わしに翼を恵む物

●わしに翼を恵む物


登茂恵ともえ様、ご依頼の件でございます」

 破軍神社を訪ねて来た柳屋殿が桐の小箱を二つ、わしの前に差し出した。

「コンニャクは上州じょうしゅうの諸藩で、オゴノリは陸奥みちのく南部なんぶ様のご領地で、お探しの物が見つかりました」



 平成の代、コンニャクと言えば群馬であった。

 群馬は旧国名で言えばその大半が上野国こうずけのくに。その昔、崇神すじん天皇の皇子みこ豊城入彦命とよきいりひこのみことの子孫、上毛野君かみつ・けの・きみが治めた土地であるとされる。

 都合の良い事に、上野国には大樹公たいじゅこう家の譜代の家臣がほうじられて居る。そことご府中に金の流れが生まれ、御恩奉公の関係が強化されるのは望む所。

 わしにとって、コンニャクと成った物には価値は無いが、中間加工された原材料の安定供給は急務であった。



「頂いた方法でコンニャクを粉にしたものが甲の箱にございます。

 しかし、登茂恵ともえ様はこれをどうお使いに為られるのでございましょう」

 検めるとくすんだ白い粉。

「このコンニャク粉がこの世を変えます。これは我らに翼を恵む物にございます」

 そうわしは断言する。

「水はどこまで吸いますか?」

「コンニャク粉・一匁につき、水・四十匁にございます」

「宜しい。十分に使えます」

 無いよりはましな代物だが、高分子吸水剤の代替に目処が付いた。

 わしは、コンニャク粉を一匙取りて器に入れ水を注いで行く。ただ注いだだけでは粉がダマになってしまっているが、全体としてみれば粘性の高い液体となった。これ単体では心許ないが他の素材と組み合わせれば、襤褸の布切れよりは使い易い物に仕上がりそうだ。


 これを繋ぎに、早く海藻のアルギン酸から吸水ポリマーを作り出す方法を確立しなければ。

 わしの見当では、ホルマリンで水酸基すいさんき(ヒドロキシ基)を架橋して首尾よくアセタール化が出来れば、計算上は二十倍以上の吸水性能を得られる筈なのだが……。かなったとして、問題は材料コストに為りそうだ。


 因みに一般的なアセタール化とはこんな反応で、分子を繋げてより高分子を作るのだ。

――――

 2[ra]OH + [rb]COH -> [ra]O[rb]CHO[ra] + H2O


 但し、

 [ra]:炭化水素

 [rb]:水素または炭化水素

――――


「柳屋殿。これを安定して大量に作れますか?」

「はい。ある程度は」

「これは柳屋と大樹公様の天下に莫大な富を齎します。この世に女がいる限りは」

 とわしは結んだ。


化粧けわいの品の材料にございますか?」

 と柳屋殿が訊くので、わしは上機嫌に言ってやった。

「子を生す事の出来る女なら、月に一度訪れるお客様に備えるものにございますよ」

「げほっ、げほっ」

 漸く数えの十一になったわしの口から出た言葉に、柳屋殿はむせた。

 無理もない。今のわしは満にして九歳になったばかり。前世ならばやっと春から尋常科四年になる歳である。

 この時代ならば当然、そのような事は知らないのが当たり前なのだ。


「そして月のお客様とは異なり目処が立っているお話として、コンニャクは我ら御親兵ごしんぺいに翼を添える風船(気球)を、この八島の品だけで作る為に必要不可欠な物なのです」



 ガスを逃がさぬ様に気密を保つ為の素材としてわしは、前世で史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器・気球爆弾にも使われたコンニャクを選んだ。

 尤も和紙ではなく綿布めんぷを用い、布の目をコンニャク糊で埋めるのである。


 ここで一つ問題が。コンニャクを固めるのに通常は石灰(炭酸カルシウム)を用いるのであるが、コンニャク糊の気密性を保つためには苛性塩かせいえん(水酸化ナトリウム)を使わねばならない。

 製造過程の者の指紋と引き換えにしても、兵の血には代えられぬ。我らに鳥の目さえあれば、どこでも戦略高地を得られるのであるからだ。


 本音を言えば、頑強さの為に絹布けんぷを用いたい所であるが、如何せん絹はアルカリに弱い。だから綿布はいずれはナイロンが取って換わられることだろう。



「そしてお探しの海藻が乙の箱にございます」

 依頼の品の内、オゴノリは南部で見つかった。まだわしの望む加工法は考案されていないが、既に石灰で毒を抜く技術は開発されている。

 冷害続きの陸奥みちのくで、飢えを凌ぐ為の方法として。


「ならは、このオゴノリは五穀を渡せば独占的に押えられますね」

「はい。上は銭や米を求めますが、下々は雑穀の方が悦ばれましょう」

 米だと領民の口には入らぬからである。


「しかし、一つ気懸かりが」

 柳屋殿は額に縦皺を作った。

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