第56話 暗黒アンダー都市

▼セオリー


 前回までのあらすじ。

 俺は高校生忍者、淵見ふちみ 瀬織せおり。幼馴染で腐れ縁の佐藤真也と桃源コーポ都市へ遊びに行って、そこでヤクザクランが気弱な男を脅す現場を目撃した。

 恫喝現場を後にするヤクザクランの構成員たちを追いかけるのに夢中になっていた俺は、マップが迷宮と化していることに気付かなかった。


 我に返って拠点を探そうと大通りに戻ろうとしたら、……迷子になっていた!


 淵見 瀬織が迷子になっているとエイプリルとシュガーにバレたら、きっと飛んだ笑い者になってしまう。

 後退の道を断たれ、先へ進むことにした俺は忍者としての名前「セオリー」を引っ提げ、ヤクザクランの情報を掴むために地下へ広がる謎の街へと転がり込んだ。


 たった一つの汚名まいごを隠す見た目は忍者、頭脳は高校生、その名は不殺の支配者セオリー!






 ティロリン。

 小気味良い音が鳴るとともに、視界の端に『実績・隠し街』というものが解放された。この実績というものはゲーム内で設定された特定の行動をしたり、特別な場所へ到達したりすると表示されるものだ。

 基本的に俺は実績を解放したことを教えてくれる通知機能に関してはオフにしている。しかし、その通知がわざわざ鳴ったということは、この実績は隠し実績にカテゴライズされるということだ。

 隠し実績とは、その実績を達成する方法が秘密にされており、どのような行動を取ったら解放されるのかが分からないものを言う。プレイヤーの中にはそういった隠し実績を見つけることに心血を注ぐ者もいるらしい。ちなみに、俺はそれほどでもない。むしろ、せっかくVRゲームの世界に没入しているというのに、この通知のせいで無理やり現実に引き戻される感覚がして好きではない方だ。


 それはさておき、隠し実績の通知があったということは、この『暗黒アンダー都市』は特殊な場所ということだ。名前の通り、陽の光は差し込まず、一定間隔で道路脇に置かれたランタンと建物から漏れ出る電灯の明かりだけがわずかな光源だ。地上の建物が鉄筋コンクリートの高層ビルばかりだったのに比べて、こちらは木造と鉄筋がごちゃ混ぜに合わさった建物が多い。しかも、違法建築を繰り返したかのように、家の上に更に家が建っているような建造物が多く見られる。


 たしか高校の授業で習った昔の写真で似たものを見たことがある。かつて現実世界にあったスラム街、九龍城砦だ。もう五十年以上昔に取り壊されてしまった街だが、その雑多な見た目と絶妙なバランスの上で成り立つ景観に思わず心を奪われてしまった記憶がある。

 実在した場所がモデルになっているのなら、この町全体がスラム街である可能性が高い。そして、追っていたヤクザクランの構成員たちの根城もここなのだろう。



 街の中を歩いていて、気付いたことがある。それは人々が例外なく顔を隠している点だ。フードやマスクなど隠す面積に大小の差はあるけれど、誰一人として素顔は晒そうとしない。逆に、俺のように顔を晒している者を見ると、腫れ物に触るようにそそくさと去っていくものばかりだ。

 しばらく進むと、露天商を見つけた。商品を見つつ、情報収集を開始する。


「やあ、何か良いものはあるか?」


「まぁ、ぼちぼちってところかね」


 フードに隠れて表情は読めないけれど、しわがれた声から男性の老人だろうと思われた。老人は顔を上げて俺を見る。途端に目を大きく見開いた。


「アンタ、余所者だね。こんなところに何しに来たんだい」


「見ただけで分かるのか」


「そりゃあ、アンタは顔を隠してないだろう。そっちの嬢ちゃんの方がよっぽどこの街の住人らしいよ」


 老人は俺が連れているカナエを指差してそう言った。やはり、この街では誰しもが顔を隠して生きているようだ。そして、顔を隠していないとすぐに余所者だとバレてしまう。通りがかった連中の反応を見るに、それはあまり好ましい状況ではないのだろう。とは言っても、風呂敷はカナエに装着させた一枚しか持っていないから、どちらにしろ顔を隠すのは無理なんだけどな。


「なら、この街に溶け込めるような顔を隠せるアイテムとか売ってないか?」


「そうだねぇ、何かあったかな……。おお、そうだ。ちょうど今日入荷したものがあるよ。これなんかどうだい?」


 老人は露店に並べていた商品とは別に、脇に置いていた大きなリュックをガサゴソと探ると一つの仮面を取り出して見せた。俺はその仮面を受け取ると、しげしげと眺める。

 それは顔の左半分を覆い隠す三日月のような形をしていた。目の部分にはまぶたのない剝き出しの眼球が三つ取り付けられている。面全体の色は下地が黒で所々が罅割れ、隙間から緑色の光が漏れ出ていた。ハッキリ言って、グロテスクな仮面だ。


