第42話 逆嶋防衛戦 その23~シュガーミッドナイト~

▼セオリー


「いやぁ、痛いですねぇ。斬られた瞬間もそうですが、再生過程において細胞が再結合していく際も尋常じゃない苦痛がありました。……なるほど、アリス君の精神が実験中に崩壊してしまったのにも納得ですね。これは要改善です!」


 カルマは事も無げに話を続ける。新たな知見が得られたとばかりに無邪気な様子ではしゃいでいる。だが、その中に聞き捨てならない部分があった。


「精神が、崩壊した……?」


「えぇ、そうです。周りの失敗作たちを見て下さい。彼らには自己の意志がありませんね。これは実験の過程で精神が破壊されてしまうからです。いくら身体機能を強化し、特殊な能力を付与してあげても、これでは意味がありません。そうして実験は行き詰まってしまいました」


 カルマは肩を落として落胆したようなポーズをして見せる。しかし、すぐさま顔を上げるとアリスを指差す。


「彼女が来るまでは、ですがね。頭領でもあり、強靭な精神を持つアリス君が協力してくれたおかげで、どこまでを弄って良くて、どこからがいけないのかをより詳しく調べることが出来ましたぁ。そして、ついに私の研究は完成の域に達したのです。即ち私自身の、この身体こそが成功サンプルなんですねぇ!」


 興奮して喋り続けるカルマは恍惚とした表情で自身の頭部を触る。刀で斬られたはずの頭部は完全に再生し、攻撃を受けたという残滓ざんしは皮膚や白衣にこびり付く血痕だけだ。


「完璧ですね。損傷部の再生速度もこれまでの記録を大幅に塗り替えています。これはバイオ工学の大きな一歩と言えるでしょう!」


「……っ、ふざけないでよ!」


 カルマの陶酔したような一人語りを遮ったのは、バイオミュータント忍者と戦い続けるアマミだった。一体のバイオミュータント忍者を蹴り飛ばした後、カルマをキッと睨み付ける。


「アリスさんがアンタみたいな人の研究に手を貸すわけないでしょう!」


 アマミは食って掛かるように語気を強め、カルマを糾弾するように吠えた。

 アリスは逆嶋バイオウェアの頭領ランクの忍者だ。NPCとはいえ同じ組織のトップと言ってよい忍者だ。いち早く彼女のことに気付いたのもアマミだったし、組織内でもそれなりに関りがあったのかもしれない。

 そして、そんなアリスがカルマの操り人形と化している今の状態は腹に据えかねるものがあるのだろう。


「おぉ、怖いですねぇ。ですが、アリス君がどのように研究へと手を貸してくれたのかという過程は関係ありません。今は研究の成功を大いに喜ぶべき場面ですよ?」


 アマミの怒りは伝わらない。カルマは実験の過程で使い潰された人材には興味が無いのだ。その実験の結果で得られたデータだけが、彼の関心を引くものなのだ。

 アマミは肩を震わせて、拳を固く握りしめた。そして、真正面からカルマへ向けて駆けだした。


「おい、不用意に飛び込むな」


 ハイトが背中から声をかけるが、怒り心頭のアマミには届かない。壁になっているバイオミュータント忍者たちを無理やりに突破すると、さらに深く踏み込み、手に持ったクナイをカルマの心臓へ向けて突きだした。

 しかし、そのクナイはカルマを捉えることはなく、逆にアマミの肘から先がずるりとズレた。一瞬の間をおいて腕とクナイが地面に落ち、肘の断面から血が零れ落ち始める。


「そんな猪武者のように突っ込まれては、カウンターしてくださいと言っているようなものですよ」


 俺と対峙していたリデルは目線を俺から離さないまま、当然のように背後のカルマを守り切った。視線を外さずにアマミの腕を斬り飛ばす。その動きは上忍頭と中忍頭の力量の差を表すようだった。そのままリデルは片腕を失ったアマミを蹴り飛ばした。

 それにリデルもカルマによって人体改造を施されているように思える。最初に現れた時の透明化からは忍術とは別のベクトルの力を感じる。後から無理やり付け足された外付けの力といった感覚だ。


「ドクター・カルマ、もうデータの引き上げは完了しましたか? そろそろ、増援が来てしまいますよ」


「そうですか。アリス君の戦闘データをもう少し取りたかった所ですが、仕方ありませんね。アリス君、撤収しますよ」


 カルマが声をかけると、イリスと死闘を繰り広げていたアリスは一転して身を翻し、カルマの傍らまで戻った。その間にカルマは機材に接続されて足元に置かれていたノートパソコンをスーツケースに入れると折り畳む。


「さぁて、それでは今日のところは退散させていただきますねぇ」


 カルマはそういうと、背後の何も無いと思われた壁に触れる。するとカルマの全身を青白く発光するスキャンセンサーが通過していく。


『認証キー:カルマ・D・ヘリックス。承認しました』


 電子音声が聞こえたかと思うと、壁が左右に少しずつ開いていく。


「ドクター・カルマ、失礼しますね」


 開いていく扉を前にして、リデルは一言付け加えた後、カルマを脇に抱えた。このままだと逃げられてしまう。俺はアリスと戦っていたイリスを見る。今、この状況で何とか出来るのはイリスしかいない。


「イリス! ……どうした?!」


 イリスは顔を下に向け、膝をついたまま動かなかった。

 たしかに身体の至る所には切り傷ができており、血も流している。だが、それらの外傷だけなら膝をついて動けなくなるほどではないように思う。それこそ、今までの規格外振りを思えばなおさらだ。


