第210話 エニシとの邂逅

▼エニシ


 海岸沿いを走る国道、その脇には広々とした歩道があった。歩道は海水浴客に考慮してか、幅にかなりの余裕を持たせた作りになっている。海側には防風林が立ち並び、隙間から少しばかり海が覗けた。


「海、か……」


 かつての武士たちが海の向こうの大陸で怪物へと果敢に挑んだ姿が、目をつむれば鮮明に思い出される。当時は世界の終末が来てしまったと連日騒がれたというのに……。

 過去の俳人が言ったか。夏草やつわものどもが夢の跡。まさにその通り、今やその出来事を覚えている者はほとんどいない。この世界において『知識権限』なる技能を持たない人々は記憶を改竄されてしまうからだ。


 防砂林が途切れた。砂浜への入り口だ。ここを曲がれば海に出ることができる。たまには海でも眺めて無心に返るのも良いか。もしかしたら良い忍具の案でも思い浮かぶかもしれない。そう思い立って砂浜への一歩を踏み出した。



 砂浜に座り込み、手慰みに忍具を創造する。手の中にはクナイが作成されていた。砂浜に転がる流木へと投擲すると、カコンと良い音色を奏でながら突き刺さった。

 特に何も考えず、真っ白な頭で創造する時はクナイが一番だ。人生で最も多く作ってきた忍具だから海を眺めながら上の空であっても作成できる。

 忍具作成はクナイに始まり、クナイに終わるともいう。クナイ一つで忍具職人の腕を測れるっていうほどだ。


「セオリー! あの人じゃない?」


「待てって今行くから」


 背後から声が聞こえる。女の声だ。それに対する返答は男のものだろう。そして、女が声を発する直前から『視線感知』が反応した。ということは用があるのは俺のことだろう。


「面倒くせぇな……」


 俺に用がある奴ってのは大概『神託の名匠オラクル・スミス』を利用したい奴らだ。関わるとロクなことがない。こういう時は三十六計逃げるにしかず、とんずらこくのが一番ってな。

 手の中で忍具作成を行い、大量の小型形代かたしろを作成する。それを空高く放り投げて砂浜に散らばらせた。


「『攪乱術・疑似雑踏』」


 忍術を唱えると砂浜に散った形代が人の姿へと一斉に変化した。突如、がらんとしていた砂浜は百人を超す海水浴客で大賑わいだ。自動で動く人の波は俺の姿をくらませるのに丁度良い。ついでに自分自身も『変装術』で海水浴客と同化しちまえば看破するのは相当難しいだろう。


「えぇっ、急に人がいっぱいになったんだけど!」


「何だこれ、幻術か?」


 へっへ、若造は簡単に騙せて可愛いもんだ。どれ、ちょっくら顔だけでも拝んでオサラバしようかね。

 振り返って男女二人組を視界に入れた。向こうも『視線感知』を持っていると面倒だから視界の端で捉えるようにする。……何だ、ありゃあ蛇か?

 男の方は特にコレと言って言うことは無いが、女の方は気になった。肩の辺りに蛇が浮かんでいる。小さな白い蛇だ。その蛇がしきりに女へ何事か訴えかけていた。へぇ、面白いじゃねぇか。好奇心が勝って二人の近くまで寄ってみる。


『直せ……。我を直せ……』


 近寄ると蛇の声が聞こえてきた。蛇はただひたすらに「直せ」と、まるで怨霊のようにずっと訴えかけていた。だが、女の方はまるで声が聞こえちゃいない。

 小さな白蛇はユニークモンスターの魂だ。それが語り掛けているってことは、この女も『神託の名匠オラクル・スミス』の技能を持っているはずだ。しかし、悲しいかな。まだ卵の殻も割れてないひよっこらしい。

 逡巡の後、俺はため息を吐いた。同じ呪いを背負っちまった者をほったらかしにはできない。パチンと指を鳴らす。さっきまで右往左往していた人混みが再び形代へと戻り、砂浜に舞い落ちた。


「難儀な宿命を背負ったな、娘っ子よ」


 ついで『変装術』も解き、姿を見せる。変装を解いたことでようやく女の方が俺を見て声を上げた。


「あっ、さっきのおじいさん」


「俺はエニシってもんだ。っても、お前さんらは俺を探してたんだろう」


「ば、バレてたか。……でも、俺たちを煙に巻こうとしたのに、どうして姿を現したんだ?」


 男の方が頭を掻きつつ、はにかむ。へっ、年の功を舐めるなってんだ。お前さんらの何倍生きてると思ってんだい。


「まあ、気が変わったってとこよ。して娘っ子、名前は?」


「えっ、私? 私はエイプリルだけど……」


「そうか。それじゃあ、エイプリル、何でもいいから忍具を作って見せろ。お前の一番自信のある物で良い」


「ちょっといきなり何なの?」


「ごたごた言うな、やるのかやらねぇのかどっちかにしろ。ただし、やらねぇんなら俺はオサラバするだけよ」


 すっぱり言い切る。俺が今ここで二人の前に姿を晒したのはエイプリルが『神託の名匠オラクル・スミス』の才能を持っていたからに過ぎない。そうでなければ若造二人に構っている暇なんぞ無い。

