第165話 ルペルの最悪な一日・序

▼ルペルまたはルンペルシュテルツヒェン


「待て、待て待て待て! どうしてあの白蛇がここにいる?!」


 白き大蛇イクチ。そのユニークモンスターに関しては黄龍会からの情報提供で聞いていた。

 かつて三神貿易港に出現し暴れ回った末、頭領三人の手にかかって討伐された大怪蛇イクチ。現在は関東地方のプレイヤーで唯一無所属の頭領であるイリスというくノ一の忍者が使役すると聞いている。

 先の逆嶋で起きた組織抗争ではイリスが何かしらの極秘任務を受けていた関係で一時的に黄龍会と協力関係となっていた。その際には逆嶋のシャドウハウンドを丸々一人で相手取り大立ち回りして見せたという。


 そう、頭領。イリスは頭領のプレイヤーだ。そんな大物がどうしてワールドクエストそっちのけでこんな場所に居る?

 思わぬ強者の出現に思考が停止する。しかし、誰へともなく発していた疑問に対し、またもや思わぬ相手から返答があった。


「どうして居るかと聞かれたら、答えてあげるが世の情け」


「そ、その声は?!」


「セオリーの人脈を舐め過ぎたな、ルンペルシュテルツヒェン」


「シュガー、ミッドナイト……ッ!」


 白き大蛇の頭部で腕を組み仁王立ちしていた男は、かたわらに召喚した少女に命令し、大斧で窓ガラスをぶち破りながら社長室の中へ転がり込んできた。

 シュガーミッドナイト。我らがパトリオット・シンジケートにとって宿敵とも呼べる相手だ。だが同時に、思考の中に欠片も存在しなかった相手でもある。


「どうしてシュガーミッドナイトまでここにいるんだい」


 疑問を投げかける。彼はかつて関西地方にいた。そこでパトリオット・シンジケートと彼は何度もぶつかり合ったことがある。パトリオット・シンジケートが関西地方の覇権を握れなかった原因の一つと言っても良い。それほどに頭領シュガーミッドナイトは面倒な相手だった。


「友が呼んでくれたんだ。関東に居たのは本当にたまたまだな」


「友に呼ばれたから、か。かつての君を代表する数多あまたのユニーク忍具を捨ててまでかい? おかげで君に気付けなかったよ」


「そうか、たしかに関西地方でお前らとドンパチやってた時は生身を晒すこともほとんど無かったものな」


 彼に気付けなかったのは痛恨の極みだが、それも仕方ないと言える。今の彼が装備しているユニーク忍具はおそらく顔に掛けたサングラスくらいのものだろう。

 関西地方にいた時の彼は全身を多種多様のユニーク忍具で覆っていた。シルエットすら変わるほどに纏っていた。


「でも、ユニーク忍具をほとんど剥奪されては同格以上と戦うのは厳しいんじゃないかい?」


 メイズとウォルフを近くへ呼び、陣形を組む。シュガーミッドナイトが普段使役している少女型の形代は上忍相当の三体だ。それに対して我々は全員が上忍頭である。この三対一のマッチメイキングであれば勝機は十分にある。


「ほう、お前らは頭領を二人相手にして勝機を見出せると?」


 シュガーミッドナイトがやれやれといった表情で腰に手を当てる。

 先ほどからずっと静かに中を窺っていた白き大蛇に動きは見られなかった。だから、参戦しないのではないかという一縷の望みにかけていたのだが、それも儚い幻想だったらしい。


 シュガーミッドナイトの影から一人の女性がヌルリと出現する。このタイミングでの登場、まず間違いなく彼女がイリスなのだろう。彼女に関してもそうだ。想定の範囲外だったがために人相なども把握していなかった。