「ごめんね、ちょっと相性が悪かったみたい。アリスって子、反射が固有忍術だと思ったんだけど、どうやら違ったみたいだねー」


 下を向いたままイリスは軽口をいうように喋る。しかし、息を切らした様子を見るにかなり疲労困憊のようだ。

 酸素を求めて短く繰り返す呼吸はそれでも足りていないのか、髪の隙間から見える横顔は青ざめ、指先も青紫色になっている。その様子はまるで酸素が欠乏している状態の時に見られる症状のようだった。


「それでは皆様、さようなら。このデータは有効活用させてもらいますよ!」


 リデルに抱えられたまま、カルマはスーツケースを手でバンバンと叩き、見せつける。逃げ切れると確信した上での余裕だ。実際、『空虚人形エンプティマリオネット』で操る上忍による攻撃はアリスによって片手間で防がれている。そして、仕舞いにはリデルが面倒くさそうに両腕の刃で切り捨てた。


 これで俺の打つ手は無くなった。両腕を無くし、操っていた二人も斬り捨てられた。アマミやコタロー、ハイトはバイオミュータント忍者の群れを引き付け続けてくれている。しかし、頼みの綱であったイリスはアリスの忍術により、行動不能になっている。


 ダメだ、手が足りない。

 完全に扉が開き切り、リデルはカルマを抱えて脱出口へと一歩を踏み出す。殿しんがりはアリスが務めている。俺一人が突貫したところで一蹴されるのがオチだ。

 もう諦めるしかないのか。歯を食いしばり、足元を見つめた。俺は悔しさに打ちひしがれそうになる。






 そんな時だった。不意にズボンの裾を掴まれた感覚に気付き、そちらへ目を向ける。するとそこにはどこから迷い込んだのか七、八歳くらいの少女が俺の顔を覗き込んでいた。


「うで、だいじょうぶー?」


(なぜ、こんなところに年端もいかない女の子がいるんだ?)


 疑問が胸中に渦巻く。しかし、驚きはそれだけで終わらなかった。

 突如、研究所全体を震わすような轟音が響き渡る。ハッとして顔を上げると、リデルたちが通ろうとしていた隠し通路を塞ぐように巨大な片刃斧が振り下ろされていた。すんでのところでリデルたちはバックステップで斧による攻撃を避ける。そして、その斧を振るった人物に目を向けた。

 果たして、そこにも少女がいた。俺のズボンを掴んだ少女と瓜二つの女の子だ。


「あれー、はずしちゃったー」


 間延びした声で首をかしげる少女と振り下ろされた斧の大きさとのサイズ感が非常にアンバランスだ。隠し通路は大人一人が悠々と通れるほどの高さと幅を有している。しかし、その通路を斧の刃部分だけで軽々と覆い隠してしまっているのだ。

 地面に刃先が突き立てられ、柄の部分を握っている少女は鉄棒にぶら下がっているかのようにブラブラと足先を所在なさげに揺らしている。


 リデルは先ほどまでと打って変わって警戒するように間合いを取った。カルマを地面に降ろし、リデルとアリスで挟み込むように彼の前方と後方を守る体勢を取る。


「おねえさん、みたことあるー。えーとぉ、リデルだったっけー?」


 少女は柄を放して地面に降り立つとリデルを指差した。そして、ニコリと微笑むとポケットの中から指先ほどの大きさしかないハンドアックスを取り出した。少女が取り出したハンドアックスは手の中でみるみると大きくなっていく。最終的に両手でハンドアックスを構える頃には、少女が持つには少し大きいかというくらいのしっかりとした重厚感のある大きさになっていた。


「貴方がいるということは彼もいるのでしょう。出てきなさい!」


 リデルは少し焦ったように声を荒げた。

 それに答えるようにして俺たちが地下二階へ降りるために使った通路より男性の声が届く。


「どういう状況かは知らないが、リデルがいるってことは何か悪さをしてるんだろう?」


「シュガー、ミッドナイトッ……!」


 リデルは苦虫を嚙み潰したような顔をして、能天気な声色で介入してきた男の名を呼んだ。そして、その名前は俺にとっても馴染みのある名前だった。

 シュガーミッドナイトと呼ばれた男はリデルから目を離すと近くで立ち尽くす俺を見た。そして、斬り飛ばされた両腕を見てニヤリと笑う。


「ずいぶんと手酷くやられたなー、セオリー」


「こちとらまだ下忍だぞ。生きてるだけ奇跡だろ、シュガー」


 そう、シュガーミッドナイトというプレイヤーネームを俺は知っている。このゲームでは初対面だけれど、同じ高校に通う学友であり、小学校からの腐れ縁かつゲーム仲間でもある親友、佐藤真也だ。

 つまり、こいつは桃源コーポ都市から逆嶋までわざわざ来てくれたってわけだ。関西地方から関東地方にサーバー変更してもらっただけでも悪いが、今回の件でさらに貸しを作ってしまったかもしれない。だが、何はともあれ、このタイミングでの増援はありがたい。


 シュガーミッドナイトの傍には、さらにもう一人、女の子が立っていた。その少女も先の二人と瓜二つの姿をしている。

 三人目の少女は大きく息を吸い込むと肺に貯めてから一気に吐き出した。すると口から暴風のような風が駆け抜けていく。その暴風はバイオミュータント忍者を巻き込み、切り裂いていく。さらに風圧で吹き飛ばした後には壁に打ち付けてめり込ませていった。壁に埋もれたバイオミュータント忍者は指先をかすかに動かすが壁からは出られない様子だ。

 そんな暴風の中、シュガーミッドナイトは悠々と俺の横まで辿り着いた。


「どうやら、美味しいところに駆けつけられたみたいだな」


「いや正直、助かった」


「なら走ってきた甲斐もあるってもんだ」


 そうして二人並び立った俺とシュガーは、カルマたちと再び対峙したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る