忍び寄る魔の手7

●忍び寄る魔の手7


 わしは宣振まさのぶを表に残し、合流した御親兵ごしんぺいの女衆を引き連れてずかずかと牢屋敷の西にある表門を潜り進んで行く。

 入って直ぐ見える穿鑿所せんさくじょ。つまりお白州の横を通り、武士の切腹場所までまっしぐら。

 道なりに左に曲がって折り返し、旗本・僧侶・神官・医師を収監する奥揚屋あがりやを左に直進する。

 目指すは突き当りの拷問蔵。


「工兵!」

「はっ!」

 掛矢かけや詰まり巨大な木製ハンマーを叩きつける。二度三度と繰り返し、遂に入口が開いた。


「慮外者! ここを何と心得る!」

 出て来る役人に突き付けられる銃剣。

「慮外者はどちらじゃ!」

 予想通り、町方はお伊能いの殿を一味、あるいは一味の情婦と見て捕らえ、痛め吟味ぎんみ即ち拷問に及んでいた。

 お伊能殿はあられもない姿にされて、背に重しを乗せた海老反りに釣げられていた。

「やはりな……」

 男衆を連れて来なかったのはこのためだ。


「助けよ!」

「はっ!」

 兵が縄を切って受け止める。そして用意の布を掛けて持参した担架の上に寝かした。

 お伊能殿はぐったりとしていたが、

「弱っておりますが、命に別状はありません」

 脈を取った衛生兵が報告。


 わしは着剣した銃口を向けられ、忌々しくこちらを睨む役人達に向かい、

こう。誰の許しを得て、痛め吟味に及んだ。

 言え! ご重役の許し無く、痛め吟味が行なわれるはずもない。

 よもや勝手に致した訳ではあるまいな」

「ちゃんとお許しは降りておるわ。わっぱ、このような事をして唯で済むと思っておるのか!」

 偉丈にも怒鳴り返す同心。

「そうですか。許可を出したご重役には、後でその責めを問いましょう」

 静かに言い返したわしは重ねて訊く。

「何故、伊能を捕らまえました? そし何故、痛め吟味ら至ったのですか?」

 すると同心はふんと鼻で笑い、

「こ奴の家に一味の者が出入りしておった。そして、一味のかしら関鉄之介せきてつのすけが馴染みの客であることは調べがついている」

 鬼の首でも取ったように自慢する。


「はぁ? 滝本たきもと時代の馴染みなど、一体何人居ると思うておるのでございまするか?

 貴方様は御役目一筋の一刻いっこく者(頑固で自分を曲げない人)と見ました」

 御役目熱心なあまり世間を良く知らないようだと、逃げ道を用意し、

「それで伊能がなにか知って居るとでも仰せになりますか?」

 と確認を取った。すると、

「馴染みである以上、何か知って居らぬ筈が無い!」

 脳筋の個人競技の体育会系に良くある短絡だ。


「ほぅ。知って居らぬ筈が無い? まことに異なことを仰せにございまするな。

 いやしくも武士ならば家人かじんに秘密を漏らさぬのが尋常。

 浪士も一日前には水府すいふご家中でありました。よもや御三家が一つ、水府の侍をくたしまするのか?」

「何を……」

 言い掛ける言葉を遮ってわしは決め付ける。

「人は己を鏡に他人を見ると申します。

 なるほど、皆様方は妻子にぺらぺらとお役目の大事を漏らしてらっしゃる。

 斯様かようなな不首尾を、声高に白状なさるのでございますね。

 御親兵差配・大江登茂恵おおえのともえ。確かに承りました。

 この事も合わせ、ご報告申し上げます」

 こういう時、日本語とは便利な物だ。主語を省略しても意味が通じる。

 尤も報告する相手は、彼が考えているだけとは限らないが。


「皆様方は上巳の日、どこで何をなさっておりました?

 見なされ。わらわも伊能も、中将様間近に在りて戦い名誉の傷を受けております」

 わしは額の包帯を解く。まだ抜糸の済まない傷が露わになる。

 よし。居合わせた役人達を怯ませた。


「妾には、事が終わって功績稼ぎに寧日ねいじつ無き者が、嫉妬に駆られて我らを貶めようとしているとしか思えませぬ」

 我ながら。点数稼ぎに平穏無事な日々が無いだの、嫉妬しているだの酷いことを言っているな。

 これくらい煽ればどうだろうかと試してみたら、

「言わせておけば、たわけたことを」

 と憤りはするが先程までよりは勢いのない役人。

「解りました。ならば皆様の筆法をもってこちらも対処致します」


 わしは小声でぼそりと言う。

「町方こそが一味の同心で、証拠と思しきものを闇に葬ろうとしているに相違ありませぬ。

 左様、報告を上げさせて頂きます」

 フェノールフタレンにアンモニア水を注いだように、見事に色付く役人の顔。


 言い捨てるとわしは、

「これより帰還する」

 衛生兵に担架を運ばせて、堂々と牢屋敷を後にした。

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