 彼ら彼女らの参戦を把握できていれば、そして人相を把握していれば、この二人をセットにして転移するなど決してしなかっただろうに。


「ちなみに転移させた先にはパトリオット・シンジケートの兵隊が五十人はいたはずだけど?」


「ふふ、少し物足りないくらいだったかしら?」


「次があれば二倍、いや三倍は人数を用意しておくといい」


「百五十人か……。検討しておこう」


 つまりは目の前に絶望があった。頭領二人を相手取るなど正気の沙汰じゃない。


「……いや、二人どころじゃないか。北から攻めてきている部隊には逆嶋バイオウェアの頭領アリスもいるんだったな。頭領三人はさすがに聞いていないな」


「アリスだけならお前の固有忍術で何とかなると思ったんだろうが、俺たちの存在は調べきれなかったようだな」


 シュガーミッドナイトが指摘する。彼の言う通りだ。逆嶋バイオウェアの頭領アリスはNPCである。であれば、私の『忌名いみな術』で操れるはずだった。

 彼女はすでにカルマという人物による洗脳支配を受けたことがある。これは先行して関東地方に潜伏していたリデルから情報として聞いていた。その後、リデルは逆嶋と黄龍会の組織抗争の合間でカルマともども捕まってしまった。そのため、アリスがどのようにしてカルマの洗脳支配から脱却したのかは把握できていない。


 しかし、そこは重要ではない。大事なのは一度でも洗脳支配を受けたことがあるということだ。洗脳支配とは精神への攻撃に他ならない。そして、一度でも洗脳や支配を受けた者は精神攻撃が弱点になってしまうのだ。

 このことはゲーム上におけるマスクデータであり、広く知られている訳ではない。他者への精神的干渉を固有忍術に持つ私が独自に統計を取って調べたデータだ。


 だからこそ、アリスを擁する連合部隊が攻めてきていると知っても、いくらか余裕を持って構えていられた。

 桃源コーポ都市襲撃の際、甲刃重工は同じ甲刃連合の幹部たちの襲撃で呆気なく陥落し、企業連合会の会長であるセオリーはウォルフとカメリア相手に手も足も出なかった。逆嶋バイオウェアはアリスがいたために攻めきれなかったが、それでも頭領のアリスさえ何とかすればいくらでもやりようがあると考えていた。


(逃げちまった方が良いんじゃねぇか。時間稼ぎくらいなら務めるぜ)


(早く逃げようよ。頭領二人は勝てっこないって)


 ウォルフが念話術で私に進言する。それに乗っかる形でメイズも泣き言を言っている。正直、逃げたいのは山々だ。しかし、どこへどうやって逃げる?

 走って逃げる? それは論外だ。シュガーミッドナイトだけなら逃げ切れるかもしれないが、イリスの方は真っ当な頭領だろう。であれば回り込まれて挟み撃ちとなる。

 では、メイズの転移を使う? だが、彼女の固有忍術には前準備が必要だ。一応、転移の準備としては、いまだにソファの前に置かれたテーブルの上で青白く発光する盤が展開されている。そこまで全員で向かい、頭領二人の攻撃を私とウォルフの二人でしのぎ切ってメイズに転移を起動させることができれば逃げられる。


 ……それしかないのか。かなり難しいことは分かっている。しかし、現状打てる手はそれくらいしかない。


(分かった。メイズの転移で逃げよう。私とウォルフで出来る限りの時間を稼ぐよ)


(よしきた)


 ウォルフは返答と同時にスモークグレネードを投擲した。煙が周囲を包み込んでいく中、シュガーミッドナイトが少女を召喚するのが見えた。おそらくは風を操る式神タマエだろう。


「タマエ、動くな」


 煙の合間から見える少女へ向けて『忌名いみな術』を掛ける。少女の動きが一時的に硬直した。

 現状、忌名術のキャパシティにおける大部分がカザキを支配する方へ割り振られているため、タマエに対する強制力はささいなものだ。しかし、それでも妨害は妨害だ。一瞬だけ少女の動きを止めることに成功した。


「さァ、走れ」


 ウォルフの号令とともに私とメイズが走り出す。ウォルフは牽制のためにサブマシンガンを両腕に装備して乱射しつつ、殿しんがりを務めていた。


「カザキ、私たちの逃走を補助しろ」


 ウォルフ一人で頭領二人の注意を引き付け続けることは不可能だ。負担を分散するため、カザキに命令する。

 彼は命令を受けるとすぐさま多種多様な忍具を取り出し、それらを投擲し始めた。電流の流れたマキビシ、中に劇薬の詰まったカラフルなボール、フワフワと浮いて触れると破裂する機雷、ありとあらゆる妨害手段が我々と彼らとの間に撒かれる。

