第267話 粉砕入場、熱狂的エントリー

▼エイプリル


 天井のガラスを粉砕し、ダイナミックなエントリーをかましたのは一人の女性だった。

 着地時に丸めた身体をほどき、スラリとした長身を見せつけながら立ち上がる。彼女の名は……


「アリス……、どうしてここに!?」


 間違うことは無い。そのプロポーションに立ち居振る舞いは、私と同じセオリーの腹心であるアリスだった。


「無論、主様あるじさまの危機に馳せ参じたまで」


 さも当然といった風でアリスは平然と答える。むしろ何をおかしなことを聞いているんだと言わんばかりの目つきだ。いやいや、あなたの行動原理は十分理解してるつもりだよ。だけど、もっと単純な謎があるのだ。


「それは分かるんだけど……、ここ中四国だよ?」


 そう、ここは中四国地方だ。逆嶋バイオウェアのある関東地方から数百キロ規模で離れている。セオリーが意識を失ったことを察知したまでは理解できるけれど、それから今まで1時間も経ってない。物理的におかしいのだ。それとも超長距離転移を行える忍術でもあるのだろうか。答えはすぐに分かった。


「問題ありません。社用ジェット機を借りました」


「社、社用ジェット機……」


 答えは「物理で押し通した」だった。あっ、なるほど、だから天井突き破って登場したんだ。ジェット機から飛び降りてここまで直通便に無理やり仕様変更した訳ね。

 って、どんな力業よ。普通飛んでるジェット機から飛び降りようなんて考える? 今さらながら目の前に立つ女性の規格外さを思い知らされる。だからこそセオリーも待ての指示を下したのだろう。


「どうなってんですか、クロ社長。次から次へと侵入者じゃないですか」


 シャドウハウンド小隊のリーダーは後ろ手に頭を掻きつつ、クロマグロへ愚痴っぽく言葉を投げ掛ける。しかし、当のクロマグロは驚愕に染まった表情で私たちの方を見るだけだった。シャドウハウンドの隊員たちのことは完全に意識から抜けているようだ。


「とうとう無視ですかい。とはいえ仕事は仕事だ。追加のアンタも署までご同行願おうか」


「いえ、そういうわけにもいきません」


 アリスは地面を強く踏みしめるとコンクリート床を砕いて空中に浮かせた。粉塵と共にコンクリート片が巻き上がる。それをアリスは目にも止まらぬ速さで叩いた。拳なのか脚なのか、早すぎて私には判別がつかない。とにかくコンクリート片の散弾銃が人力で実現していた。


 その後、すぐさまアリスは影分身を生み出すとその場を離れて私のそばへと近づいた。人力散弾銃は影分身に任せてしまっている。最初に行動をインプットしてしまえば、あとはオートで任せることもできるということだ。

 そんなこともできるんだ、と忍術への理解度に驚愕を受けた。私が爆弾を投げまくっていた時とは裏腹にシャドウハウンドの隊員たちも防戦一方になっている。


「さあ、エイプリル、今の内に主様と脱出しますよ」


「う、うん、そうだよね」


 アリスの忍術に見入っている場合じゃない。今は千載一遇のチャンスだ。逃す手はない。


「私が突入した穴を使いましょう」


 アリスがそう言って天井を指差す。二人して見上げた空には綺麗に修復されたガラス天井があった。


「なんで!? もう直っちゃってるよ」


「オートリペア機能付きですか。厄介ですね」


 アリスは冷静に状況判断している。いや、オートリペア機能って何なの。ガラスだよ?

 私の驚きをよそにアリスはクナイを天井へと投擲した。腕から指先に掛けて瞬時に『集中』が施され、クナイが視認不可の域に昇華される。放たれる凶弾は一撃で天井を囲うドーム状のガラスを貫いた。


「やった!」


「いえ、ダメですね」


 アリスは考え込むような難しい表情をした。何故だろうか。そう考えている間に天井に開いた穴は即座に修復され、塞がってしまった。

 目視したことでオートリペア機能がどういうものか分かったのは収穫だろう。周囲のガラスが液体のようにドロリと穴へ流れ込んで修復してしまうのだ。不思議だ、アレは果たして本当にガラスなのだろうか。


「人が通れる規模の穴を開けるには私が入って来た時のように高高度からの落下によって発生した運動エネルギーと同じだけの威力が必要だと分かりました」


「あぁ、ジェット機から飛び降りたっていうあれね」


「できないこともないですが、それには溜めが必要です」


 つまり、強いパワーを準備しないと人が通れる穴は作れないってわけね。そのためには力を溜める必要がある。だけど溜めの時間を用意するには邪魔が多い。


「『捕縛術・雁字縛縄』」


 シャドウハウンド小隊はいくつもの忍術を組み合わせた末に、なんとかアリスの影分身を縄で縛り上げて無効化することに成功していた。流石にオートマティック操作の影分身だといつかは破られるか。

