第一章 府中の道場

求道のススメ

●求道のススメ


 飯田町より富士見の町へ長々と続く坂道を、右に石垣と長屋塀の武家屋敷、左に大樹公の坐す城のお堀を臨み、鮮やかな葉桜の坂の上。かえりみすれば海が見える。



「ここは桜の名所でありますが、実は月の名所でもあります。


 そこの千鳥が淵と牛が淵。二つのお掘の狭間の道を行けば千代田のお城の田安門に至ります。

 右手の長屋塀が九段に連なる坂であるゆえ、当地を指して九段と呼びます」

 お上りさんのわしに得意げに教えるのは春風はるかぜ殿。


 そう。わしの知っているのは後の街並み。

 大震災と大空襲。二度も烏有うゆうに帰した後、オリンピックで様変わりしたのでな。



「そしてここが、僕らが学ぶ練兵館であります」


 丁度、前世で靖国のある場所に、春風殿がお世話になっている道場があった。

 しかし春風殿や春輔しゅんすけ殿の太鼓判にも関わらず、


「身体の出来て居ない子供に、ここの暮らしは無理でしょう。失礼ですがそのお歳では、眠りを欠いてはいけません」


 数え十の子供では身体を壊してしまうと断られた。



 練兵館の日常は、文武の道に邁進するを専らとする。

 あけ七つ半(午前五時)に起床して五つ半(午前九時)まで漢籍の素読。

 その後正午までは剣術の稽古。昼から就寝時間のよい五つ半(午後九時)までは出稽古と学問。

 電気が無い為、平成の部活中学生より三時間ほど睡眠時間は多い。しかし今は日が沈んだら寝てしまうのが当たり前の時代である。当に日に夜を継ぐ剣術漬け学問漬けの毎日だ。



「正直弱りましたな。住まいは江戸屋敷になると思いますが、剣術は他を当たった方が宜しいでしょう」


 春輔殿の周旋でも、無理なことは無理らしい。


「ならば、適当に見繕います」


 翌日より、道場探しが始まった。



「かっかっかっ」


 この高笑いするスターウォーズのヨーダを思い起こさせる風貌の男は、江家こうけの領地である周防の者と言う。


「拙者は善譲ぜんじょう法師の不肖の弟子にて、願航がんこうと申す生臭坊主である」


 世に自ら愚禿ぐとくと言う僧侶は多いが、


「自分で生臭坊主と仰るお坊様は初めて見ました」


「かっかっかっ。末法の世と言われはや、七百年。無残ならざる者など一人もおらんのである。

 拙者とて不犯ふぼんの戒は守れども五葷ごくんを厭わず、斗酒なお辞せず。故に生臭を称すは誤りであるか?」


「そんなことを仰って宜しいのですか?」


「考えても見よ。凡夫ぼんぷひじりも押し並べて、所詮人は糞袋くそぶくろ

 口より入れば厠より出ずる。ただそれだけに過ぎぬのである。

 寧ろ、身の内に生じ口より出ずる物を戒めるべきではなかろうか?」


 その言い様に、


「くすっ」


 わしは笑った。



「なぁに。人に迷惑の掛かるでなし、これがまことのの拙者なのである。

 鎌倉の世のひじり明恵みょうえ上人のたまわく。


 人はあるべきようはの七文字をたもつべきものなり。

 僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきよう。

 くんは君のあるべきよう、臣は臣のあるべきようなり。


 故に拙者は、拙者のあるべきように背かぬのである」



 これも時代の成すことか? 天下泰平はい事なれど、時に世をよどませもする。

 面白きことも無き世を面白く。そんなはっちゃけた男が生まれるのも時代と言う土壌の賜物なのだろう。

 こ奴も中々に面白きおとこだ。



 願航殿は、わしの身体に合わせた剣術道具一式を見繕ってこう言った。


「馬には乗ってみよ人には添うてみよ。と言うのである。姫に相応しき師を探すのならば、先ずは諸所を巡って剣を交えてみるが宜しかろう。他にこれはと言う所が無ければ、お引き受け致すのである」

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