第216話 ライド・オン・スパイダー

▼セオリー


 天高く見上げた先には『神縫い』の力を捕食し、進化したユニークモンスター『天津喰龗神あまつはむおかみのかみイクチ』が君臨していた。

 救いなのは完全に空を飛んでいる訳ではなく、いまだに尻尾の先は海の底にあり、ただ身体を天へ向けて持ち上げているだけという点だ。逆に言うと身体をそびえ立たせただけで空に浮かぶ雲へ到達してしまう巨大さを持ち合わせているということでもあるのだけれど、それは今更だ。大怪蛇イクチの時点で十分に大きかったのだから、そこからいくら巨大化しようと衝撃の度合いは大して変わらない。


 さて、俺たちがイクチへ攻撃するというスタートラインに立つため、クリアすべき壁は巨大さだけではない。

 それは海だ。イクチの影響なのか、荒れ狂う波濤はとうが絶えず押し寄せる。生身で泳ごうものなら一瞬で溺れてしまうだろう。むしろ、普通ならこの時化しけた海こそが最難関の壁だったかもしれない。


 今、この荒れる海に対して「普通なら最難関」と言った。その言葉から分かるかもしれないけれど、今回の俺たちはこの問題をクールにクリアした。



 荒れる海をものともせずに水上バイクのごとく滑走する黒い影、およそ100騎。それらがイクチへ向けて海面を爆走していた。

 黒い影の正体は全長二メートル近い大型の蜘蛛である。俺のテイムしたユニークモンスター『虚巨群体』アーティの能力により、水上歩行を得意とする蜘蛛を召喚してもらったのだ。


 そもそも忍者が水上を渡る際に使用した忍具を「水蜘蛛みずぐも」という。つまり、俺たちはかつての忍者たちと同じく、蜘蛛を利用して壁を乗り越えようとしているのである。原点回帰の突破口というわけだ。


 すなわち、俺たちは海を疾走する「蜘蛛ライダー」となっていた。


「一回は水上バイクを体験してみたかったんだよな!」


「いや、これ蜘蛛ですよぉおお!」


 ホタルの悲鳴とも叫びともつかない声が後方で聞こえた。まあ、頑張れ。たしかに直視すると背筋がゾワリとする感覚があるけれど、前を見据えていればバイクと変わらない、たぶん。

 ホタル以外の面々はなんとか蜘蛛ライドに順応したようだ。……いや、エイプリルもかなり嫌そうな顔はしている。ホタルとは声を発しているかいないかの差くらいのものだ。うーん、頑張れ!

 正直、俺も生理的嫌悪感はどうしたって拭えないけれど、現状これしか荒波を乗り越える手段が無いのだ。



 前方にそびえるイクチが上空で咆哮を轟かせた。これは雷が落ちてくる合図だ。しっかりと蜘蛛にしがみ付く。同時に蜘蛛の動きが直線ではなく立体機動へと変化した。急角度での横移動や飛び跳ねることによる縦軸の動きは通常のバイクにはできない、蜘蛛ならではの特権だ。

 雷を蜘蛛たちが避け切った後、波が不自然に大きくうねる。雷の落ちた周囲に波紋が起きたのだ。しかし、問題はない。うねる波を器用に乗りこなし、体勢を立て直す。蜘蛛ってすごい。


 雷を避け、時化た荒波を乗りこなし、蜘蛛ライダーたちはイクチの周囲へと迫っていた。もうじきイクチと肉薄できる距離まで接近できる。そこにシュガーが俺と並走するように横へついた。


「海上は俺に任せろ。セオリーたちは頭を狙え!」


「分かった。頼んだぞ、シュガー!」


 シュガーは陽動を買って出てくれるようだった。俺の承諾を聞き、シュガーは胸を叩いて見せる。それから進路を変えてイクチの正面を位置取るように旋回した。シュガーの後には100騎近い蜘蛛ライダーたちが追随ついずいしていく。いずれも青白いヒトガタが蜘蛛に乗っていた。彼らはシュガーの固有忍術『夢想術・妄想権現パラノイアニマ』によって生み出された存在だ。


「さあ、ゆくぞ。同志たちよ」


 ヒトガタがサイリウムを掲げる。それは神の降臨を崇めるための前準備だろうか。


「ステージオン! ライトアーップ!」


 突如、海が割れた。ゴゴゴと地響きを轟かせながら割れた海の底からせり上がってくるのはライブステージである。その中心には腕を組み、仁王立ちする女性の姿があった。甘々女神系アイドルこと砂糖 神シュガーゴッドである。


『うぉぉおおおおお!!!』


 幻聴だろうか、大歓声がどこからともなく聞こえてくる。それに合わせて青白いヒトガタたちがサイリウムを規律正しく振り出した。

 サイリウムが奏でる美しき光の螺旋律が海上を彩る。割れた海からせり上がったステージが完全に出現し終え、その全貌が露わになる。

 直後、中心で砂糖 神シュガーゴッドが指先を天へ向けた。ぴたりと止まるヒトガタの動き、歓声も止み、彼らの世界が無音に包まれる。

 スポットライトが360度あらゆる角度から女性を照らした。その中をゆっくりと歩き、スタンドマイクへと近づいていく。


「……っ」


 息を吸う音が聞こえた気がした。その直後、爆音が世界に流れ始める。砂糖 神シュガーゴッドのセカンドシングル「ゴッデスメタル~女神は甘さだけじゃないのよ☆~」のイントロである。本来なら砂糖 神シュガーゴッド自身のスクリームが一緒に流れるのだけど、そこはオフボーカルのため流れていないようだ。