「こんなグロテスクなもん被ってたら余計に注目されるんじゃないか……」


「そうかね? しかし、支配者フィクサーの君には似合うと思うんだがねぇ」


 老人のポツリと漏らした言葉に、ハッとして顔を上げる。いつの間にか老人が俺の顔を下から覗き込むようにして見つめていた。


「なんで称号のこと知ってるんだ?」


 いま確かにこの老人は俺を指して『支配者フィクサー』と口にした。

 俺が質問をすると、老人の目が細くなった。口元は隠れているけれど、目の感じから笑っているのが感じ取れる。


 しかし、俺がさらに追及しようとしたところで、急に老人の顔から表情が抜け落ちた。無表情というか、意識の無い人形のようというのか。……そうだ、『支配術・空虚人形エンプティマリオネット』を掛けた人の顔がちょうどこんな風に無の表情をしていた。

 俺が状況を整理している内に、老人の目に再び生気が戻っていった。そして、何事もなかったかのように俺へ仮面を勧めてくる。


「どうかね、その仮面は? 今ならお安くしとくぞい」


「それよりも、俺の称号のことなんで知ってたんだ?」


「……しょうごう? 何を言っとるんだね」


 老人は寝耳に水かのようにオウム返しで聞き返してきた。その反応は、しらばっくれているようにはとても見えなかった。だが、そうだとしたら今の一瞬だけ、俺と話していた老人は何だったんだ?


 俺は胸に突っかかりを覚えつつも結局は顔を隠すものが必要になるという即物的な理由からオススメされた仮面を購入した。俺は購入した仮面を手に持って見下ろす。剥き出しの眼球が三つ、俺を見つめ返してくる。

 装備品としてのデータを見ると名称は「支配者の仮面」と言うらしい。だからと言って特別な力が付与されているわけでもない。何の変哲もない仮面だった。装着してからカナエに見てもらう。


「どうかな、似合う?」


「お兄ちゃん、こわいよ……」


 三つの目玉でギョロリと見つめてあげると、それこそ斧を振りかざしてきそうなほど怖がっている。どうやらカナエからは不評なようだ。たぶん、エイプリルからも「目が多くて気持ち悪い」って苦言を呈されるだろうな。

 そんなわけですこぶる不評な仮面を買ってしまったけれど、気を取り直してカナエとともに情報収集を再開した。






 暗黒アンダー都市は地下に広がる世界だ。人々は暗闇に紛れて行き交っている。誰も彼もが目深なフードやマスクなどで顔を隠し、互いに干渉しあうのを出来る限り避けるようにしてひしめきうごめいている。こんな中では全ての人が怪しく見えてしまう。とてもじゃないけどヤクザクランの構成員を見つけるなんてできそうにない。

 当てもなく歩き続けた結果、街の中心辺りと思われる広場に辿り着いた。空間的に開けた広場には露天商が立ち並び、客の人間でごった返していた。ちょっとしたフリーマーケットのようだ。しかし、そんな広場の一角に一ヶ所だけポッカリと人混みが避けるようにしている空間があった。そこでは二つの陣営が言い争いをしている。


「てめぇら、誰の許可取ってココで営業してんだ!」


「ここは共有地でしょう。誰に許可を取る必要があるんですか? 我々がどこで商売をしようと勝手でしょう」


「なんだと、コラァ!」


 いかにもヤクザクランですといった粗暴な様子で声を荒げる一団と、それに相対しているがどこか涼し気な様子でのらりくらりと返す一団。今にも一触即発といった状況だけれど、周囲には野次馬根性の旺盛な人々が遠巻きに眺めている。

 俺はその内の一人に近付いて尋ねた。


「あれってどういう揉め事なんだ?」


「はは、いつもの小競り合いさ。昔からここを取り仕切ってる城山組と、最近頭角を現してきた新進気鋭の蔵馬組って言やあ、いっつもこの調子だよ」


「組ってことはどっちもヤクザクランなのか」


「おや、兄ちゃんここ来たのは初めてかい。暗黒アンダー都市は甲刃連合のシマだよ。あの二つも連合の下部組織さ」


「へぇ、甲刃連合か」


 今まで話の流れで色々な組織の名前を聞いてきたが、甲刃連合は直接の関わりが無い中で一番多く耳にしたことがある組織だ。おそらく、地上の桃源コーポ都市にも一定の影響力は持っているだろう。

 俺は情報収集も兼ねて、教えてもらった城山組と蔵馬組の小競り合いを眺めることにしたのだった。

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