北の神童
●北の神童
大樹公家の根本政策は重農主義。正確に言えば
米の
ところが、モノカルチャーな農業は気候変動の直撃を受ける。例えば軽い冷害でも一部地域の不作に留まらず、忽ち国を揺るがす社会不安になってしまうのだ。
米が事実上の正貨であるが故に、冷害不作で米が値上がりすると行われるのが、領地の米を洗い浚い掻き集めての飢餓輸出。
どこもかしこも財政難であるために、米が高く売れるにならばと後先考えぬ事をしでかすのだ。
これは何も八島だけに限った事ではない。ヨーロッパとて同じ
例えばフランス大革命も直接の原因は、とある火山の爆発が全世界的な気候変動を齎した為。
フランスが推し進めた重農主義が全ヨーロッパ的冷害で破綻し、飢饉を生じさせたからである。
買い占め隠匿が更に穀物の高騰を招ぎ、フランス経済は破綻した。
さて、話を戻すが。柳屋殿はかなり深刻な顔をしてこう言った。
「南部ご家老・
「神童?」
「はい。ご嫡孫の
柳屋は南部で仕入れて来た話をわしにする。
「二歳の正月に初めて発した言葉が、
『
この南部の地に新しき
だったそうにございます。
童子の身体ゆえ、舌の回りは
そして、健次郎殿の申された如く稲を植えた所、採れる米が増え質も上がったとの
「ふむ。して、どのようにされたかは判りますか?」
「はい。
最初の年、試しに植えた
柳屋殿の話を聞いて漸くわしは思い当たった。前世の実家が遣って居た事を。
塩水で種籾を選別し、碁盤の目の様に苗を植えるのである。
あまりにも当たり前の事なのだが、健次郎殿によってそう為ったと言う事は、稲作の基本的な事を遣って居なかったと言う事になる。
わしは今世、お手付きとは言え大名の子に産まれた。この為、全く農事に関わる事が無かったわしは、今まで気付きもしなかったのだ。
「健次郎殿は桶の稲が花咲く頃、お湯に穂を浸し、筆で色々とやっておりました。採れた種籾を植えると、今までに無かった稲となったそうでございます。
その中には沢の水を流し続けて育てても、極めて育ちの良い物があったとの
南部家は急ぎその稲を増やしているとのお話にございます」
判る。健次郎殿が行なったのは、稲の掛け合わせだ。お湯で自家受粉する稲の花粉を殺し、別の品種の花粉を付けるのだ。これに依って誕生した交配種を条件を変えて育て、冷害に強い稲を人工的に生み出そうとしているのだ。
そして幸運にも健次郎殿は、最初の交配で大当たりを引き当てた。冷たい沢の水でも育つ、冷害に強い新種の稲を。
小麦のガーネット種は百日小麦と呼ばれるが、健次郎殿が生み出したのは百日稲だ。寒い陸奥の地でこれがどれ程の武器となるであろう。
「恐るべき神童の誕生によって今、南部
常なれば、何事によらず意見の合わない
南部侍従様は去年。御年四歳の健次郎殿を、取り敢えず扶持米三俵二人扶持で召し抱え、農事試しの一村を差配させたそうでございます」
「なるほど。一村ならば、しくじってもなんとかなりますものね」
「はい。上手く行けば他でも取り入れるとの事。それだけ、新しき稲の作り方は優れて居たそうにございます」
柳屋殿の話に、内心わしは動揺していた。
「それにしても。神童の
自分は書生の身であるのに、父は家老・子は微禄なれども新規お召し抱え。いやはや気苦労が絶えませぬ」
それは恐らく。今世の我が父の気持ちでもあるのだろう。
わしは心の中でそっと、父に向かって手を合わせる。
「今後、高直しが起こるほど、南部の米は躍進しましょう。されど幸いにしてオゴノリは毒のあるカテ物(救荒食糧)です。今後も容易く五穀と換えて貰えることでしょう」
「その方向で進めて下さいませ」
満足そうにわしは微笑む。
「しかし登茂恵様。このオゴノリは何にお使いに為るのですか?」
食べても美味くない有毒海藻をありがたがるわしに、柳屋殿が首を傾げた。
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