第262話 仮死へ誘う毒牙罠

▼セオリー


 ピック考案、俺のアドバンテージを生かした俺だけの潜入プラン。

 それは最近使ってないなと思っていた固有忍術を使った方法だった。


「『不殺術・仮死縫い』」


 変装したピックによってトイレへと誘導された店員に、扉の影より忍び寄った俺は背後から『仮死縫い』のクリティカルヒットを食らわせた。

 店員が意識を失うと、俺とピックは手早く店員のポケットをまさぐった。残念、社員証のランクは「C」だ。


 現在、俺たちはランクの高い社員証を求めて店員専門の食虫植物を化していた。トイレのトラブルを口実に店員を誘導し、仮死縫いで仕留める。ランクの高い社員証は万能鍵になり得る可能性を秘めている。超重要アイテムだ。


「ダメだな。フロアに居る店員じゃ社員証のランクが低い」


「えぇ、やはり中にいるであろうマネージャークラスの社員を見つける必要があります」


「よし、なら変装だな」


 ピックによって誘導された店員は二人。さすがに見境なく店員を昏倒させ続ければ騒ぎになってしまう。二人ともCランクの社員証となるとこれ以上は同じことの繰り返しになりそうだ。一旦、別の手を考えるべきだろう。

 二名の店員はどちらも『仮死縫い』の毒牙にかかり絶賛昏倒中だ。社員証などの必要なものだけ拝借させてもらい、俺とピックはそれぞれ昏倒する店員の姿へ『変装術』で化けた。


 店員が調理を運ぶ出入口を通り、奥へと進む。

 俺はバレないかなという不安さから平常心ではいられなかった。何度か前を行くピックのカカトを踏みそうになって、踏みとどまるのを繰り返してしまった。

 それに引き換え、ピックは堂々としている。この辺はツールボックスにいた経験がある分、成り代わるという行為自体に馴れているのがよく分かる。自然な仕草、表情ですれ違う店員に挨拶を交わしていた。


 進んだ先にはフロア店員用のスペースがあり、奥には板前用の厨房が広がっている。ここが板前からフロア店員へ料理の受け渡し場所というわけだ。

 お、いたいた。フロア店員の制服とも、板前の調理服とも違う。一人だけスーツ姿のバリバリキャリアです、といった風貌が店員たちに指示を飛ばしていた。


「……お前たちはトイレのトラブルで客に呼ばれたんだったな。どうだったんだ?」


 バリキャリーマンは俺たちが帰ってくるなり、トイレの様子を尋ねてきた。まあ、トイレのトラブルというのは店員を誘導するためにピックが適当に吐いた嘘だ。

 さて、どう答える? 俺は視線をピックへ向けた。


「はい、手洗い場の配管が水漏れしているようでして。ご確認いただけますか」


「分かった。すぐ行こう」


 どうやらピックは嘘の重ね塗りをするようだった。つまり、仮死縫い昏倒からの変装成り代わりコンボだ。

 バリキャリーマンとともにトイレへ到達すると、ピックが先導して排水管を指差す。事前にボルトを緩めて置いた配管はジワジワと染み出すように水が漏れ出ている。バリキャリーマンが確認するために頭を下げた。後ろに立つ俺からするとクリティカルヒットを出してくれとお膳立てされているようなものだ。


「はい、いただきます。『不殺術・仮死縫い』っと」


 仮死状態となり、倒れたバリキャリーマンの社員証を確認する。

 結果はビンゴ。案の定、彼のランクはBランクだった。ピックが一般店員Aからバリキャリーマンへと『変装術』を切り替える。そして、ツカツカとトイレから出て歩き始めた。


 おぉ、凄い。後ろから付いて歩いていた俺にはよく分かる。変装したピックの歩き方は、さっき出会って5分も経たないバリキャリーマンの歩き方とそっくりだ。ほんのわずかな時間で歩き方のクセを盗んだのである。



 変装したピックと共にフロアへ戻ると素早くエレベーターへと近寄る。周りの店員がこちらを見ていないタイミングを見計らいピックは社員証をエレベーターの認証画面へ押し当てた。待っていたかのように扉が開いたのでパッと乗り込み、閉じるボタンを押す。

 扉が閉まり切ったのを見届けて、俺はようやくホッと一息吐いた。


「さて、どの階まで行こうか」


「フロア責任者の不在はすぐに露見するでしょう。早めに動く必要があります」


「ふむふむ、なら行き先はここだな」


 俺はニヤリと笑みを浮かべて最上階のボタンを指し示す。ピックも頷き返したので今度こそボタンを押した。

 エレベーターがグンと上昇を開始する。どうやらこのビルは50階建てらしい。押したボタンはもちろん最上階50階。言ってしまえばこれから乗り込むのはラスボスエリアだ。良いね、順調だね。


