第264話 とある怪魚の忍者目録

▼セオリー


「なるほど、企業連合会の会長にして甲刃連合の上位幹部、か……」


 クロマグロのクロは眼前に複数展開された電子巻物を目で追って、それからゆっくりと俺を見下ろした。

 バレバレなんてもんじゃない。企業連合会の会長は肩書きとしてよく利用させてもらっているからバレているのも頷けるけれど、甲刃連合の上位幹部であることはほとんど外にはバレていないはずだ。一体、どこから情報が漏れたんだ?


「セオリーくん、何を考えているか丸分かりだよ。見たところ策謀は不得手のようだね?」


 ぐぬぬ、また表情を読まれたらしい。魚の表情筋ではあり得ない角度でクロの口角が歪む。まるで俺のことをせせら笑っているようだ。

 情報戦においてこちらが大きく劣っている。その状況を作り出した一端は、やはりあの複数展開された電子巻物にある。俺の視線は自然にクロが『目録』と呼んだ電子巻物群へと向くのだった。


「この『目録』が気になるかい」


「気にならないと言ったら嘘になるだろうな」


「ふふ、そうだろう。これはユニークNPCが君らプレイヤーへ対抗するすべだ」


「ユニークNPCがプレイヤーに対抗する……?」


 何故、敵対すること前提の物言いをするのだろう。クロの言葉に引っ掛かる部分を感じた。

 それはクロの立場上における言葉なのか、それともユニークNPC全般を代弁した言葉なのか。いや、それはない。現に俺はおキクさんやアヤメなど多数のユニークNPCと協力してきた。

 それに何よりエイプリルという存在もある。もちろん、カルマ室長やルドー隊長のような敵対するユニークNPCが居なかった訳ではない。しかし、それ以上に味方として共に戦ったユニークNPCたちの存在が俺の心には残っていた。


「ユニークNPCって十把一絡げにするのはどうなんだ? そりゃあ、プレイヤーと敵対的なユニークNPCも居たけど、どいつも悪い奴らだった。プレイヤーに限らず他のNPCとも敵対してたぜ」


「どうかな、彼らもそれぞれ足掻いていただけだったかもしれない」


「足掻く? それで街を一つ滅ぼそうとしたり、談合の上の腐ったディストピアを作り出したりしてた奴らだぞ」


「……では、逆に聞くが君は私たちユニークNPCについてどれだけのことを知っている? 私たちは常にプレイヤーという名の不死者と接してきた。それがどれだけ恐ろしいことか分かるか?」


 クロの瞳がギョロリと俺を見据える。

 プレイヤーだけの特権、リスポーン。それは記憶改竄を受けないユニークNPCだけが観測できる理不尽。


「なら、そもそも敵対しなけりゃ良いだろう。プレイヤーにだってペナルティはある。誰彼構わず殺したりはしない」


「ふはははっ、お前は甲刃連合の上位幹部じゃなかったか? ずいぶんと甘い理想論を並べ立てるものだ」


 水槽が震える。巨体のクロマグロが大きく身体をうねらせ笑っているのだ。


「それは私たちの恐怖を緩和する材料にはなり得ないよ。それこそ、君のようなヤクザクランに身を置くプレイヤーなら分かるだろう。ヤクザクランは暴力をぶつけることが仕事だ。その過程で対象を殺してしまうことが絶対に無いと言えるか」


 ゲームの性質上避けられない闘争はある。なるほど、たしかにヤクザクランから組織抗争でも仕掛けられたら否応なしに戦わざるを得ない。

 ゲームだから仕方がない。それはリスポーンできるプレイヤー側の論理だ。否応なしに巻き込まれる闘争は、ユニークNPCからすればプレイヤーを楽しませるためのマッチポンプで発生しているものとして映る。


「だからってプレイヤー全体と敵対することが正解だとは思えない」


「この世界にいつ居るのかも定かではないプレイヤーを信用するのは危険だと思うがね」


「そんなことを言ったら平行線だ」


「その通り。平行線なのだよ。能天気なユニークNPCであれば君の理想論も通るかもしれない。しかし、少なくとも私はプレイヤーを信用せず、自分の身は自分で守ることにしたのだ。……無論、排除すべき対象にはヤクザクランである君も含まれる」


