学びの王道2

●学びの王道2


「赦太郎殿。面白い事をやっちゅーね」

 声は品良くお年を召したご婦人だ。


登茂恵ともえ殿。向こう隣の岡上のお婆様ぜよ。お仁王様のお姑さまや」

 龍馬殿の説明にわしは、

御親兵ごしんぺい差配の登茂恵と申します。乙女殿には大変お世話になりました」

 と挨拶をする。

「典医・岡上樹庵おかのうえじゅあんの母や。

 こちらこそ、嫁が禄を受けるお口添えを頂き、御礼おんれい申し上げる」



 予備隊士の禄は三両一人扶持。大樹公家に於ける俸禄としては、足軽の下の中間ちゅうげん相当と言う最低賃金であるが、所定の訓練を科す以外に制約が無いし、訓練に使う各種物資は別会計で渡される。

 つまり岡上家からすれば、嫁の時間を多少訓練に取られる以外、制約の無い年三両の増収と言う事になる。

 大樹公家の規定で一人扶持は一ヶ月一斗五升の玄米であるから、嫁が訓練で抜ける分を嫁個人の家来として奉公人を雇って十分に賄う事が出来るのだ。

 この見た目のせいか、流石にわしが禄を支払う雇い主であるとは気が付いて居らぬ様ではあるが。嫁の上役としての敬意は払ってくれているようだ。



 わしらが挨拶を交わしていると、

「ばんば! ばんば!」

 と姑殿の袖を引く赦太郎しゃたろう殿の姿。

「ばんば! せーたげる」

 婆ちゃん教えてあげる。と回らぬ舌で得意げに言う。


「ごっくりポーン! あーせてポン!」

 拙いながらも、両手で五作りじゃんけんをし、

「ひいふぅみぃ。こっち勝ちぃ!」

 幾種類かをやって見せて説明する。もう、ルールを完全に理解しているようだ。

「ばんば。しょー」

 可愛い孫の事である付き合うのは吝かではないが、どう言う遊びであるのだろうと、首を傾げる姑殿に、

「算術の稽古なのじゃ。算盤を習う前に遣っておくと上達が早いそうじゃ」

 と生殿の説明が入る。

「これが稽古? 遊びじゃないか?」

 と問い返す姑殿。

 前世の平成の代でもそうだったが、苦労しなければ身に付かぬ等と考える者は少なくなかった。

 やれやれと思いつつ、意見しようと口を開くその寸前。

「赦太郎のおばば様。これはわらわの師匠の言葉なのじゃが……」

 生殿が先に口を挟んだ。

――――

 のうをつかんとする者は、すべからく修行稽古を楽しむべし。

 されば身をく夏の陽も、やいば身を切る冬風ふゆかぜも、飢えも渇きもものかはとす。


 古人曰く艱難汝を玉にすと。

 しかすがに、難にしあれば功有りと、思う事こそさわりなれ。

 学びの王道ひと問わば、好むこと、楽しむことにかずと言えり。

 好むは不羈ふき元種もとだねなれば。


(現代語訳)

 何かを身に付けようとする者は、当然修行稽古を楽しむべきであろう。

 そうすれば夏の暑い陽射しも、寒い冬の風も、飢える事も渇く事も物の数ではない。


 昔の人は、多くの苦しみや困難を経て初めて立派な人間に成ると言った。

 そうは言うものの、苦しいから修行に為っていると考える事こそが、勉強の障害であるのだ。

 物事を学ぶ近道は何かと聞かれたら、それを好きになり楽しむに越したことはないと言えるだろう。

 好きになると言う事は並外れた者になる、大元の種であるのだから

――――


「妾も算術の師匠に、学問は好きになれば半ば成ると言われているのじゃ。

 半日書を読んだと致そう。好きでやらば疾く過ぎて、もう止めよと言われても物足りないのじゃ。

 されど嫌々ならば直ぐに飽き、読んでもちっとも頭に入らず。結局は、何もせぬ方がましな話となる。

 赦太郎はまだ三つじゃ。ここで学問をきろうては、一生の不作と成りかねぬ。

 いては、岡上のお家の浮沈にも繋がる故、学びを楽しむことを咎めては為らぬのじゃ」


 知らぬものが見れば、精々子守が出来れば御の字と思う歳の生殿の言葉に。姑殿は考え込む。

「楽しんで、物になるろうか?」

 すると生殿は元気良く。

「算術を楽しんで居ったら、妾は御親兵ごしんぺいの少尉に成った。

 これでも妾は、火砲ほづつを撃ち出す砲兵のかしらなのじゃ」

 言って、どや顔を極めた。


 あっけにとられる姑殿。それを見て、お春も乙女殿もわしに向かって目配せをした。

 これならば行ける。そう判断したわしは、心のさいを振り下ろす。

「ちょうど良い頃合いにございます。ここに岡上のおばば様がいらっしゃるのは好都合。

 準備は宜しいですか?」

「へい。全て整うてますで」

 こうしてわしは、今回の為に用意しておいた止めの一手を用いる命令を下したのである。

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