「ピックのおかげで順風満帆だ」


「いえ、ここまで簡単に事が進んだのは主様の固有忍術あってのこと」


「なんだよ、謙遜すんなって」


 正直、俺がしたことなんて『仮死縫い』で昏倒させただけだ。無理に仮死縫いを使わなくたって忍者ではない一般人を気絶させる方法などいくらでもある。それよりもピックが行った変装の技術の方が大事だったろう。

 と思ったのだけれど、実はバリキャリーマンが中忍相当の忍者だったことが発覚した。しれっとピックは俺の知らぬ間にバリキャリーマンを捕縛尋問し、電子巻物による情報引き出しを行っていたのだ。


「不意を突いたとしても一撃で仕留められなければ即座に敵の仲間へ連絡が行き渡り、援軍を呼ばれた可能性があります。主様の『仮死縫い』が無ければ今回のような大胆な作戦は取れません」


 ピックの言によるとそういうことらしい。

 しかし、なるほど『仮死縫い』は不意打ちした時の効果がピカイチなのか。俺の知らなかった『仮死縫い』の強みがまた一つ知れた。客観的視点で忍術を評価してもらうのって大事なんだなぁ。

 せいぜい俺の中での『仮死縫い』の強みは初見殺し性能ありきのバフくらいなイメージだったからな。あと、殺さずに対象を行動不能にできるのも明確な強みか。



 そんな話をピックとしている内に最上階へ辿り着いた。

 驚くほどスムーズについてしまった。なんかここまで簡単に事が進むと警備ザル過ぎないかと逆にうたぐってしまう。


 チーンという音と共にエレベーターの扉が開いた。


「なんだ、ここ?」


「大きな水槽、でしょうか」


 恐る恐るエレベーターから降り立ち、周囲を観察する。

 不思議な部屋だ。ビルのワンフロア全体、周囲の壁一面をガラス張りにしている。さらに緩やかな湾曲したガラスはドーナツ状の水槽になっているようだ。

 いくら高級海鮮料亭だからと言って最上階にまで水槽を用意するというのはいかがなものか。というか、こんな高所までどうやって水を運んだのだろう。



 ───ゆらり。



 急に気配を感じて振り返った。水槽の中のヤツと目が合う。


「うわぁ、びっくりした!」


 巨体をくゆらせ、水槽の中を優雅に泳ぐ姿は王の貫録を思わせる。しかし、それとは裏腹に何を考えているのか読めない瞳は覗き込むと何故だか異様に不安感を駆り立てさせる。


「これは魚ですか」


 遅れてピックも振り返り確認する。

 そうだ、魚だ。日本人なら口にしたことが無い人を見つける方が難しいのではないかと言うほど有名な魚。すなわち、


「クロマグロだ……」


 しかし、その巨体は見知っているものとは異なる。全長6、7メートル以上あろうか。一般的なクロマグロの2倍以上の体躯を誇っている。その巨大さが言いようの知れない恐怖感を煽る。


「どうして最上階にクロマグロが……?」


 ピックの疑問はもっともだ。しかし、当然俺にも分かる訳がない。水槽の中には他の生き物は全くいない。完全に一匹の巨大クロマグロ専用水槽ということらしい。


「もしかしたら、ここの会社の社長が飼育しているクロマグロなのかも」


 よくマフィアのボス的な人がアロワナを部屋で飼ってるようなアレである。それをクロマグロでやるあたり豪快な発想だと思うけれど。


「違うぞ、若いの」


 ドキン、と心臓が跳ね上がった。

 低く響く声が部屋中に轟く。静かな声色なのに部屋が揺れるような声だ。


「社長の飼育するクロマグロではない」


 謎の声は続く。いや、待て。声の発信源が分かってきた。水中を伝わり部屋全体を震わせて声を伝えているんだ。


「社長がクロマグロなのだ」


 俺は優雅に泳ぐクロマグロへ真っ直ぐに視線を向けた。クロマグロはすいっと泳いで俺たちの目の前まで移動した。


「そう、私だ。私の名はクロ。アニュラスグループの幹部であり、奇々怪海の社長である」


 呆気に取られた俺はただただポカンと目の前に泳ぐクロマグロを見つめるしかなかった。

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