 アイドルとは思えない荒々しいメタル調のサウンドとともにヒトガタの動きが変わった。サイリウムの振り方が規律正しい動きから、荒々しさを兼ね備えた激しいものへと変わったのだ。

 イントロからAメロへ入ったと同時に、ヒトガタを乗せた蜘蛛ライダーが侵攻を開始した。バックで流れる音楽と同じく激しさを増した彼らはイクチへ殺到するのだった。



 そんな一連の流れが行われていた頃、俺たちはすでにイクチの胴体へ張り付いて頭を目指して登り始めていた。これも蜘蛛ライダーになったことによる恩恵だ。気を足に『集中』し続けなくとも、蜘蛛ならデフォルトで垂直な胴体を踏破できる。蜘蛛様様だ。

 下を向くと海上にてイクチへ群がるヒトガタ蜘蛛ライダーたちの姿がよく見える。


「す、すごい忍術ですね……」

「……何あれ?」


「無理に褒めなくてもいいぞ。アレが何なのかは俺も分からん」


 ホタルとエイプリルはシュガーの奥の手が初見だ。ホタルは若干引きつつも感嘆の声を漏らす。一方でエイプリルは不可解さが勝ってしまった様子だ。そりゃ、そんな反応にもなるだろう。


「あれはずいぶんと厄介なコンビネーションだね。蜘蛛が機動力を補助しているおかげで攻撃に全振りできているみたいだ」


「アレってステータスの振り方とか変えられんのか?」


 ルペルが訳知り顔で解説していたので聞いてみる。正直、俺も初見ではないとはいえシュガーの忍術のことはよく分かっていない。関西地方でドンパチやり合っていたこともあるルペルの方がより詳しく知っているのかもしれない。


「あっはは、私が知っているわけないだろう。彼の忍術は奇妙奇天烈なんだ。理解しようとするだけ馬鹿らしくなってくるよ」


 ルペルは笑って答えた。本来なら何度も会敵する相手であれば、忍術の解析などして次回以降の対策を考えるのが常套手段だ。しかし、パトリオットシンジケートとして何度も拳を交えたであろうルペルをもってしてさじを投げたのである。


「よく分からんってことが分かったな。なんにせよ、味方で良かった」


「私の苦労も伺えるだろう?」


「あぁ、よくアレを相手に頑張ったもんだよ」


 ルペルは昔を思い出したのか、遠い目をしてため息を吐いた。こりゃ、よほどだな。そっとしておこう。

 それはそれとして、ヒトガタ蜘蛛ライダーの奮闘は予想以上だった。ルペルの予想通り、機動力を蜘蛛が担保しているので、ヒトガタ自体は攻撃に全力を注ぐことができているようだ。蜘蛛が跳ね、すれ違いざまにサイリウムでの一撃がイクチへ叩き込まれる。たかが一発では掠り傷くらいのダメージかもしれない。しかし、それを続けざまに百連発で食らわせて来るのであれば無視もできなくなってくる。


 イクチが咆哮を上げてシュガーたちの方へと意識を向けたことからも明らかだ。現状の脅威度がシュガーたちの方へ傾き、ヘイトがあちらへ向いている。

 しかし、イクチの攻撃はなかなか当たらない。雷が当たりそうな個体に対して別の蜘蛛が糸を飛ばして引き寄せることで回避の助けをしているのだ。数の暴力と連携力が合わさり、シュガーの軍勢は強力な陽動となっていた。


 雷だけでは倒せないと判断したイクチはさらなる攻撃の手を披露する。海面に渦潮が生まれ、それが天へと巻き上げられた。竜巻である。

 海面が上空へ巻き上げられる竜巻は海上にいる蜘蛛ライダーたちの動きを大きく制限した。今まで通りの立体的な機動をし続けるのも苦しい状況となる。そこに再び雷が落とされた。最初の内はイクチを翻弄する戦いぶりを見せたけれど、徐々に戦況は不利に変わっていく。


 このままでは壊滅も時間の問題かと思われた。その時、砂糖 神シュガーゴッドが動き出した。「ゴッデスメタル~女神は甘さだけじゃないのよ☆~」がサビへ突入したのだ。

 途端、ヒトガタの動きがより一層激しさを増した。回転させたサイリウムは光の筋を残し伸び続ける。光はその場に留まり続け、その上に別の蜘蛛ライダーが飛び乗った。そうして次々に光の筋を空中に描き出していくと、それが色とりどりに輝く光の空中コースとなったのだ。


 空中に描き出された光のコースは荒れ狂う波の影響や竜巻の影響を最小限に抑えてくれる。蜘蛛自身の持つ立体機動能力をヒトガタが補助したのだ。

 これにより傾きかけていた形勢が再び逆転した。空飛ぶヒトガタ蜘蛛ライダーは縦横無尽に駆け回る。激しきサイリウム殴打の雨あられ。


「これ、もしかしてだけどシュガーだけでも勝っちゃったりしないよな?」


 頭を目指して胴体を登っている俺たちって本当に要るのか?

 思わずそう思ってしまうほどの攻勢ぶりだった。


 しかし、俺の考えはまだまだ甘かった。イクチはユニークモンスターだ。機械的なAIで行動する通常モンスターとは違う。

 ヒトガタたちの力の源は何か。それは当然、ステージ上で歌い踊る砂糖 神シュガーゴッドだ。それが分からないイクチではなかったのだ。


 防戦一方に思われたイクチが再び吠える。すると、暗雲の中にとびきり大きな光の塊が出現していた。その直後、極太な光の柱が天から海を貫くようにして伸びた。一瞬の出来事だった。直下にいたならば気付いたとしても避け切れない太さをもった稲妻の光線である。

 そして、その光線は正確にライブステージを吞み込んでいた。

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