冴島組の忍者によって討ち取られたと聞いている。悪いが知っていることはここまでだ」
「あれ、これで終わりなのか。ツチジョロウが最期の抵抗で戦闘する話とかは無いのかよ」
ツチジョロウの生み出した蜘蛛たちが街で暴れ回ったという前座部分の話はかなり詳細に話してくれたのに、肝心のツチジョロウの話はずいぶんと簡単に呆気なく終わってしまった。これにはアーティも残念そうな表情だ。これは割と明らかに頭部を下に向けて前脚をしょぼんとさせているから合ってそう。
「一介の傭兵がそこまで深入りできるわけがなかろうが。若いお前さんに俺が長生きできている秘訣を教えてやろう。知らなくていいことに必要以上に首を突っ込まない、ということだ。情報は強みにもなるが、同時に知られて困る者からは狙われ続けることにもなる。俺は冴島組に付け狙われるような危険な橋を渡りたくはないんでな」
ダイコクの言い分も分かる。ツチジョロウの討伐は最終的に冴島組が実行したのだろう。その時の戦闘を知っているというのは、イコールで冴島組の忍者の戦闘方法を知ってしまうことに他ならない。子飼いの戦力を把握されるなんて事態は避けるべきだ。となると、知ってしまった者を生かしたままにはしておけないだろう。だからこそ、無知でいる。無知でいることが自己防衛になるのだ。
「……そうですか、母の話はこれで全部ですか」
「あぁ、俺の知ってる限りは以上だ。さて、戦いを再開するか?」
ダイコクの返事を聞き、アーティはこくりと頷くと静かに俺たちから離れていく。そして、数メートルの距離を開けてから振り返った。まるで、ここから仕切り直しだとでも言わんばかりである。
正直、俺たちから距離をとった時点で、このまま逃げ始めたりしないよなと勘ぐってしまった。しかし、アーティは思いの外、騎士道精神に則って正々堂々と戦ってくれるみたいだ。いや、むしろ四肢を縛られていない状態から始まる分、俺たちが有利な状況になっていると言えるだろう。
なんだか悪いような気持ちがする。話をしてみて感じたのは、アーティの素直さはまるで子供のようだ、ということ。だからなのか、悪い大人が子供を言いくるめて騙したような気持ちになってしまった。
「では、いくぞ」
ダイコクが斧槍を両手で構え、アーティと対峙する。アーティの方も『仮死縫い』を受けていた両前脚は完全に自然治癒したようで、二本の金色に輝く脚を前方に掲げている。
再び息の詰まるような戦闘の空気が周囲を満たし、張り詰めていく。後方ではライギュウと蜘蛛軍団もジリジリと間合いを測るように距離を詰めだしていた。
「……あー、そのちょっと良いか?」
この状況に水を差すのは、俺の気の抜けた一言だった。これにより戦いの雰囲気が一瞬で霧散する。アーティはともかくダイコクやライギュウからは真剣勝負に水を差す一言を非難するような視線がひしひしと感じられた。
でも、一つ思い付いちゃったことがあるんだから仕方ないだろ。このまま戦いが終わったらアーティと会うのは難しくなるだろうし、今しかタイミング無いんだよ。
「アーティは母親のことを知りたいんだろ? だったら冴島組の忍者……というか、なんなら組長のキョウマに直接聞いてみるってのはどうだ」
俺の思い付きはそれだ。まあ、母親を討伐した張本人に話を聞きに行くってこと自体、へんてこな話だけれど、アーティの様子を見るに母親のツチジョロウを討伐されて復讐しようとか、そういうマイナスの感情は感じられなかった。もっと単純に自分の母親の戦いぶりとか偉大さを知りたい、感じたいという憧れに近い感情なのではないかと思ったのだ。
おいこら、ダイコク。「こいつ、もしかして飛びきりのアホか?」みたいな顔してんじゃねー。そりゃ、かつてシマを荒らしたユニークモンスターの娘なんて連れて行ったら、再び討伐対象にされるかもしれない。だけど、例えば今なら八重組の下で管理されている。つまり、暴れまわったりできないようにする手段があるのだ。
「……私のために考えて下さったのは感謝します。ですが、私は八重組に囚われの身です。おそらく組長は序列二位になった後、冴島組の組長の座を奪うために私を使います。その前に姿をバラすような真似を許してはくれないでしょう」
おいおい、八重組の組長は序列二位になった途端に謀反する気満々かよ。しかし、なるほど、冴島組にぶつける予定の秘密戦力であれば、むざむざと教えてあげるわきゃないか。
「それなら八重組の忍者に確保される前にとんずらするとか」
「それも不可能です。私は生まれたばかりの頃に刻み込まれた『服従の呪い』が掛かっていますから」
「『服従の呪い』だと?」
新しい単語が出てきたな。聞くからに物騒な単語が並んでいるし、効果もなんとなく窺い知れるけれど、一応、訳知り顔のダイコクに説明を乞う。
「『服従の呪い』は禁術指定されている忍術の一つだ。術を受けた者は精神抵抗に失敗すると術者へ絶対服従となってしまう。かつて、これを悪用した問題があってな、赤子などの精神抵抗ができない年齢の者に仕掛けることで簡単に人を奴隷化させてしまうという事件があったのだ」
