第190話 前門のくノ一、後門の蜘蛛軍団
▼セオリー
「そこに居ることは分かっています。姿をお見せなさい」
八重組の忍者は背筋を伸ばすと、まっすぐにこちらを見すえた。わなわなと蠢いていた長い髪はすとんと落ち着きを取り戻す。しかし、こちらは早々落ち着くことなどできやしない。俺が支配した蜘蛛を後頭部に開いた穴へと放り込んだのだ。その光景の衝撃たるや、俺だけでなくダイコクやライギュウまでも絶句していた。
「ありゃあ、いったいどんな忍術だぁ……?」
「なかなか強烈だな」
ライギュウの呟きにダイコクが同意する。俺もこくりと頷いた。しかし、だからと言ってどうするか。居場所が知られているなら段ボールの中に隠れていても機動力が失われるだけで良いことが無い。
「飛び出して一斉に襲い掛かるか?」
「うむぅ……。いや、待て。静かに場所を移動して様子を見よう」
俺の提案を受けて逡巡した後、ダイコクが別の提案をする。つまり、彼女のハッタリを疑ってるわけだ。俺たちはダイコクの指示に従い、そろりそろりと場所を移動していく。その間、八重組の忍者は微動だにせず、静かに俺たちが元居た場所を凝視し続けていた。
そうしてお互いに様子見でいる内に、俺たちは最初に居た地点から大きく迂回するように、彼女から見て右の壁際まで場所を移した。なおも八重組の忍者は俺たちが元居た入り口付近を凝視しているところを見るに現在進行形で俺たちの居場所を把握できているわけではないようだ。それなら、こちらから奇襲を仕掛けても良いかもしれない。
「そろそろ、いいかしら」
不意に八重組の忍者が口を開いた。「そろそろ、いいか」だと? つまり、彼女の方も何か準備をしていたということだろうか。一体その言葉が何を意味しているのか、俺たちが正解へ辿り着く前に、その答えが押し寄せてきた。
最初に顔を見せたのは一匹だけだった。俺たちが入ってきた入り口部分の穴から一匹の手乗りサイズくらいの蜘蛛がひょっこりと顔を見せた。それで終われば可愛いものだったろう。しかし、その先頭を行く蜘蛛の後ろから隊列を組むように蜘蛛の大軍が押し寄せてきたのである。
「洞窟内部の道中は子どもたちで埋め尽くしました。反応が無いということはこの部屋の中にまだ居ますよね?」
両手を広げ、虚空へ向けて問いかける彼女の姿を見る余裕はすでに俺たちには無かった。
やられた。俺たちが姿を隠していることは、俺の支配していた蜘蛛を取り込んだ時点でバレていたのだろう。だが、姿自体は認識できていなかったのだ。だから、こうして人海戦術ならぬ蜘蛛海戦術に打って出たわけだ。
こんなことなら様子見などせず、さっさと奇襲を仕掛けるべきだったか。いや、それも結果論だ。さっきハッタリを言われた時点では、まだ彼女が俺たちの動向をどこまで正確に把握しているか分からなかった。そんな状況で奇襲を行うのは手痛いカウンターを受けるリスクがある。……とにかく反省は後だ。まずはこの場をどう対処するか考えなくてはいけない。
「ライギュウ、あの蜘蛛の群れ。押し留められるか?」
「ハッ、楽勝だ」
「それじゃあ、頼んだ。ダイコク、俺と二人で八重組の忍者を倒す。タイムリミットはライギュウが倒れるまでだ」
「時間制限付きか。もう少しじっくり戦いたかったが致し方なし。あい分かった」
「馬鹿言うんじゃねぇ、俺は倒れねぇよ。だから時間無制限だぁ!」
ライギュウは強がりながら押し寄せる蜘蛛の群れへと飛び込んでいった。すでに『雷鬼降臨』を使用して全身に雷を纏っている。飛び込んだだけで蜘蛛の群れの一角が吹き飛んだ。ライギュウの勢いとパワーは頼もしい限りだ。しかし、それでも後続の蜘蛛はとどまるところを知らない様子で雪崩のごとく押し寄せてきていた。
フルパワーのライギュウならなんとかあの雪崩のごとき侵攻を食い止められるだろう。しかし、それだっていつまでも続くわけじゃない。俺の気力がガス欠になれば粒子となって霧散してしまうし、それ以前にライギュウの設定された体力以上のダメージを喰らえば退場となる。
これまでの動きを観察していて嫌でも分かったことだけど、この蜘蛛たちは命を投げ打ってでも攻撃を仕掛けてくる。そういった相打ち狙いの攻撃は嫌でも避け切れない場面がある。特に、押し寄せる蜘蛛の波を押し留めなくてはいけないという場面がそれを加速させている。
「五分だ。多分、それ以上はもたない」
「了解した」
俺は予想される限界時間をダイコクへと伝えた。五分、そうたったの五分だ。しかし、それでも波のように押し寄せる蜘蛛の大軍を押し留めるという役割から考えれば十二分な働きと言って良いだろう。俺だったら十秒と押し留められない。
