忍び寄る魔の手8

●忍び寄る魔の手8


 町方が御親兵ごしんぺい隊士を|痛め吟味に掛けていた件について、宣振まさのぶを使って先に連絡した三か所に追送。

 これについてご重役方は蜂の巣を突いた騒ぎになって居る模様。


 何せ、町方が御家人と同等の者を勝手に捕縛しただけでも問題なのである。

 まして捕縛されたものが、大樹公たいじゅこう様からだけでは無く、襲撃を受けた彦根中将様その人から感状を頂いた賊徒撃退の功労者。

 それを有ろうことか、言い掛かりを付けて賊の一味の者として捕らまえたのである。

 あまつさえ、拷問の現場が目撃されたのだ。


 今頃は、だれが許可を下したか。と言う犯人探しに成っていることであろう。なぜならば、拷問するは彼らご重役の採決が必要であるからである。

 彦根中将様を抜かせば渦中のご重役は四人。先任順に並べると、

――――

 天久てんきゅう五年 八月 越後村上むらかみ領主 内藤紀伊守きいのかみ

 文長ぶんちょう三年 七月 播磨はりま竜野たつの領主 脇坂中務大輔なかつかさのたいふ

 文長四年 五月 三河西尾にしお領主 松平和泉守いずみのかみ

 文長六年十二月 陸奥磐城平いわきたいら領主 安藤対馬守つしまのかみ


(注:天久七年の十一月二十七日より文長元年)

――――

 少なくとも一人は責めを負わされることになるだろう。それが如何なるお沙汰なのかまでは判らない。

 しかしわしが、見た目の若返りを実現する新しき白粉おしろいの中心人物に据えたお伊能殿に対する見込み捜査と拷問である。大奥一堂が渇望する品がおじゃんになりかねないとあっては、関係者の厳罰を望む声が確実に起きる。


 てて加えて、彦根とて捨て置けぬ一大事。殿様をお守りする為負傷した女が、賊の一味扱いで謀殺される恐れがあったとなれば、事の顛末をたださぬ訳には参るまい。そして断固として、ご重役の許しなく拷問が行なわれたか否かを問い詰めるであろう。

 なぜならば、許可なく拷問を行ったと言う事は、お伊能殿を狙って拷問死させ、病死や自殺したと届けた可能性が高い。つまりそれは、町方の中に彦根中将のお命を狙う敵がいる。と言う話になるからだ。


 現在わしが知る限りでは、大樹公様や大奥や彦根の町方に対する疑念は強い。

 何せ、捕縛される前に大樹公様がお与えになられた感状かんじょうが、お伊能殿の功績を公式の物としているのだから。



「人間。あまりえろう成るものやないなぁ」

 しんみりと宣振が言った。

 身分が低ければ苦労するが、上には上なりの苦労がある。


「そうどすなぁ。政務がせわしなけったら、よう見んといてご加判かはんに及ぶものもございまひょ」

 人の好いお春なんぞは気の毒がるが、

「一遍それで懲りたらええ。上の者は、下を数や文字としてしか見ちょらんことが多いきなぁ」

 と、郷士生まれの宣振は醒めたもの。


 大名の家老と言うどちらかと言うと上の立場の家に生まれた奈津なつ殿は、

「ま、それで下手をしたら切腹と言うのも酷だけれどね」

 と、お伊能いの殿への仕打ちを見ても少しばかりの同情が残っている。


「はぁー。お偉りゃーさんは大変てゃーへんだ。

 良くて骸骨ぎゃーこつを乞わされるし、拙きゃあ文字通り詰め腹を切らされるかもしれにゃーとはな」

 軽くて辞任、悪ければ切腹させられるかもと、次郎長じろちょう殿が口にした。

 彼は、助っ人をすると子分を引き連れて破軍神社に遣って来たのだ。


 そんな同情気味の声もある一方で、

登茂恵ともえ様。上様のお墨付きがあるのです。銃剣の錆びにしてしまうか、少なくともお伊能殿がされたように服を剥いで、鉄条網で二重菱に縛って吊るしてやればよかったのです」

 あき殿のように、目には目をで仇を討ちたい者や、

「捕縛の現場に居合わせておれば、捕り手を決して五体満足では帰さなんだ」

 と憤る軍次ぐんじ殿を始めとする武闘派が居たり、

「あれを使いたかったのじゃ……」

 物騒にも「折角せっかく新兵器を試す機会だったのに」と残念がるふゆ殿がいる。


 わしの煽りも半分あるが、うちの連中は血の気が多い。

 果ては町方相手に一合戦遣ると言う瓦版が出回って彦根屋敷から「ご加勢する」と赤備えが遣って来たり、御前出入りの喧嘩相手・祐天ゆうてん殿が大八車で大量の米や味噌を運んで来た時は、一同苦笑いをしたものだ。

 こうした騒ぎに、大家の摩耶まや殿は真っ青になり、可哀想に、

「はぅあ~! あわわわわわわわわっ!」

 と意味不明な奇声を上げて涅槃ねはんに入り掛けた。



「ところで姫さん。羽で書いちゅーのはなんや」

 宣振がわしの手元を覗き込んだ。

「これですか? 巨勢の秘術にございます」

 母を巨勢の女とした事は良い隠れ蓑。紫染や橙染、そして猿播さるはの秘薬の実例があるから試みては貰えるだろう。


 わしはにやりと不敵に笑った。

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