第三章 桃源コーポ都市と暗黒アンダー都市

第50話 ランクアップと新たな装い

▼セオリー


 逆嶋バイオウェアと黄龍会の組織抗争、そしてカルマによる逆嶋転覆未遂事件が起きた、あの夜から現実世界で一週間が過ぎた。このゲームの世界ではおよそ一月経っている。

 当初は桃源コーポ都市で待ち合わせしていたシュガーミッドナイトも逆嶋に来てしまったので待たせる心配もない。そんなわけで、憂いの無い俺たちは未だに逆嶋の街に居た。






 深い森の中、巨大な熊を前にして、エイプリルは木々の間を縦横無尽に跳び回る。その無軌道な動きに熊は翻弄されて右往左往している。合間に放たれる火炎爆弾は、先に投げていた油玉のおかげで火の勢いをより強め、巨大熊の動きを鈍らせていた。


 俺はその火に紛れて静かに巨大熊へと接近する。『忍び歩きの術』を使い足音を低減しつつ進むと、ただでさえ燃え盛る炎がぱちぱちと音を上げているため、巨大熊は全く俺に気付かない。

 背後に近付いた後、自身の左腕をチラリと確認する。手首から肘までを覆う長手甲ながてっこうが、火に照らされ黒々と光っている。


「よし、一丁やったりますか」


 左手を頭上に伸びる木の枝へと向ける。手甲の機構を作動させると手首と手甲の間から棒手裏剣が射出された。棒手裏剣はよくある卍型をした平形手裏剣とは違い、長細い棒状をしており先端を尖らせたものだ。

 射出された棒手裏剣は刃先とは逆の末端部分からピアノ線のように細いワイヤーが伸び、手甲と繋がっている。棒手裏剣が木に深々と突き刺さると、軽く腕を引いて刺さり具合を確認する。棒手裏剣には先端に返しが付いている為、ちゃんと刺されば容易には抜けないようになっている。


 そのままワイヤーを伸ばし続けながら、前方の熊へ向かって走り出す。四肢を左側の後ろ足、前足の順に『仮死縫い』を付与したクナイで切り裂いていく。巨大熊は斬られた痛みで咆哮をあげながら、当てずっぽうに両腕を振り回した。その圧倒的な腕力は生身で受ければ俺の身体など紙切れのように引き千切ってしまうだろう。しかし、仮死縫いの影響で動きが鈍くなった熊の攻撃は、忍者の動体視力を持ってすれば簡単に避けられる。


 熊の前方へ回り込んだ俺は身体を反転させ、熊と真正面から向き合う。そして、今度は熊へ向かって正面から対峙するように駆け出した。

 巨大熊は正面から突っ込んでくる俺に対して怒りを露わにすると、右腕を大きく振りかぶると勢いそのままに叩きつけた。その腕を搔い潜るように熊の腹の下へ飛び込むと、腰に差していた曲刀きょくとうを右手ですらりと引き抜いた。その曲刀は白い刀身をしている。鉄などの鉱石というよりは生き物の骨や牙を思わせる乳白色が特徴的だ。


「『不殺術・仮死縫い』」


 白い曲刀に黒いオーラが纏わりつく。そして、刀を持っている方とは逆の手を操り、手甲の機構を作動させた。手甲はワイヤーを巻き取り始めると、熊の後方にある木へ向かって俺の身体を高速で引っ張った。

 その瞬間に『仮死縫い』を付与させた曲刀を熊の腹部に突き刺す。そして、ワイヤーが巻き取る力に任せて、熊の腹部を大きく切り裂いた。


 手甲がワイヤーを巻き取り終え、枝の上に着地すると熊を振り返り見る。その大きな図体は俺を探す様にしばらく首を回したが、身体の方は動かないようだ。そして、そのまましばらくすると砂埃を上げて地面に倒れ伏す。


 それを見送るようにして、俺の視界は闇に浸食されていった。






 幽世山脈。

 そこには鉱石を採掘できる鉱山の他に「試練の滝」と呼ばれる滝壺がある。その滝壺には大きな石が浮いており、その上で座禅を組むことで様々な試練を受けることができるのだ。