 小隊は一塊になってジリジリと距離を詰めてくる。さっきまでのように扇状に広がって包囲することはない。アリスとの力量の差がよく分かったのだろう。


 しかし、力量に差があるとはいえ目の前で力を溜める行為をさせてもらえるとは思えない。確実に邪魔が入るはずだ。

 そんな時だった。


「おいおい、どういう状況だよ。エイプリルだけじゃなくアリスまでいるじゃんか」


 彼の声が聞こえた。そういえば昏倒してから十分な時間が経っている。自力で目が覚めてもおかしくはない。アリスの顔もパッと明るくなったように感じた。







▼クロ(海鮮料亭・奇々怪海社長、アニュラスグループ幹部)


 私が絶対の防御だと自負していた自己修復機能付き強化流体ガラスは、激しい雷の奔流を拳から吐き出した少年の手により破壊された。

 なるほど、セオリーが召喚しようとしていた別の式神は彼か。たしかに破壊力だけで言えば頭領に匹敵するやもしれんな。次があればアレの打ち消しは絶対だろう。



 さて、まんまと逃げられてしまった後、シャドウハウンドも肩を落として帰っていった。仕事は完遂ならず、一度は手中に収めたセオリーという忍者を二人の女性忍者をキッカケにして逃げられてしまった。

 いや、正直な話をすれば今回は仕方がない。最後に駆け付けた女性忍者は逆嶋バイオウェアの頭領、アリスだ。彼女のことは私も聞き及んでいる。シャドウハウンドの小隊程度では相手役として役者不足だ。


 それよりも考えなくてはいけないのは、どうしてアリスがこの場に現れたのか、だ。

 彼女は逆嶋バイオウェアの頭領である。それに対して侵入者セオリーは甲刃連合の上位幹部だ。二人の接点が見出せない。もしくは企業連合会の会長というお飾りの肩書きが関係するのか。


 そもそも、アリスの口にした「主様」という言葉が引っ掛かる。

 最初に引き連れていたピックという式神も彼のことを「主様」と呼んでいた。てっきり甲刃連合の上位幹部という立場からそう呼ばれているのかと思ったが、逆嶋バイオウェアの頭領からもそう呼ばれるのは不自然だ。あれではアリスがセオリーの配下であるかのようではないか。


 ……彼らの強さを比べればアリスが下に付く意味が分からない。となれば、そうなる要因があったのだ。




 リンネ・・・より伝え聞いた話によれば、我らが偉大なる父カルマ様・・・・は一度アリスを手中に収めたという。『呪印紋』による精神支配とバイオミュータント忍者化による身体支配の二重支配で完全なる手駒としていた。


 しかし、忘れもしないあの夜、私たちにとってのXデーに、カルマ様は志半ば頭領イリスの手によって討たれたのだ、……とそう思っていた。

 しかし、本当にそうだろうか。たしかにイリスの介入はあったのだろう。頭領であるアリスを抑える役目は同じ頭領にしか務まらない。だがしかし、全てを彼女一人で成しえただろうか。


 そう、例えばセオリー。かの少年はどうだ。アリスに施されていた『呪印紋』を解除し、配下として付き従わせている。それはカルマ様が倒れた場に居合わせなければ成しえないことではないだろうか。




 ぶるりと身体が震える。たゆたう水面に波が生まれ、水槽のガラスを叩いた。

 唐突に手の届く範囲へと我らが父の仇が舞い込んできたのだ。これで興奮しない訳にはいかない。もしも私に人間と同じように腕があったならば、ギュッと手を強く握り込んでいたことだろう。


 嗚呼、この身はカルマ様のバイオ工学によって進化したもの。カルマ遺伝子を組み込まれた私は全力を持ってカルマ様の望みを完遂しなければならない。


「しばらく振りにリンネと会う必要があるか」


 仇の中にセオリーも含まれるとすれば、彼の抹殺は我らの念願でもある。きっと、彼女もこの情報を欲しているだろう。

 目をつむれば少女の姿がまぶたの裏に浮かんでくる。利発でいて少し悪戯好きな、カルマ様の一人娘、リンネ。今は関東地方で寿司屋を営んでいるのだったか。


 青白く発光する電子巻物を呼び出す。アニュラスグループ幹部たちへの秘匿回線だ。


「アニュラスグループ幹部クロの名の下に幹部招集を提案する。招集議題は『アニュラスグループ会長カルマ様を失脚へと追いやった者の情報共有』である」


 さて、幹部招集の他にも色々と手を回す必要がある。何から手を付けたものか。

 セオリーよ、この摩天楼ヒルズから逃しはしないぞ。


 私は喜びに身体を震わせながら水槽の中を機嫌よく泳ぎ回るのだった。







***************

リンネは6章の「第226話 水面下の胎動」で登場したカルマ室長の娘です。ようやく再登場の兆しが見えてきましたね。

そして、クロマグロのクロとカルマ室長の意外な関係性も明らかに……。

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