忍び寄る魔の手5

●忍び寄る魔の手5


 必死で遣って来た摩耶まや殿の顔面は蒼白。必死でわしの手を掴み、案内しようと引っ張る。

 わしは宣振まさのぶに勘定を頼むと引かれるままに付いて行く。後ろから河西殿もついて来た。

 摩耶殿は神職の修行で、多少は駆ける事が出来たが、それでも今のわしより遅い。だから現場に着いた時には、宣振も追い付いて、わしの警護に戻っている。



 現場には人矢来ひとやらいが出来て居た。その中心にあるのは、

尾巻おまき殿」

 奈津殿の弟が、立派な羽織を泥だらけにして倒れており、通り掛かりのおかみさんが介抱していた。

「下手人は誰です?」

 手を下した者は誰かと問うと、人矢来の中から、

「岡っ引きだ。奉行所の岡っ引きが遣った」

 と、あちこちから声が上がった。


 周りの話を継ぎ合わせると、健気にも足を負傷したお伊能いの殿の杖を買って出て、共に往来を歩いていた尾巻殿は、突然町方の岡っ引き達に囲まれた。

 岡っ引き達が縄で縛って捕らまえようとするのを止めた尾巻殿を足蹴にして、お伊能殿を連れ去ったと言う。

 縄は、証言から首と両の二の腕を後ろに絞った早蟹縅はやかにおどしであった模様。わしは捕り手が女五方ごほう等、女を縛る体裁を整える手間も惜しんだと見た。


 それにしても、知らぬと言う事は恐ろしい。尾巻殿が誇らしく纏って居た絹布の羽織は、事変の功により『大樹公たいじゅこう様から賜った品』であり、大樹公家の御紋が入った品なのだ。

 それを足蹴にして泥に塗れさせるとは……。


「殿をお守りして傷を受けた女を……こら彦根へ侮りだ。しかも上様拝領の羽織を泥だらけに」

 河西殿は傷に障りかねないほどに怒り心頭。頭から湯気が立ち上る所など、わしは初めてお目に掛かる。


 わしは懐紙に矢立で文を綴った。合わせて三通だ。

 一つは彦根中将様。一つは大樹公様。残る一つは大奥の瀧山たきやま様と飛鳥井あすかいて。

「河西殿。これを中将様と、お城の門衛に」

「心得た!」

 自分が乗り込むよりもこちらが良いと合点した河村殿は、引っ手繰る様に受け取ると駆けだした。


「宣振。暴れますよ」

「やけんど姫さん。何で酒保しゅほ殿が捕らえられたのやろう」

 宣振が聞く。酒保殿とはお伊能殿のいである。


 無論わしには心当たりは有りありだ。竜庵りゅうあん殿の心配事が現実になった。

 恐らくはあの時離れに居た水府すいふの者が原因であろう。つまり、彦根中将様を襲った者の一味と見られたのだ。

 だがな。お伊能殿の家は、我ら御親兵ごしんぺいの女衆も使って居たのだ。嫌疑は御親兵にも掛かっていると言う事も出来るのだぞ。

 いや待てこれは。わしと御親兵を快く思わない者の差し金さしがねかも知れぬ。

 違って居てもそう主張しよう。

 なぜならば、今から遣ることは度々繰り返す事は出来ぬ、たった一度で決めねばならぬものだからな。


 薩摩の竜庵殿の頼まれもあるが、最早お伊能殿はわしの計画の要の一つになって居る。

 今やれっきとした御親兵ごしんぺいの一員でわしの部下。輜重しちょうと士気を保つ為の酒保しゅほを任せた人物。これはこのわしに売られた喧嘩だ。


 幸いな事に、我らは一応は大樹公様の直臣扱いで、しかも上巳じょうしの変で中将様をお助けしたのだ。今なら正義は我にあり。


 わしは雷神の如く怒りの電流をほとばしらせて、奉行所へと向かった。


 急がねば。急ぎ参りて釘を刺さねば。わしの脚は速度を増す。

 なぜならば、平成の代では冤罪の温床とならぬよう『勾留と捜査の分離』が成されている。しかしこの時代はそうでない。極当たり前に吟味ぎんみと言う名の拷問も盛んに行われているからだ。


 わしは背中のゲベールライフルに着剣し、落とし差しの躾刀を抜き打ちしやすいように直す。そして鞍馬山の天狗に貰った自動拳銃の安全装置を外した。


●一大事


 昼八つ。平成の御代で言うならほぼ午後二時過ぎ。御台所が居れば御成り歓談の時間。

 込み入った政務の意気を抜く為に、奥で休憩する大樹公。

 部屋の中から人払いをして、表では出来ぬだらけた姿。服を緩めて横になって微睡んでいると、

「上様! 一大事にございます」

 ずかずかと瀧山殿が入って来た。


「ん? 瀧山。何かあったか?」

 なんだと午睡の目を開くと瀧山殿と飛鳥井殿以下、沢山の女達がただならぬ形相。

 あれは鬼だ、鬼が居る。


「町奉行風情ふぜいが上様を蔑ろにしております」

あまつさえ、大奥を潰そうとしておるのをご存知ですか」

「捨て置かば、今日にでも彦根と町奉行所の合戦に成りかねませぬ」


 口々に飛び出す尋常ならざる内容に、

「はぁ? 今、何と申した」

 大樹公は聞き返した。

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