忍び寄る魔の手6

●忍び寄る魔の手6


 この頃。北町奉行は石谷いしがや因幡守いなばのかみ殿で南町奉行は池田播磨守はりまのかみ殿であり、この三月の月番は南町奉行所であった。


「頼もう~」

 奉行所の門前で呼ばわる。

 宣振まさのぶを供に連れたわしをどう見たかは知らないが、門の近くに居た奉行所の者達と通行人の眼が、このわしに向かって注がれた。

 わしは十分人が集まるのを見て、

わらわは、御親兵ごしんぺい差配江登茂恵こうのともえである。

 下衆げすの嫉妬で妾と御親兵を貶めようと捕縛した隊士。

 位低くとも上様の直臣にして妾が配下、輜重しちょう隊長・伊能いのの引き渡しを求める!


 重ねて妾は、南町奉行所の三つの不首尾の責めを問う。


 ひとつしずなれど上様ご直臣の御親兵を、町方風情が捕縛せし事。

  上巳じょうしの変の働きに因り、名誉の傷を受け上様より感状を賜った我が隊士に、

  縄目の恥を負わせあまつさえ縄を違えし事。

 一、有ろうことか! 上様の御紋を足蹴にせし事。

 一、予めお許しを頂いてある此度こたびの義挙。

  彦根中将様をお救い致した御親兵のいさおを、誣告ぶこくもっくたさんとはかりし事。


 以上三条に対し、南町奉行・池田播磨守殿の釈明を伺いたい」

 と戦場いくさばでもとおる大声で呼ばわった。


 ざわっざわっと広がる戸惑い。固まってしまう門衛。わしは目配せして、

「宣振」

 と命じた。

「はっ!」

 宣振が、大樹公様から頂いた三つのお墨付き開いて、周囲に見せる。


 その様は、歌舞伎は弁慶の勧進帳が如き大見得だ。

 嬉々としてやっているな宣振。


――――

 御親兵ごしんぺい相勤候者共あいつとめそうろうものども破軍神社二有之にこれあり

 右大樹たいじゅ郎党ろうとうなり登茂恵差配可申付もうしつくべし

 依而如件よってくだんのごとし


      文長ぶんちょうろく文月ふみつき玖日ここのか(花押)


    御親兵差配江登茂恵とのへ

――――

 御親兵直臣候故そうろうゆえ町方まちかたあつかい停止ちょうじ厳敷きびしく可申渡もうしわたすべし

 依而如件よってくだんのごとし


      文長ぶんちょうしち如月きさらぎ廿二にじゅうに日(花押)

――――

 従登茂恵ともえより聞済ききすまし

 さる三日桜田門前もんぜん掃部かもん受難救援みぎり

 いよいよ働候事はたらきそうろうこと神妙候しんみょうにそうろう

 なお金子一両御種人参おたねにんじん一分


 三月五日(花押)

                 お伊能との

――――

(注:闕字けつじ・数字の改竄防止印等除去)


 この国は庶民の識字率が高いのだが、流石にこのような文章を読めるものは少ない。しかし、解る者は目を瞠った。


 なお、これを平成の御代風に書くなら以下の通りである。

――――

 御親兵を務める者達は破軍神社に居る。

 右は大樹公の郎党である。登茂恵に差配を申し付ける。

 以上

 文長六年七月九日(花押)

    御親兵差配・江登茂恵殿へ

――――

 御親兵は直臣であるので、町奉行所扱いを取り止める事を厳しく申し渡す。

 以上。


 文長七年二月二十二日(花押)

――――

 登茂恵より聞いている。

 去る三日、桜田門前で彦根中将受難を救援した時、

 立派な働きをしたことは感心だ。

 なお褒美に金子一両と朝鮮人参を一分与える。


 三月五日(花押)

                 お伊能殿

――――


 伊能を帰せと呼ばわるが、無論わしもお伊能殿がここにいない事など百も承知。ここに寄ったのは、筋を通しておく為だ。

 本来町方の管轄外の者を捕らまえた非を打ち鳴らし、わしのこれからの行動に正当性を持たせるための通過儀礼だ。

 故に、一方的に通達する。

「町方が捕縛した伊能なる女は御親兵が幹部。お目見え以下といえども、歴とした御家人格の者なり。

 しかして伊能は上様が郎党にしあれば町方管轄に非ず。よって上意にしたがいて御親兵差配・江登茂恵が貰い受ける。

 聞け! 伊能は上巳の変にて中将様を護って弾を受けし者ぞ。断じて賊が一味にあらず!」

 そう断じたわしは、

「上意に応じて引き渡さば良し。構えて邪魔立てすることあらば、彦根中将をお救い致した我らが武威をもって、心得違いの奴原やつばら廓清かくせいを為さん」

 と高らかにってきびすを返した。


 詰まり。素直にお伊能殿の身柄を引き渡せば良いが、妨害するようであれば彦根中将様をお救いした御親兵の武力を使って、越権行為の連中を腫物できものを取り払うかのように排除する。と奉行所の連中に宣告したのだ。

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