忍び寄る魔の手4

●忍び寄る魔の手4


 それから半刻はんとき(約一時間)。酒こそ無いが飯を喰らい鍋をつつきながら話は進み。

 何時いつしか、わしと河西殿は互いに武勇を褒め合う流れとなった。


「お陰様で、殿の手傷は最初の短筒一発のみ。されどあの狼狽ろうばい振りでは、登茂恵様と御親兵ごしんぺいのお力うして、殿をお護り出来きなんだかも知れまへん」

 彦根中将様を思う彼の心根は本物だ。


「いいえ。あの時、河西殿が多勢を相手にお駕籠かごを護って居られませんでしたら。騎馬とて間に合う事は無かったと思いまする。

 あの場を見ていた町人によると。短筒が放たれてから終わりまで、煙管に詰めた煙草が燃え尽きる間も無かったとか」

 感慨深くわしが遠い目をして見せると。大きく河西殿も頷いて、

えらい永い時間やったけど、ほないまでに短かかったんやなぁ」

 とあの日を振り返る。


「とても長い時間ですか。あの時は確かに、私もそう感じました。

 何もかにもが目まぐるしく動いて、多少の記憶が入違っているかも知れませぬ。


 六十にも上る供揃えの殆どが一日雇いのお中間ちゅうげん。それが鉄砲の音に算を乱して、譜代までもが裏崩れ。

 もしもあの場で討ち死に覚悟の、河西殿を始めとする勇士がおられませんでしたら。きっと悔いてまぬ次第となって居た事でありましょう」


 本当に、一つ間違えば。彼は生きては居なかっただろう。

 もし護るべき主君を討たれたとあらば、あの場にいた彦根中将様のご家来衆は死ぬしかない。

 主君を護って討ち死にした者はまだ良いが、生き延びた者は断罪は免れぬ。


 その事を話題に振ると果たして河西殿は、

「あの場から逃げ去り戻って来なんだ卑怯者には断固としたお沙汰が下った。


 譜代藩士の不甲斐ふがい無さがあまりに酷かったさかい、逃げ去ったお中間ちゅうげんの内、殿様の大事を告げに彦根屋敷に駆け込んだ安芸あきの国の者を処分者の前で褒め上げて、

『一日の家臣でも、急を知らせる奉公をした。あんた達はなんや』とこき下ろし。

 無傷の者は改易斬首。手傷有る者は切腹やったな。

 奴らは報告に戻ったお中間が、褒美を貰うのを見せつけられた後、処されてん」


 くだんのお中間は、登城する六十余人の行列中、お駕籠かごの直ぐ後で馬を引いていた者であり、後の調べでは、

「殿様のお駕籠に何者か分からないが、数人が刀を抜いて切りかかった。その勢いの激しさと言ったら、恐ろしくて言葉もない。

 そのうちお駕籠の内か外か分からないが、大きな声が一声聞こえると、警護の武士は前後に逃げ散り、応戦する者はいないようだった」

 と証言したそうだ。

 勿論、河西殿の様に戦う支度の為一時離脱をした者もいるが、その大半は散り去ったのだ。

 奈津殿の到着が遅れたら、戻って来なかった者も増えたことは想像に難くない。


 お中間が貰った褒美についてだが。

 彼は警護の者が逃げ去るのを見届けた後、援けを呼ぶ形で馬を引いて戻った。このため処分者達よりも忠義を尽くしたと判断された為との事。



 そのうち話題は変わって、水府を含めた剣術の話に移った。


大石進おおいしすすむ先生が剣術道具を改良して以来。他流試合が盛んになった。

 また、特に癸丑きちゅう(黒船来航の年)以来、武術修行であちこちの道場を渡り歩く者が増え、流派の垣根がのうなりつつあるんや。

 この世に一人として同じ体躯の者はいないから、師の教えを身に付けた後は自分に合わせて変えて行かねば、高嶺をじ登ることは叶わんもんや。そやさかい流派は自然に変わって行くもんやがな。

 今や流派は派閥の看板になってるようにも見えるなぁ」

「そうですね。未熟な者でも怪我をせずに試合出来るようになったため、試合の決まりごとが皆同じになってしまったせいなのでございましょうか?」


 わしらは飯を平らげ、酒こそ無いが代わりに頼んだみたらし団子と玉露ぎょくろし。当時どこでも道場の片隅で行われたような会話を楽しんでいた。


 そうして一杯三文の茶を重ね。語り合う事、四半刻しはんとき(約三十分)。

「登茂恵様。たいへんですぅ!」

 御親兵屯所として間借りしている破軍はぐん神社の摩耶まや殿が、急を告げに駆け込んで来た。


「なんですと! 町方にお伊能いの殿が!」

 先程の会話で、援軍に加わり賊の短筒の弾を受けて負傷したお伊能殿の事も話してある。

 そのお伊能殿の一大事に、河西殿が吼えた!

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