 巨大熊との戦いはその試練の内の一つだ。最大三人までのパーティーで挑み、無事勝てれば忍者ランクを中忍に上げることができる。

 俺が滝壺の石の上で目を開くと、そこには満面の笑みを浮かべたエイプリルが立っていた。


「やったね! これで晴れて二人とも中忍だよ!」


「シャドウハウンドのランクアップ試練と比べると、かなり戦闘に振り切った試練だったな」


「そうだよね! でも、新しい武器の試運転もできたし悪いことばかりじゃないよ」


 エイプリルは新しく作った火炎爆弾と油玉を掌の上で転がしながら笑う。逆嶋の街中では炎がどこに燃え移るか延焼する範囲も見当つかなかったため、完成してからも使用を禁止していた忍具だ。森の中や鉱山などでも木々に燃え移ったり山火事になる可能性があるため、あまり使用感を試せていなかったようである。


 試練の滝は精神世界のような場所で戦うので、周りへの被害を考えなくて良い。そのためエイプリルは試運転もかねて火炎爆弾と油玉を使っていた。今回の巨大熊との戦闘のおかげで火炎爆弾の延焼範囲などがより詳細にデータとして取れたことだろう。


「街中でも使えそうか?」


「うーん、油玉を一緒に使うと延焼範囲が一気に広がっちゃうから良くないかも。でも、コンクリートの建物とかなら燃えないだろうし、そういう場での戦闘で火炎爆弾だけにすれば使っても大丈夫かもね」


 それからエイプリルはニヤっと笑みを浮かべると爆弾類をポーチに仕舞い、今度は俺の方を見た。俺の方というか、俺の左腕と腰に差した曲刀をだ。


「それで、そっちの方はどう?」


「手甲の方は猪討伐クエストで慣らしてたから大分しっくりくるようになったよ。咬牙こうがは今回が初使用だけど良い切れ味だな。ありがとう」


「どういたしまして。でも、本当に私が作って良かったの?」


「そりゃあ、俺の作った忍具はアレだからな……」


「あははっ、そうだったね」


 俺の新しい忍具装備はいずれもエイプリルが作成してくれた。というか、俺の忍具作成が超絶にヘタクソだったのだ。しばらく練習したが、作ったクナイはどれもこれも重心が傾いていたり、芯が真っ直ぐじゃなかったりという欠陥品ばかりだった。

 だが、そうでなくてもエイプリルは忍具作成の筋が良いらしい。コタローや忍具屋のオヤジも太鼓判を押していた。


「俺の作った忍具と比べるまでもなく、エイプリルの作った忍具は綺麗にできてるよな。クナイとかの見た目も店売りのと遜色ないし」


 これは本心である。俺の言葉にエイプリルは実にご満悦の表情だ。


「えへへ、そう? じゃあ、頑張って作った甲斐があったなぁ」


 エイプリルが俺のために作ってくれた忍具は主に手甲と曲刀の二つだ。

 手甲はバイオチタンと鋼鉄が組み合わせられており、軽さと丈夫さを兼ね備えた作りだ。さらにワイヤーを射出し、巻き取る機構まで組み合わさっている。現在は棒手裏剣をワイヤーの先端に取り付けることで刺さった先を起点に巻き取りによる高速移動などが実現できるようになっている。


 咬牙こうがは白い刀身をした曲刀であり、忍者刀くらいの大きさをしている。俺の筋力では本来刃渡りの長い武器は重くて使えないのだが、この曲刀は非常に軽い。というのも材質が蛇の牙から出来ているからだ。そのため鉄などと比べて軽く、俺の筋力でも取り回しやすくなっている。