「『不殺術・仮死縫い』、悪いが速攻で片を付けさせてもらうぞ」
ライギュウの奮闘にこちらも答えなくてはならない。俺は黒いオーラを纏わせたクナイを両手に構えた。早期決着を狙うなら棒術でじっくり攻めるのでは遅い。
制限時間を聞いたダイコクも顔を引き締め直すと、懐から昔話に出てきそうな小槌を取り出した。それから忍術を唱え始める。
「さあさあ、小槌よ。『変幻の小槌』よ。かの敵を滅し
唱えながら小槌をしゃんと振り下ろすと、次の瞬間にはダイコクの手から小槌が消え、代わりに大きく厚みのある
お互いに得物を手にした後、タイミングを合わせるまでもなく自然と速やかに敵へと肉薄しようと俺たちは駆け出していた。
俺もダイコクも時間が無いことを肌で感じていた。ライギュウなら五分もたせてくれると言った手前だったが、後方から聞こえる戦闘音はより激しさを増していた。実際に残された猶予はもっと短いかもしれない。その焦りが俺とダイコク、二人の背を後押ししていた。
「前衛は務めよう。隙を見つけて仕留めてみせい!」
「分かった」
ダイコクが声を張り上げながら斧槍の切っ先を前へ向けて突進していく。ダイコク自身、大柄な体躯をしている。その巨体から繰り出される突進攻撃は当たればひとたまりもないだろう。
対して八重組の忍者は身動き一つせずにいた。ただダイコクを静かな瞳で見つめているだけだ。それを慢心と受け取ったのか、ダイコクは渾身の力を込めて突撃していく。
あと一メートルも距離を詰めれば切っ先が当たる。そんな距離まで接敵して初めて、八重組の忍者が動いた。とはいえ、身体の方は指一本動かしていない。それは、髪だ。先ほど、俺が支配していた蜘蛛を捕らえた時と同じように、黒く長い髪がうねうねと
ダイコクはそれを見て、瞬時に目へ気を『集中』させる。そして、ダイコクの四肢を絡めとらんと伸びてきた髪を斧槍で切り裂いた。さらに切り裂いた勢いのまま身体を横に一回転させ、斧槍を叩きつける。すると彼女の身体を守るように幾重もの髪が折り重なり、防御に回った。しかし、その上から叩きつけられる衝撃の前に、八重組の忍者は容易に吹き飛んだ。
「吹き飛ばす方向、完璧だぜ」
ダイコクが身体を回転させた時点で俺も行動を開始していた。斧槍を振る回転方向を見て、吹き飛ばされるだろうと予測した方へ先回りしていたのだ。
作戦はばっちりハマり、ちょうど良く八重組の忍者が飛んできた。俺は構えたクナイを前へと突き出し、相手が体勢を整えられない内に心臓部へ向けて突き刺した。
「やったか!?」
ダイコクが目を見開き、俺の方を見た。一応、『仮死縫い』の効果はダイコクにも軽く説明してある。つまり、俺の一撃が急所に入ったならば、それはそのまま勝ちに直結すると理解しているのだ。
そして、俺の攻撃は……、寸分の狂いもなく八重組の忍者の心臓部を貫いていた。クナイを引き抜き、反動で崩れ落ちた八重組の忍者を見下ろす。力なく倒れ伏した身体を長い黒髪が覆い隠すようにはらりと舞った。もう、髪が蠢くこともない。『仮死縫い』成功だ。
「なんとか、上手くいったか」
「では、残りの蜘蛛を始末して凱旋しよう」
ダイコクはもう一仕事だと言わんばかりにライギュウが相手する蜘蛛の大軍へと向き直った。俺も頷き、ライギュウに加勢しようと体の向きを変える。
その時、白い糸が目に映った。細い糸がふわりと俺の眼前を舞ったのだ。なんだと思い、目に気を『集中』させて周囲を確認する。洞窟内の床や壁は地面が崩れないように元から蜘蛛糸で補強されている。だから、白い糸がその辺を舞っていたって不思議じゃない。だが、違和感があった。
気を『集中』させて周囲をよく見ると、やはり不自然だった。やけに俺やダイコクの腕や脚、首元辺りに糸が集中しているのだ。
何の気なしに再び八重組の忍者を見た。すると、そこには抜け殻のようなモノだけが残っていた。抜け殻は人の形をしていた。サッと嫌な予感が頭を
「待て、ダイコク! まだ倒せちゃいない!」
しかし、俺の警告は遅すぎた。今まで気を『集中』させなければ見えなかった細さの糸が一瞬で数十倍の太さに膨れ上がり、俺とダイコクの四肢を縛り上げた。
「なっ、これは蜘蛛糸か?!」
「少し気付くのが遅かったですね……」
俺たちを縛り上げた後、八重組の忍者の抜け殻があった場所から声が聞こえた。抜け殻のさらに下、洞窟の床部分が丸い蓋のようにパカリと開く。するとそこから一匹の蜘蛛が顔を見せたのだった。
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