 これにより、ウォルフの投擲したスモークグレネードの煙幕も相まって容易に飛び込めない妨害ラインの構築に成功した。


「やはり、カザキは洗脳されているようだな」


「人質かー。大技使えないのが面倒くさいな―」


 シュガーミッドナイトとイリスはウォルフの銃火器による掃射と煙幕、カザキの撒いた忍具、そして、なによりカザキ自身が肉壁となっている状況に困っているようだ。


「『組替くみかえ術・箱入り娘の迷い街』」


 テーブル近くまで移動し、メイズの忍術が起動する。彼女の指先が指揮棒のように振るわれる度、盤面に敷き詰められたキューブが蠢く。よし、間に合った。あとは転移するだけだ。


「あら、そんな簡単に逃げられると思っちゃダメよ」


 逃げ切れる。そう思ったのも束の間だった。突如、メイズと私の間に割り込むようにして女性が現れる。さっきまでシュガーミッドナイトの隣に立っていたはずのイリスだ。彼女は一瞬の内に我々の中心まで移動していた。誰も気付けなかった。


「どうなってやがる!」


 ウォルフは素早く反応し、イリスへ詰め寄って行き、持ち換えたサバイバルナイフで斬りかかる。ウォルフは素晴らしい反応と攻撃速度だった。私の目から見ても非の打ちどころはなかった。しかし、それでも攻撃は空を切った。気付けばイリスは一瞬にして今度はウォルフの背後に移動していた。


「転移がそちらの専売特許だと思わないことね」


 イリスの手刀がウォルフの右腕を打ち据える。骨が折れる鈍い音が響き渡り、ウォルフはたまらずサバイバルナイフを取り落とした。そのまま左腕を掴まれ、後ろ手に捻り上げられる。

 私はウォルフが落としたサバイバルナイフを拾い上げ、イリスに斬りかかった。ウォルフが赤子の手を捻るようにあしらわれた相手に私の攻撃が通るとも思えなかったが、それでも攻撃するしかなかった。

 せめて、一メートル以上は我々と彼女の距離を開けなくてはいけない。メイズの転移は空間ごとだ。つまり、一メートル四方の中に入っていると、イリスも一緒に転移に付いてきてしまう。


 しかし、結果は想像通りだった。片手で軽くいなされ、突き飛ばされる。軽く掌で押されたような動作だったにもかかわらず、私の体は驚くほどの距離を吹き飛ばされた。為す術もなく壁際に張り巡らされた窓ガラスに衝突し、背中を打ち付けて床に転がった。

 レベルの差があるというのもあるが、それにしたって強すぎる。頭領ランクから先はレベルに制限がない。彼女は一体何レベルだというのか。


「さすが関東地方の頭領の中でも指折りの実力者というだけあるな。俺なんかほとんど要らなかったんじゃないか?」


「んー、そうね。要らなかったかも」


「いや、そこは世辞でも貴方の力も役に立ったとか言ってくれても良いんじゃないか?」


「実際、必要なかったし」


 シュガーミッドナイトはガクリと肩を落としていた。それを見てコロコロと笑うイリスを見て気付く。悔しいが彼らからしてみれば我々を征圧するのは冗談を言い合いながらできる片手間レベルの任務だったということだ。

 頭領というのはそれだけ厄介な存在だ。明確にこの世界でトップに君臨する存在。頭領には頭領をぶつける以外の選択は無い。


 ワールドクエストに世の中が湧き立つ中、アリスだけでなく、この二人の頭領までも呼び出し、動員した者がいる。それが一番の脅威だ。せめて今後のためにそれだけは確かめておかないといけない。


「シュガーミッドナイト、君は友に呼ばれたと言ったな。それは企業連合会の会長セオリーなのかい?」


 私の質問にシュガーミッドナイトは首肯を返したのだった。

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