「実際に使った感触もかなり良い感じだ。エイプリルに作ってもらって正解だったよ」


「もう、そんなに褒めても何も出ないよ。それに素材が良かったっていうのもあるかな」


「ほうほう、そんなに素材で変わるもんなのか」


 今回作ってもらったそれぞれの忍具は、手甲の作成には逆嶋バイオウェアが配布したバイオチタンが、咬牙の作成にはイリスに貰った大怪蛇イクチの牙が使われている。それぞれ組織抗争クエストのクエスト報酬と極秘任務のクエスト報酬だ。


 組織抗争の方はまんまとクローン技術を盗まれて敗北してしまったわけだが、とはいえ防衛を担った忍者たちには頑張った分のねぎらいを出さなければならない。ということで逆嶋バイオウェアは組織抗争の参加者全員に忍具作成などで使用できる合成素材のバイオチタンを配布したのだ。


 かなり優秀な合成素材のようで、市場に出ている同一素材を買おうとすると有り金を全てはたいても極少量しか買えないという高級素材だ。

 ずいぶんな大盤振る舞いだと思ったけれど、コタローが言うにはまた同様のことが起きた時、同じように街の忍者たちの協力を得るためには、このくらいの出費は必要経費なのだという。


 極秘任務のクエスト報酬はイリスからだ。コタロー、ハイト、アマミの三人もそれぞれ貴重な素材を貰ったらしいけれど、俺は大怪蛇イクチの牙を貰った。かつて大怪蛇イクチを討伐した際にドロップした戦利品の一つらしい。

 ユニークモンスターのドロップ品ということもあって、素材としてのランクも最上級品だ。それによって作成された曲刀『咬牙』はワンランク上の忍具『上忍具』に分類される。


「そうだね、素材はかなり重要になってくると思う。特に咬牙なんて、忍具作成中に指図してくるんだから驚いちゃったよね」


「あぁ、忍具屋のオヤジが驚いてたやつか」


 忍具の作成には想像力が大事になってくる。その想像が上手ければ、創造した結果にも上手く反映されるのだ。しかし、素材によっては素材そのものがこの形にして欲しいと指図してくる場合があるらしい。忍具作成をする際には、そんな素材からの要望と忍具としての使い勝手を上手い塩梅で調整するのだという。


 そのためエイプリルによると、咬牙に関しては素材の要望を聞いた結果、使用用途が分からない構造的な仕組みもあるとのことだ。素材は忍具としての最終的な形は指図してくるが、それがどういった意図なのかまでは言わないのだという。だから、実際に使ってみないと分からない効果もある。しばらくは試してみて考察するしかないな。


 ところで、エイプリルが咬牙を作成し終えた後、素材が指図してくる件について忍具屋のオヤジに話したところ、凄い気迫でエイプリルを忍具屋の弟子にしようと迫って来ていたな。その気迫には俺もエイプリルもたじろいでしまったけれども、なんとか断ることができた。俺たちの冒険はまだまだ始まったばかりだ、さすがに忍具屋へ永久就職するのはまだ早い。

 その時の忍具屋のオヤジの言葉を思い出す。


―――素材の声が聞こえるのは才能だ、是非とも今後も忍具作成の腕を磨き続けてくれ


 たしかに俺がイクチの牙で忍具を作ろうと悪戦苦闘していた時には素材の声など全く聞こえなかった。そうだとすれば、それは特別な才能なのだろう。とはいえ、別に忍具屋のオヤジに言われたからという訳ではなくとも、今後俺が使う忍具はエイプリルに作ってもらおうと思う。


「というわけで今後もエイプリルには忍具作成に励んでもらおう」


「ちょっと、そんなインドアなことばっかりじゃ嫌だよ! もっと忍術の練習とか任務をいっぱいこなしたりしようよ!」


 エイプリルは忍具作成だけでは不服なようだ。俺は笑って、エイプリルの背を軽く叩いた。


「それならさっさと逆嶋まで戻ろうぜ。お互い中忍になったことだし、そろそろ桃源コーポ都市にも向かいたいしな!」


「ついに新天地へ出発ってわけね。楽しみっ」


 新天地への期待を胸に膨らませながら、俺たちは試練の滝を後にして、逆嶋の街へと戻ったのだった。

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