第六章 無尽の法

空中元素固定装置

●空中元素固定装置


 今わしが記しているのは、前世に於いて史上初めて、化学的に空気中の窒素を固定する為に開発された技術である。日清戦争の最中に開発されたこの方法を、後世の人は石灰窒素法と呼ぶ。

 無論、ハーバーボッシュ法の方が遥かに効率が良いのであるが、ネックが二百から三百五十気圧の環境が必要と言う事だ。現時点でこの八島にそんな技術は存在しない。


「ほう。そがなんが……。石炭いわき石灰いしばいから……ふんふん……なるほど。

 姫さんこれは面白いのう」

 宣振まさのぶが感心している。


 石灰と言う物質は、この八島やしまの至る所で豊富に採れる鉱物資源。これが計画の肝だ。

 工業化に不可欠な石炭も、八島にはそこそこに存在する。そして現在八島は反射炉を造れているから、千度の高熱を作り出す技術は存在する。


 ごく簡単にその過程を説明すると、

――――

 1.石炭と石灰で炭化カルシウムすなわちカーバイトを製造。

   カーバイトと水を反応させれば簡単にアセチレンガスを生み出せる。

   アセチレンがあれば、容易たやすく雷管に使う雷酸水銀らいさんすいぎん相当の物が創れるのは、

   昭和・平成の高等学校の化学で教える所である。


 2.炭化カルシウムの粉体に、摂氏千度環境下で酸素を除去した空気を送り込み、

   石灰窒素を製造。これにて空中の窒素が固定される。

   但し、この石灰窒素は猛毒なのでこれから身を護る手段を講じねばならない。

   とは言えこの毒性が、雑草を枯らす農薬として実に有効なのである。

   しかも都合の良いことにこいつは十日程で自然分解してしまう。

   つまり農薬の土壌残留は気にしなくて良いのだ。否それどころか、分解されて

   農薬としての役目を終えた後は、元肥として機能すると言うおまけ付きである。


 3.石灰窒素に過熱蒸気を反応させアンモニアを製造。

   ここまで進めば硝酸を得るのは簡単である。


 斯くして、空気から無尽蔵に火薬や農薬や化学肥料が作れるのだ。

――――

 わしが書いている内容は、これらを装置を使って連綿と生み出す構想が描かれている。


「こりゃ凄い。外国とつくにから硝石を仕入れのうとも、八島だけで火薬が作れるようになるのか」

 宣振は目をみはる。

「やけんど姫さん。これを姫さんの名で出すがは、色々拙いのう」

 そう言われたわしは、ついまた悪戯心を起こした。


「空中元素を固定するのだから、あれしかございません」

 嬉々として記したこの書の著者の名は「如月きさらぎ みつ」。

 これも敢えて女性の名前にした。


 名前は前世のわしの孫達が好んだ、土曜の七時半から変身物が九十分続く時間帯。その最後に鎮座するマンガ映画で、エペを振るって戦う七つの顔を持つ女主人公からだ。


 さて。どこから資金を抜き出そう。

 アンモニアの使い道として、大奥相手の化粧品の材料としてはブリーチ剤あたりしか思いつかぬからな。

 脱色したりパーマネントを行うのは、時代の空気が許さぬだろうし。

 そうだ。あれと抱き合わせするのが早そうだ。


 思案していると、

「姫様、宜しおすか?」

 お春がわしを呼びに来た。


「どう致しましたか?」

「へい。鍛冶かじ屋の仁吉にきちはんが……」

「門ですか? 直ぐ行くと伝えなさい」

「へい」



 門に近付くと、表から瓦版売りの声が聞えた。


 ご重役の松平和泉守いずみのかみ様が、突然のご退任。一昨年の半ばくらいに今の座に就かれたばかりなので、面白おかしく瓦版屋が事の顛末の噂を流している。


 なるほど。お伊能いの殿捕縛と拷問の責めを負わされたのか。

 何せ、大樹公様からも大奥からも、事件の被害者である彦根中将様からも抗議や譴責けんせきの声が届いていると聞いていたからな。辞任程度は致し方あるまい。



 それはそうとして。

「仁吉。どうなりましたか?」

 わしは鍛冶屋の仁吉に首尾を問うた。


 仁吉はよわい六十を過ぎた鍛冶職人で、関東一円の鍛冶を束ねる大師匠である。

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