 クロが最後の言葉を言い放った後、突然背後の水槽が左右に分かれた。そこには俺とピックが乗ってきたエレベーターの姿があった。どうやら水槽を動かして物理的に隠していたらしい。

 それにしても、ここでエレベーターを見せたということは……嫌な予感が脳裏に浮かぶ。


「増援か」


「ふふ、それもただの増援ではない」


 エレベーターが開かれ、中から黒い隊員服を着た忍者がぞろぞろと出てくる。肩の腕章には見覚えがある。いや、まさか、嘘だろう。


「動くな、シャドウハウンドだ! 奇々怪海の通報により参上した」


 現れたのはこのゲーム世界における公営警察機関シャドウハウンドだった。おそらく摩天楼ヒルズ支部だろう。やけに世間話を続けてくれると思ったら、シャドウハウンドが来るまでの時間稼ぎだったわけだ。


「ピック、チェンジだ」


 ピックへ声を掛ける。こうなってしまっては仕方がない。この場を打破するには力が必要だ。しかし、どうやってライギュウを呼びだす時間を作り出すか。

 相手のシャドウハウンド隊員は5名。忍者ランクは推し量れないけれど、俺一人で押し通るのは至難の業だろう。


「不審な動きはするな。その場合は手加減できないぞ」


 5名が半円状にジリジリと距離を詰めてくる。手に持っているのは非殺傷武器である警棒だ。シャドウハウンドは対象を殺害してしまうと逮捕しても報酬が貰えなかったり、減額されたりするとハイトに聞いたことがある。つまり、こいつらは俺を殺す気はないのだろう。

 だからと言ってはい、そうですかと捕まってやるわけにはいかない。というか、捕まった場合ってどうなるんだろう。何かペナルティでも発生するのだろうか。


「とはいえ、困った時は三十六計逃げるに如かず」


 ポロリとポーチから煙玉を落とす。エイプリルお手製の小型煙玉だ。瞬く間に周囲が煙で覆われる。シャドウハウンドの方は5対1とはいえ視界の悪い状態で自分から煙幕の中へ入ってくる愚は犯さない。

 しかし、その一瞬の時間稼ぎが俺には必要だった。背後へバックステップで下がり、水槽に背が当たるくらいまで近付くと『黄泉戻し任侠ハーデスドール』を使った。この場から逃げるのに必須なのはパワーだ。つまりはライギュウの出番である。

 掌から光の粒子が零れだし、ライギュウの身体を作り出す。しかし、突然ガシャンとガラスの割れるような音が鳴り響いたかと思うと、集まっていた粒子たちが雲散霧消してしまった。


「式神の召喚か。カウンターを用意しておいて正解だったな」


 すぐ背後に気配を感じる。薄くなった煙幕の中、水槽へ目を向けるとそこにはクロの顔が間近にあった。


「何をした!?」


「さっきのピックとやらが消えた時点で分かったのだよ。お前は式神使いだ。そして、式神使いが手持ちの式神を消したなら考えられることは一つ。その場に合った新たな式神を呼び出す以外あるまい。……だから消した」


 クロの目が妖しく光る。なるほど、式神召喚を無効化する忍術か。俺の行動を見てそこまで見抜かれるとは、やられた。完敗だ。

 煙幕はとうに晴れた。俺の背後にはシャドウハウンドの隊員たちがいた。ここで抵抗しても良いが、どうもこの怪魚を前にして手の内を晒すのは危険な気がした。どちらにせよ、5人相手にライギュウ無しで逃げ切れる気もしない。

 俺はクロを睨む。こいつは厄介だ。中四国地方を征服する際には必ず難敵として立ちはだかるだろう。目に焼き付ける中、後頭部に警棒の一撃を受けた俺は緩やかに視界をブラックアウトさせるのだった。

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