破軍神社

●破軍神社


 春風はるかぜ殿が通う剣術道場は、ご府中は九段坂にある練兵館。しかしそこは女の身で入門は敵わぬと言う事。

 仕方なく、ご府中近辺に善き場所は無いかと物色していた所、三件目にして女の師範代が居る道場が見つかった。


 妙見みょうけんさん、つまり北斗七星を奉る破軍はぐん神社と言うびた神社の境内でやっている、神道破軍流なる剣術を教えている。

 門弟は二割が大人で八割が子供。大人は町人と思われる者ばかりで侍は居ない。子供の中には武士の子もいるが、下は数えの七つから上は数えの十三くらい。元服前や奉公に出る前の年頃だった。



「頼もう!」


 と訪ね来て軽く手合わせをした後、普段子供相手をしているためか妙に愛想のよい師範代が、


「お疲れでしょう。小腹も空いたと思います。どうぞこちらでお休み下さい」


 と勧めるので、好意に甘えて奥へ案内される。

 途中、廊下がきゅっきゅと鳴いた。


「鴬張りですか」


 貧乏道場と侮ってはいたが、防犯装置付きとは存外に由緒ある道場なのかもしれない。


「……あ、あはははは。判ります?」


 今まで判る者が居なかったのだろう。案内する道場主の娘摩耶まやが苦笑い。


「どうぞこちらへ」


 通されたのは奥座敷。襖を開けて入ろうとすると、


「ん? 動きませんね」


「あ、襖は左右を開けて下さい」


「ああ。なるほど。治に於いて乱を忘れずでございますか。

 襖は真ん中を開けるものにございます。それを釘付けして動かぬようにして、賊を嵌めるのでございますね。

 単純なれど、知らねば厄介な仕掛けにございますね」


 いやはや恐れ入った。


「あはははは」


 手の内を読まれて苦笑いするしか無い摩耶殿に、わしは感服する。


「兎角、兵法者はあらぬ恨みを買い易きもの。常人には臆病に見えるくらいが真の達人にございます」


「え……あ、はい。そうおっしゃる方は初めてでございます」



 畳部屋なので跪坐に腰を下ろすと間も無く、


「お師匠さん。これで良いですか」


 数えでざっと七つ八つ。わしより幼い男の子が、盆にマグロの赤身の寿司とお茶を載せて現れた。

 寿司は至極大振りの握りで、二貫で平成のコンビニおにぎり程も飯がある。わしの口では一口で食べれる限界だ。


「頂きます」


 と手を合わせ寿司を抓む。

 お茶は出涸らしの番茶。正直渋みが強くて旨く無い。だがそれはお茶単体で見た場合の話。寿司と合わすと絶妙の引き立て役となり、わしの舌を研ぎ澄ませる。ネタの旨味やシャリの甘味。ツンと鋭いわさびの香りを際立たせてくれるのだ。



「お上品ですね」


 摩耶殿が言った。


「そうでございますか?」


「うちの門弟達は、皆お下地したじを大量に付けます」


「身体を使ったお仕事をされているのでしょう。誰でも汗を掻けば、塩辛い物を欲しがるものにございます」


 あれ? なんだか摩耶殿が引き攣った顔をしている。



「ご馳走様でした」


 立とうとすると摩耶殿は、


「い、いい、今。茶菓をお持ちします。

 食べて直ぐ動いては身体の障りになります故、しばし食休みを」


 聞けばお手製の菓子との事。京の事ならばいざ知らず。ご府中は大樹公家のお膝元。あまり言葉を飾らぬ土地故、心の岩根よりわしに食べさせたいと思っているのだろう。

 昭和の時代も平成の時代でも、料理上手の女が勧める物を断ってしまうのは角が立った。


 ならぱと座り直し待っていると、菓子は蒸かした甘藷かんしょを練り固めた羊羹。

 焼き塩を一つまみ掛けて口に運ぶと、ほのかに野薔薇の花の香と上品な甘さが広がる。



「お持て成し、痛み入ります」


 心づくしのお持て成しに感謝の意を述べた時だった。


「おーい。摩耶っちはどこだ。ん? なんだこりゃ! 開かねえじゃないか」


 どんと襖を足蹴にすると、まるでドリフのコントのようにバタリとこちらに倒れて来た。

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