 俺の要求を受けて、エイプリルは一緒に来た男へと視線を送った。


「セオリー、どうしよ?」


「まあ、どっちにしろエニシには忍具作成について教えてもらうつもりだった訳だし、ちょうど良いんじゃないか」


「そっか。うん、分かった」


 男の方、セオリーが許可したことでエイプリルもようやくやる気になったようだ。それにしても、初めから俺に忍具作成を教わりに来ようとしていたのか、となると『神託の名匠オラクル・スミス』に関して分かった上で探し出したのか? その割には声は全然聞こえちゃいないようだったが。


「得意な忍具ならなんでも良いのよね」


「おう、好きにしろ」


 エイプリルは簡易工房を砂浜に広げた。それから鉄板や火薬、樹脂などを用意して工房の中へ投下していく。準備が済むと両手をかざして、いよいよ忍具作成が開始される。開始後数分で手投げサイズの爆弾が作成されて出てきた。得意な忍具と言うだけあって手際も良い。


「これでいい?」


「ほーう、爆弾ねぇ」


 エイプリルは爆弾を一つ掴むとこちらへ寄越した。得意の作成忍具が爆弾ってのはなかなかどうして珍しい。一瞥して信管を起動させると砂浜へ放り投げる。数瞬後に爆発した。威力はまずますといったところか。

 俺の一連の行動を二人はギョッとした様子で見てきた。なんだ、その眼は。爆弾なんだから実際に爆発させにゃどんなもんか分からんだろう。


「粗削りだが、よく考えて作られてるな」


「すぐ投げちゃったのに分かるの?」


「おいおい、俺をエニシと知ってて探し出したんだろう? あまり舐めるんじゃねぇよ、作る手際と完成品を一瞥すりゃあ、お前さんが何を考えて、どれくらい練習して作れるようになったか手に取るように分かるってもんだ」


 と、ご高説だけ垂れ流したって信じられないよな。そういう若者を一発で黙らせるにはコレよ。俺は目の前で忍具作成を披露した。掌の上で先ほどエイプリルが作成した爆弾と寸分違わず同じ物を作成した。

 目を丸くするエイプリルへ完成した爆弾を手渡すと、まじまじと観察し始めた。


「凄い……。私が作った物と全く同じだ」


「全く同じなんてできるのか、それも一瞬しか見てなかったのに?」


 エイプリルは感心しているようだが、セオリーは胡散臭げに見ている。そうだろうな、完全に同じ物を作り出したとあれば忍具をコピーする忍術でも使っているのではないかと疑いたくもなるだろう。そういう疑り深さは忍者として大事だ。


「へっへ、疑り深いね。なら見た目そのままで高性能にしてやろうか」


 即座にもう一つ同じ見た目の爆弾を作成してセオリーへと手渡す。


「まず、エイプリルが投げろ。それからセオリー、お前だ。いいか、ウンと遠くまで投げろよ」


 二人は半信半疑といった様子ながら俺の指示を受けて首を縦に振った。最初にエイプリルが投げる。爆弾は当然、さっきエイプリルが作成した物と同じ規模で爆発した。爆風の範囲は半径五メートルくらいだろう。砂浜に円形の穴ができた。

 次にセオリーが爆弾を投げる。遠投をする時のように振りかぶって思い切り投げた。よしよし、良いフォームだ。百メートルくらいは投げてもらわんと危なくてかなわんからな。そんな風に思っていたが、セオリーの投擲した爆弾はわずか数メートルほど飛ぶと勢いを無くして、ポトリと落ちた。


「……ハァ?」


 ギャグでやってるのか。

 そうだとしたらとんでもない阿呆だ。死にたいのか?


「ダメだ、やっぱり俺の筋力じゃ全然飛ばねぇー」


「おい、馬鹿が死にたいのか?!」


 慌てて対爆シートを作成すると目の前に広げた。こんな急ごしらえの忍具で防げるか怪しいが背に腹は代えられない。あー、クソこんなことならもうちょっと手を抜いて作れば良かった。

 直後、耳をつんざく轟音と爆風、熱波が辺り一面を包み込んだのだった。






********************


ゴールデンウィークは色々と用事が重なり全然更新できませんでした。

もうちょっとギアを上げたいところ。


さて、作中では第五十二話で触れたエニシとついに出会えました。

そろそろ第五章も〆にかかります。

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