「そりゃあ、とんでもないな。そんで、事件があってからは禁術になったって訳か」
「その通りだ。しかも、八重組の組長はアーティが生まれたばかりの時に『服従の呪い』を仕掛けたようだからな。事が明るみに出ればヤクザクランとはいえ袋叩きに合うだろう」
ヤクザクランでも超えちゃいけないラインがある。今回の『服従の呪い』ってヤツは、そのラインを超えてしまっているということだ。
「うぅむ、厄介なことを知ってしまったな……」
ダイコクとしては知ってしまった情報による自分への危険の方が大きな悩みになっていそうだ。頭を抱えて唸り込む。
「序列決めが終わって、すぐにキョウマへ話を通せばなんとかならないか?」
「この情報を明るみに出してみろ。八重組はアーティを使って、かつてのツチジョロウの恐怖を再現するぞ。しかも、当時のツチジョロウは単体のユニークモンスターだったが、今回は八重組が運用する形になる。より一層厄介なことになるだろうな」
なるほど、確かに隠している必要が無くなれば、力を際限なく発揮できてしまうわけだ。
「とはいえ、冴島組も同じ能力のユニークモンスター相手なら前回の教訓もあるし、抑え込めるんじゃないか?」
「どうだろうな、内部分裂の末に幹部再編したばかりの甲刃連合ははっきり言って疲弊している。もしかすれば、冴島組のキョウマに報告したところで今は内部で問題を起こしたくないと握り潰されるかもしれん」
「うっ、……確かにその可能性はあるか」
俺の浅はかな考えはダイコクに説き伏せられてしまった。内部分裂を起こしたばかりの甲刃連合に、またもや内部に抱える爆弾へ対処する余裕なんて無い。今回ばかりはタイミングが悪かった。
それにしても、抵抗のできない赤子の内に呪いを仕掛けるなんて八重組は許せないな。八重組の非道な手法にふつふつと怒りが湧いてくる。そんな複雑な感情に心をかき乱される俺を見て、アーティは頭部をこくりと下げた。
「怒りを感じて下さっているのですね。優しいお方、そう思って頂けるだけでも慰めになります」
「慰めなんていくらあっても解決できなきゃ何の足しにもなりゃしないさ」
「フフ、それでも私は嬉しいのです。怒りなど、私にはとうに枯れてしまった感情ですから」
笑って俺を見るアーティは、空虚だった。生まれた時から『服従の呪い』を掛けられ、自由のない生活を送ってきたのだろう。そんな生活に喜びなど無かったはずだ。しだいに喜怒哀楽は薄れていって、虚無だけが心を支配していったのだろう。もしかしたら、母のことを聞いてきたのは、虚無によって大部分を占められた心に僅か残った感情だったのかもしれない。
「……やっぱり、許せない。絶対に八重組の呪いからお前を助ける」
「えっ?」
衝動に突き動かされた俺は、気付くとそう宣言していた。
「できもしないことは情けでも言わないことだ。余計惨めになるだけだぞ。『服従の呪い』は上位の精神支配系統の忍術だ。解除する方法など術者を殺すくらいしかありはせん」
ダイコクは大人だ。だから、術者を殺すという解除方法が果てしなく不可能に近いということを知っていて、俺へと伝えてくれている。
術者を殺して解放するというのは難しい。何故なら術者を殺そうとすれば、『服従の呪い』を受けている者たちが死に物狂いで術者を守るだろうからだ。つまり、術者を殺すという方法での解除の果てにあるものは皆殺しに他ならない。
術者を殺すのは論外だ。あるいは俺なら『支配術』で操ることさえできれば術者に術を解除させることもできるかもしれない。だが、それは殺すのと同じくらい難しいだろう。
助ける方法なんて無いのか。衝動のままに発した言葉は、ただの戯言となり、嘘と消えるのか。
……その時、脳裏にいつかした会話の記憶が
『
それはアリスが腹心になった時に話してくれたこと。俺自身も知らなかった称号の持つ力。さっきまで敗北感で潰れそうな気持ちになっていたのが嘘みたいに消え、代わりに俺はニヤリと笑みを浮かべた。まるで最後の一ピースがハマったような感覚だった。
「いいや、やれる。……アーティ、俺を信用してこの一撃を受けてくれないか」
俺の右手に黒いオーラが滲み出す。それを見たアーティは一瞬だけ逡巡する様子を見せた。当たり前だ、本来なら俺たちは戦い合っているはずの立場なのだ。その対戦相手がいきなり、次の一撃を受けてくれなどと言ったら誰だって警戒する。
俺は続けて、これからしようとしていることを説明しようとした。しかし、俺がもう一度口を開くよりも早く、アーティが答えた。
「分かりました、あなたを信じます」
俺は自分の笑みが深まるのを感じた。自分のことを信じてくれるってのは、こんなにも嬉しいことかと思う。出会ってからの時間の短さなんて関係ない。ビビッときたのだ、俺も、おそらく彼女も。
「リラックスして待っててくれ、すぐに済む。『不殺術・魂縫い』」
俺は忍術を唱えた後、アーティの頭部を撫でるように手を添えた。
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